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ベートーヴェン、ヴァイオリン王… 読書で味わう音楽 紀伊國屋書店員さんおすすめの本

記事:じんぶん堂企画室

ベートーヴェン生誕250周年

 2020年はベートーヴェン生誕250周年のメモリアルイヤーで、音楽レーベルからは興味深い録音が復刻も含めて幾つもリリースされましたが、書籍も例外ではありません。

 中でも特色ある1冊として紹介したいものが、藤田俊之『ベートーヴェンが読んだ本』(幻冬舎メディアコンサルティング)です。簡単に紹介すると、ベートーヴェンの伝記をもとに、蔵書や抜き書きした箇所を、著作者との関係性も含めて再構築し、まとめられたものです。言葉にすると簡単ですが、実際は途方もない作業であったと想像される、大変な労作です。文学、宗教、哲学まで多岐にわたる大作曲家の読書遍歴が分かります。

 音楽は声楽を除いて、言葉=詩を持たない文化芸術ですが、物語や思想を持たない音楽など存在しないでしょう。優れた奏者は、バッハやベートーヴェンの音楽に潜む思想や精神性を追究し、それを音として表現させます。これまで古今東西の音楽研究者が、曲が作られた時の作曲者の境遇や恋愛関係、世情などを紐解(ひもと)き、音楽の背景を理解しようと努めてきましたが、読書遍歴もその理解を深める第一級の資料といえます。

 例えば、これまで断片的な情報をもとに漠然と語られることの多かった哲学者カントとの関係について、本書を用いることで具体的にベートーヴェンがカントのどの著作の、どの部分に注目していたのかまでを明らかにすることができ、より影響関係をはっきりと確認することができます。峻厳(しゅんげん)な哲学、倫理学のテーマに関心を持ちつつも、抜き書きはアフォリズムの要素も多く、形式的かつ明快さを持つベートーヴェンの音楽にも似た読書嗜好(しこう)が垣間見えます。

日本における西洋音楽の広まりとピアノ製造

 日本人は特にベートーヴェン好きと言われています。日本初のピアニストといわれる久野久も、特にベートーヴェンを好んで演奏していたそうで、非常にエモーショナルな演奏スタイルであったと伝えられています(これについては中村紘子の名著『ピアニストという蛮族がいる』(中公文庫)に詳しいです)。ベートーヴェンの音楽が、日本人の精神性によく合っていたのかもしれません。

 日本に暮らしているとあまり実感がありませんが、日本は楽器王国で、その代表ともいえるものがピアノです。ヤマハやカワイをはじめとする日本のピアノが多くの家庭で演奏されているのと同時に、世界的にも優れたピアノとして評価されております。どうして西洋音楽の楽器として日本のピアノがここまでの地位を築くに至ったのかを理解するために、前間孝則・岩野裕一『日本のピアノ100年: ピアノづくりに賭けた人々』(草思社文庫)をおすすめします。

 数多ある楽器の中でも非常に複雑な機構をもち、また繊細な木材の選別・加工が求められるピアノづくり。日本人の技術力の高さを遺憾なく発揮できる製品であると同時に、調律をはじめとしたサポートの高さ、きめ細やかさも、日本のピアノの世界進出に大いに役立ったというのは、同じ日本人として勇気づけられるエピソードです。

もう“一つ”の楽器職人

 ここで日本におけるもう一つの楽器の歴史をたどる最適な資料が、井上さつき『日本のヴァイオリン王 - 鈴木政吉の生涯と幻の名器』(中央公論新社)です。黒船来航の数年後に生を受けた鈴木政吉は、ほとんど本物のヴァイオリンに触れる機会もない中、試行錯誤でのヴァイオリンの製作を志します。安定した品質を誇る鈴木の国産ヴァイオリンは、ヤマハ、カワイのピアノと同じく、今日に至るまで世界中で愛用されています。

 さて、彼が模範として研究したヴァイオリンは三男の慎一氏がドイツから持ち帰ったとされる名器グァルネリですが、その慎一氏が発明した才能教育法「スズキ・メソード」はベネズエラの公的音楽教育プログラム「エル・システマ」などにも活用されるなど、こちらも世界的な広がりをみせています。

 余談ですが、日本における楽器の歴史ということであれば、ヴァイオリンの音色を十二分に引き出し、時に「魔法の杖」とも呼ばれる楽弓において、鈴木政吉と同時代に活躍した森信太郎や、現在の杉藤楽弓社の創業者・杉藤鍵次郎についても非常に興味があります。

音楽の力

 時に人を癒やし、時に元気づけ、鼓舞する音楽の力。情報を伝えるコミュニケーションとしてのツールなら、文字で書かれた手紙や書籍の方がよほど手っ取り早いでしょう。ですが、音楽の必要性は他にあります。カントは1790年に著した『判断力批判』(熊野純彦訳、作品社ほか)の中で、詩こそが最上の芸術であると述べたうえで、音楽については詩よりも多様な方法で私たちの心を動かし、またより強い感動を私たちに与えることができると論じています。日本が楽器王国となった理由には、日本の職人たちを魅了した、こうした音楽の魔力も一役買っていそうです。

 「真剣に音楽に耳を傾けなさい」とお叱りを受けるかもしれませんが、音楽を聴きながら読書するなど、両者はとても相性がいいと思っています。今まさに聴いている音楽(クラシック音楽に限りません)について、その当時に書かれた小説や哲学書を読んでみたり、その当時流行したファッションやインテリアの写真集を眺めてみたり、そんな音楽と読書の素敵なハーモニーを提案していきたいです。

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