1. じんぶん堂TOP
  2. 文化・芸術
  3. 世紀のカリスマ「フレディ・マーキュリー」、その伝説にせまる

世紀のカリスマ「フレディ・マーキュリー」、その伝説にせまる

記事:平凡社

1985年7月13日に開催されたチャリティーイベント「ライヴ・エイド」で熱唱するフレディ・マーキュリー(Photo by Jacques Langevin/Sygma/Sygma via Getty Images)
1985年7月13日に開催されたチャリティーイベント「ライヴ・エイド」で熱唱するフレディ・マーキュリー(Photo by Jacques Langevin/Sygma/Sygma via Getty Images)

2023年6月15日刊、平凡社新書『フレディ・マーキュリー解体新書』(米原範彦著)
2023年6月15日刊、平凡社新書『フレディ・マーキュリー解体新書』(米原範彦著)

フレディの生き方のすさまじさ

 本書では、フレディという、あらゆる面から見て歴史上、卓越しているとみられるロックヴォーカリスト像を描き、何がどう凄いのかを主に私見と直観に頼って詳述する。気取って言えば、フレディの「凄さ」の解体新書を綴るということだ。言葉を尽くして表現してみたい。

 そして最も伝えたいのが、死の運命に際し、フレディが選んだ生き方のすさまじさから、人智を超えるような苦難に直面した場合、人はいかに生き抜くべきかという人生哲学なのである。

 むろん、フレディは、我々一般人とは異なる、天才的で特殊なロックスターではある。しかし、それら特殊要素を捨象して注意深く彼の人生模様に目を凝らす時、一人の人間として、死に対して敢然と立ち向かい、己の天命であるロックミュージックに身を投じて、一直線に文字通り粉骨砕身して果てる、という生き方が、多くの人々に何かを語りかけてくるはずだ。生きることとは、喜び以上に、不安、苦悩、心の澱、絶望、悔恨、憎悪など負の遺産が嵩高に積み上げられていくことでもあるからだ。一見、すべてが贅沢なパーティーずくめとみなされがちなロックスターであっても、人知れず苦悩に苛まれ続ける面もあるだろう。

クイーン、その人気の秘密

 人気の秘密は何なのだろうか。中でもフレディが人々を引き付ける理由は何なのか。

 ある人は、少女漫画中の王子様、美少年たちへの憧れが、日本の女性たちをクイーンに飛びつかせたという。つまり外見に惹かれ、熱狂につながったというわけだ。

 『クイーンⅡ』『シアー・ハート・アタック』のジャケット写真を手掛けた写真家ミック・ロックらも指摘するように、金髪の美少年風でまさに格好いいロックミュージシャンの代名詞のようなドラムのロジャー・テイラー、長身・細身・長髪で欧州貴族のムードがあるギターのブライアン・メイ、寡黙で上品そうなベースのジョン・ディーコンという3人に、スタイルはいいものの、どこか場違いで紛れ込んでしまったオリエントの王族といった風情のフレディ。日本で多くの人がヴォーカルはロジャーだろうと思っていたふしがあったともいう。3人の美青年のお蔭で、フレディの異物感は希釈されたに違いない。

 初来日以前、すでに前年74年11月16日にはイギリスの「オフィシャル・シングルズ・チャート」で「キラー・クイーン」が2位に上昇する大ヒットに。来日直前の75年4月12日には、アメリカのビルボード誌の「トップ40」で26位までアップしていた(5月17日に12位まで上がるスマッシュヒット)。英米では人気が出始めてはいた。

 日本では「ミュージック・ライフ」誌が74年ごろからクイーンを一押しの勢いで紹介。これが女性読者の目にとまり、日に日にふつふつとファンの熱が高騰してきていたのだ。来日時にはそれは沸点に達していた。クイーンにしてみれば、英米でのヒットは1、2曲はあるものの、駆け出しのバンドいう意識も強かったであろうに、ビートルズに世界が熱狂したような、アンバランスとも見える圧倒的な歓迎ぶりに仰天したようである。おそらく、イギリスでもまだ、このような大騒動が起きるバンドではなく、モット・ザ・フープルの74年アメリカツアーのオープニングアクトも十分果たせず、アメリカではさらにまだまだという段階だったのだろう。

 だが、これによってクイーンは日本びいきとなり、相思相愛の基盤が築かれ、彼らのその後の驀進の自信、心の拠り所となったのだ。「ミュージック・ライフ」誌と日本の女性ファンたちがクイーンを世界で名だたるバンドに押し上げるのに一役買った側面は否めないのである。入口が外見だったとしても、日本の女性ファンのパワーには敬服する。ただ、クイーンには日本も含め世界中を虜にするだけの音楽性があったわけで、楽曲の秀逸さがなく、外見の長所だけなら日本のファンも付いていかなかったかもしれない。

