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夏目漱石の文学、思想の全体像を探究する、終わりなき漱石論のひとつの到達点

記事:幻戯書房

漱石の小説作品を論じた書は多数あるものの、俳句・漢詩や『文学論』までをも含めて、漱石の全体像を捉えた画期的な評論『終わりなき漱石』(1056頁の大著)
漱石の小説作品を論じた書は多数あるものの、俳句・漢詩や『文学論』までをも含めて、漱石の全体像を捉えた画期的な評論『終わりなき漱石』(1056頁の大著)

漱石にとってのシェイクスピアとJ・オースティン

 漱石の『文学論』にシェイクスピアについてこんなことが書かれている。父を殺し、母と姦通し王位を奪った叔父の罪業を明かす亡霊に唆され、復讐へと手を染めていくハムレット。イアーゴーの姦計に陥って、愛する妻デズデモーナの貞操を疑い、その命を奪ってしまうオセロ。シェイクスピアが描いた悲劇の人物は、確かに私たちの胸を打つ。だが、彼らのような人物に実社会で出会うことは、めったにない。結局は架空の存在、浪漫的な幻想のなかで織りなされる存在にすぎない。

 そう思うと、シェイクスピアの悲劇も色あせたものに見えてしまう。むしろ、私たちの身辺にありそうなことを淡々と描き、私たちとそう変わらない人間たちの、ささいなといっていい心の掛け違いのようなものを浮き彫りにした作品の方に引かれる場合がある。その例として、漱石はジェーン・オースティンの『高慢と偏見』から、こんな場面を引いてくる。

 1800年前後のイギリスのある田舎町でのこと。独身の青年資産家ビングリーが、別荘を借りてその町に住むということを聞きつけたベネット夫人は、夫のベネット氏と、何気ない会話を交わす。ベネット夫人は、ビングリー氏が、五人の娘のうち誰かを見初めてくれるのを願っているのだが、ベネット氏の方は、母親と娘たちをビングリー氏に引き合わせることを潔しとしない。ビングリー氏が、五人娘を差し置いて、ベネット夫人に惹かれないとはかぎらないからだ。そんなことが、他愛もない夫婦の会話を通して描き出される。

 その会話の妙といったらなく、オースティンは、その後に展開する五人姉妹の次女エリザベスとビングリーの友人ダーシーとの、それこそプライドと偏見を通しての恋の行方に焦点を当てながらも、ごく普通の日常の風景を描くことを決して怠らない。彼らの恋にしても、他の娘たちの少しばかりはらはらさせるような恋にしても、容易なことでは悲劇に陥らない。落ち着くべきところに落ち着くというか、普通の男女の間にあるような、小波程度のものとして、それはおさまっていく。

 こうして漱石は、シェイクスピアの悲劇を現実離れしたものとみなし、オースティンの描いた恋愛に、現実を見いだすのである。しかし、小説家としての漱石はどうかというと、ハムレットやマクベスやオセロのような悲劇は描かなかったが、エリザベスとダーシーのような恋は何度も描き、最後には『こゝろ』といった悲劇をうみだす。『明暗』もどこか悲劇の陰翳を湛えた作品として中断された。そうすると、『文学論』で述べているのは、あくまでも浪漫主義、悲劇、写実主義といったものの定義であって、実作とは直接つながらないことなのだろうか。

 しかし、私には、そうは思われない。『高慢と偏見』におけるべネット夫妻のなにげない会話を称揚する漱石が、そこに暗示されている夫婦の心の掛け違いのようなものに引きつけられるのは、なぜか。日常の風景が、どこかでそういう掛け違いを修繕しながら展開しているとしても、どうしても修復することのできない心のありようからひろがる危機の風景というものがあることを、直観しているからなのだ。

 それが、シェイクスピアのような悲劇にいたることはないとしても、それにかぎりなく近いクライシスをもたらさないとはかぎらない。そして、この薄い膜でへだてられた二重の風景のなかに、私たちの生があるということを、漱石は感じ取っていた。そのことは、浪漫主義、写実主義といった文学理論上の定義よりもよほど重要なことである。そのことを、明らかにすることによって、漱石は漱石になっていった。そんなふうに思われたのだった。

漱石、静養中の枕頭の書、W・ジェームズの『多元的宇宙』

 その漱石が影響を受けた哲学書というと、ウィリアム・ジェームズの『多元的宇宙』とニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』があげられる。とりわけ前者は、修善寺の大患後の静養において枕頭の書となった。また、漱石は、その静養のあいだに、ジェームズの訃報に接し、不思議な因縁を感じている。

 ウィリアム・ジェームズというと、アメリカのプラグマティズムの代表的な哲学者として知られている。経験と実用を重んずると共に、人間の心や意識が身体や脳の機能と無縁ではないことを明らかにした。それは同時に、純粋経験という領域にまで進められ、この経験においては、私たちの意識や脳の働きは、どのような神秘体験も超常現象も受け入れることができると唱えた。

1961年に邦訳出版されたウィリアム・ジェームズの『多元的宇宙』(1961年、日本教文社。著作集の第6巻として刊行され、現在はオンデマンド版として読むことができる)
1961年に邦訳出版されたウィリアム・ジェームズの『多元的宇宙』(1961年、日本教文社。著作集の第6巻として刊行され、現在はオンデマンド版として読むことができる)

 その集大成が、多元的宇宙論であって、宇宙は私たちの経験や知によって観測できる一元的なものではなく、知られざる宇宙がいくつも存在するという仮説である。この仮説は、宇宙のカオス・インフレーション論や量子力学の多世界宇宙論に大きな影響をあたえた。

 そのジェームズの晩年(1910年)の遺稿ともいうべき論文に「戦争の道徳的等価物」というのがある。そこでジェームズは、ギリシアの時代から戦争は人間にとって「恐怖」から解放されるための手段だったということを述べている。そして、1910年において、アメリカにとっての恐怖とは、日本とドイツに対するそれであるといい、とりわけ日本脅威論こそがアメリカに戦争の火種をもたらしているという。これをのりこえるためには、「怖れ」という心理的状態が何に起因するかを探っていかなければならない。

 人間は、プライドをたもつことを自己の存在理由としているところがある。それほどまでに誇りを重んじようとするのは、自分が他者から攻撃され、傷つけられるのではないかという怖れからのがれられないからだ。戦争の原因も、まずここにあるといっていい。日本脅威論を唱えるアメリカのプロパガンダは、一方においてアメリカという国の誇りを若者に植えつけることによって、彼らの意識の奥にある「怖れ」から解放しようとしている。しかし、その先にあるのは、若者を戦争へと駆り立てていく死の行進いがいではない。

 漱石が、このようなウィリアム・ジェームズの戦争論に、瞠目させられている場面を想像してみるならばどうか。晩年の「点頭録」において、目覚しいまでの第一次世界大戦批判を展開した理由が飲み込めてくるだろう。それにしても、このことからわかるのは、ウィリアム・ジェームズを始め、人間の意識や心理の探究者というのは、最終的には人間存在の本質の探求に向かうということである。漱石もまた、人間の意識や心理の探究者として、最後には人間存在の本質の探求に向かった。そのことは、晩年のいくつかの小説を読めば明らかである。

 小説のみならず、俳句、漢詩さらに『文学論』も含めて、初期漱石から、そういう最後の漱石にいたるまで、いわば、漱石の全体像を読み解く試みとして、本書を受け取っていただけるならば幸いである。

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