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歴史・文化からひもとく、鳥と人の深い結びつき

記事:春秋社

ヨーロッパコマドリ(写真提供:神吉晃子)
ヨーロッパコマドリ(写真提供:神吉晃子)

 歴史の主役は人間である。だが、文化史において鳥は、さまざまな場所に足跡を遺し、クチバシを挟んできた。歴史には、鳥抜きでは語れない部分が、たしかに存在する。

 採譜されたさえずりを楽器で再現する楽曲がつくられて演奏されたほか、吟遊詩人によって鳥のいる自然の情景の素晴らしさが歌われた例もあった。鳥からさまざまなインスピレーションを得た音楽家も少なくない。西洋音楽と鳥との親和性は、とても高かった。また、カラフルな羽毛色やそのフォルムが、ファッションの世界にも多大な影響を残した。タカラヅカの舞台衣装も、鳥の羽毛抜きでは文字どおり色あせてしまう。

 しかし、姿や声の美しい鳥ばかりが注目されたわけではない。身のまわりにいる鳥たちは、それぞれが人間と関わりをもって生きてきた。世にまだ十分に知られていない身近な鳥と人との関わりを、もっと知ってほしいという願いも本書にはこめられている。

 鳥と人との接点を辿る道程は、長い旅にもたとえられる。時間を遡りながらのアプローチは、他者からは果てしなく過酷な作業に見えたようだ。「大変な仕事ですね」とよく言われたが、実際には大変さよりも「楽しさ」のほうが何倍も大きかった。世に知られていない事実が目の前に現れたとき、楽しいという言葉では表現しきれないほどの驚きが心を満たすからだ。自分にとってそれは快楽に近いものでもあった。

 だから気がつくと、鳥と人との交わりがつくる広大な海に飛び込んでいる。そして時に、ラッコのようにそこにぷかぷかと浮かびながら、飲み込んだ史料を組み合わせて頭の中に全体像をイメージした。データが不足する時は、あらためて深みにダイブして、さらなる情報を探し、組み立て直しながらまた考える。『鳥を読む』は、そうやって生まれた。

おなじ鳥でも異なるイメージが

 おなじ鳥を見て、世界の人々がおなじ印象をもつことも多い。たとえば初夏に渡ってくるカッコウ。カッコウは、「カッコー」という鳴き声が名前の由来になった。英語やフランス語も日本語とおなじパターンで、耳に「クックー」や「クークー」と聞こえたことから「Cuckoo」(英語)、「Kuckuck」(ドイツ語)、「Coucou」(フランス語)となった。スペイン語、イタリア語、ギリシア語、ラテン語なども同様のネーミングとなっている。

 カッコウが、ほかの鳥に子育てをさせる托卵鳥であることも、古くからよく知られていた。アリストテレスの『動物誌』やプリニウスの『博物誌』にも、托卵についての記述がある。日本では、『万葉集』の中に同科のホトトギスの托卵の歌が存在した。托卵される相手に対し、現代人は「かわいそう」という感想をもつことがあるが、過去の人々は概ね事実のみを受けとめた。

 春告鳥でもあるカッコウのイメージはどの地域でも概ねよかったが、日本の商売人だけが眉をひそめ、目を背けた。カッコウの別名「閑古鳥」が、店の寂れた様子を示す言葉として定着していたからだ。そのため、カッコウが鳴いて時を告げる壁掛けの絡操時計が日本に渡来した時、強い拒否反応が起こった。結局、その時計は「ハト時計」と名称を変更することで、なんとか日本に受け入れられた経緯がある。冗談のようだが事実である。

ハト時計と呼ばれるカッコウ時計(写真提供:珈琲と鳩時計の店ロンドベル)
ハト時計と呼ばれるカッコウ時計(写真提供:珈琲と鳩時計の店ロンドベル)

比較文化鳥類学というアプローチ

 夜明けを告げるニワトリ。春、早朝を中心に高い空で鳴くヒバリ。人々に歌声が好まれたコマドリ。古くは悪くなかったイメージが中世以降、一変して不吉なものとなったカラス。カッコウのネーミングのように国や地域を越えてイメージが重なる鳥も多かった。

 「白=聖・善」、「黒=魔・悪」という色による評価も広く世界に存在したことから、鳥に関わる文化においても、羽毛色による対比が行われた。

 ヨーロッパでは文学を中心に、白いカワラバトと黒いワタリガラスの対比が見られた。シェイクスピアも『ロミオとジュリエット』において、ジュリエットの清純な印象を際立たせるために「カラスの群れの中に舞い降りた純白のハトのよう」と形容した。一方、日本で黒いカラスと対比されたのは、ハトではなくシラサギだった。白い鳥としては、ハトよりもシラサギのほうが身のまわりで目にする機会が圧倒的に多かったためである。

 サギといえば、水辺で人間のようにまっすぐ垂直に立つアオサギの姿に「神」を感じたのは古代エジプトの人々である。江戸時代の日本人は、おなじ姿に「妖怪」を見た。こうしたちがいも、とても興味深く感じられる。

『今昔画図続百鬼』(鳥山石燕)より、「青鷺火(あおさぎのひ)」。国立国会図書館収蔵
『今昔画図続百鬼』(鳥山石燕)より、「青鷺火(あおさぎのひ)」。国立国会図書館収蔵

 鳥に関する国ごとのイメージや文化の類似点や相違点を比べることで新たに見えてくることがある。それは、比較文化というアプローチ。比較文化鳥類学という意識を常に持ちながら、人間の近くにいる鳥を多角的に見つめてみたのが本書である。

 ヨーロッパを中心に広く生息しているが日本では知られていない鳥を、どうやって日本人に紹介するか頭をひねった明治や大正の編集者や音楽関係者にも着目した。対象となった鳥はナイチンゲール。夜に鳴くウグイスのような鳥だからと、夜ウグイスや夜鳴きウグイスと訳したのは苦肉の策である。ある時期以降、出版界では「Nightingale」は「ウグイス」と訳すという暗黙の了解も生まれたが、坪内逍遥はあえてその波に乗らなかった。

 さまざまな国において、興味深い事例にもたびたびぶつかった。たとえば、大事なものを不意に奪われることを示す、「鳶(とんび)に油揚げをさらわれる」という日本のことわざは、江戸時代やそれ以前の実話がベースとなったものだが、実はそれは過去の話ではない。湘南の海岸には、今も「鳶に注意」の看板が立てられていたりするからだ。

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