日本びいきだったフレディ

 フレディについて言えば、日本の伝統文化への深甚な憧憬もあり、これが日本びいきを加速させたと言える。九谷焼や伊万里焼を蒐集し、英ケンジントンに取得した邸宅に日本庭園を造ったほどだった。庭の池には錦鯉を放したそうだが、それが水質か貯水のトラブルで壊滅しているのを残念そうな表情で見つめるフレディの写真も残っている。

 2006年に刊行されたフレディ本人の語録集『FREDDIE MERCURY A LIFE, IN HIS OWN WORDS』(翻訳本は『フレディ・マーキュリー 自らが語るその人生』新井崇嗣訳、2020年刊)で、彼は「日本を回るのは毎回楽しかったなあ、特にあのゲイシャガールたちと一緒だと――それとボーイズとも。すべてが最高だった。ライフスタイルも、人も、芸術も。素晴らしい! 明日にでも戻りたいよ」と述べている。後述するが、「ゲイシャ」は「キラー・クイーン」の歌詞に登場し、スペインの「スーパーディーヴァ」モンセラート・カバリエと共演した曲「ラ・ジャポネーズ」の歌詞は半分近くが日本語という入れ込みようだった。映画でも日本(あるいは東洋)趣味がちりばめられていた。

 一方、別の人気の理由として、今回の映画によるブームからの分析だが、家族のような仲間の結束が日本人の琴線に触れた、というものがある。ほかにも親しみやすい曲の旋律、歌詞の内容が胸に迫ったり面白く思ったりするところ、日本の歌謡曲や演歌に通じるこぶしがあるところ、などさまざまな人気の理由が挙がる。

 目を引くルックス、驚愕するようなパフォーマンスの姿、心に沁み込んでくる楽曲、メンバー間の温かい仲間意識、しかも日本を大切にする心などが一体となって、我々をいや応なく引きつけ、人気の理由を構成するのであろう。

家族のような紐帯

 2004年3月、筆者は朝日新聞夕刊にフレディに関する記事を書いた。この時、東京周辺の300人にクイーンの魅力を聞いた。回答は「繊細華麗なメロディーライン」「妖しいまでの高い声」「ゴージャスなパフォーマンス」「分厚いコーラス」「ナルシスティックな歌詞」という5つの選択肢から選んでもらうものだった。

 選択肢の内容自体、筆者が作ったものなので音楽性に傾いたマニアックな印象があるが、結果は「繊細華麗なメロディーライン」が40%以上を占め、「妖しいまでの高い声」「分厚いコーラス」と続いた。筆者は我が意を得たり、とガッツポーズ。今となってはやや誘導尋問のようで申し訳なかったという気持ちもあるし、大体母数の少なさから何か言おうというのは乱暴ではあるかもしれないが、それでも、パフォーマンスよりも、クイーンらしい音楽要素に魅力を感じる傾向が強かったわけだ。

 人気を支える主幹は、やはり類まれな音楽性で、その中核がフレディ・マーキュリーだったことが浮かび上がってこないだろうか。フレディの凄さが世界のクイーンを成立させるために不可欠の要素であり、フレディにとってクイーンは、その凄さを存続させるために代替不可能な存在だったのである。一定の良好な、あるいは奇妙だが憎めないルックスとただならぬ歌声を備えたフレディらメンバーによる優れた音楽性は、家族のような紐帯に守られて持続的に開花したのである。

『フレディ・マーキュリー解体新書』目次

はじめに
第1章 映画「ボヘミアン・ラプソディ」
第2章 人生狂騒曲――熱く哀しい空間
第3章 チャンピオンのチャンピオン――「凄さ」の概要
第4章 高音のゲーム――フレディを取り巻くきら星たち
第5章 仮声帯の戦慄――「凄さ」の解体新書① 声そのもの
第6章 変幻自在の魔術師――「凄さ」の解体新書② ヴォーカリスト
第7章 心を破裂させる調べ――「凄さ」の解体新書③ 作詞・作曲家
第8章 輝けるマーチ――「凄さ」の解体新書④ パフォーマー
第9章 ショウ・マスト・ゴー・オン――「凄さ」の解体新書⑤ 存在
おわりに
参考文献・参考資料
年表

ページトップに戻る

じんぶん堂は、「人文書」の魅力を伝える
出版社と朝日新聞社の共同プロジェクトです。
「じんぶん堂」とは 加盟社一覧へ