AIの源流は日本にあった――「AI の父」甘利博士の主著が文庫化 『神経回路網の数理』書評(評者:合原一幸)
記事:筑摩書房
記事:筑摩書房
この度、甘利俊一先生の名著『神経回路網の数理』がちくま学芸文庫によって文庫化されることになった。実に素晴らしい企画である。実は甘利先生のこの本に該当する英語版は出版されていない。したがって、この卓越した内容は、日本語がわかる人しか読めない。これだけでも、日本のこの分野の研究者にとっては、世界的に見てたいへん大きなアドバンテージになっている。それがさらに文庫版で読めるというのは、本当に幸運なことなのである。
この本は、筆者が大学院の修士2年生になったばかりの春に出版された歴史的名著である。脳の数理モデルである神経回路網(今ではニューラルネットワークという用語の方が広く使われている)の基礎理論が、わかりやすくかつ数学的に丁寧に書かれており、学部学生や大学院生、さらにはこの分野に興味のあるすべての方々にぜひ読んでいただきたい本である。筆者は、本書の内容の深さと面白さに魅せられて、当時いつも持ち歩いて何度も読んでいたので、母が記憶している唯一の僕の専門蔵書となった。
若い読者の方々には信じられないかもしれないが、この本が出版された頃は、ニューラルネットワークの研究と人工知能(AI)の研究はほぼ独立した無関係の研究分野であり、相互の交流もほとんどなかった。ところが、21世紀になってニューラルネットワークを用いた深層学習(ディープラーニング)が人工知能分野で大成功を収め、今ではこの2つの分野が深く結びついて、近い将来の動向すらも予測不能なような状況で急速に大きく発展している。昔を知っている筆者から見ると隔世の感がある。
しかしながら、これはとても自然で好ましい方向である。なぜなら、そもそも自然知能の典型例であるヒト脳を含む生物脳は、ニューラルネットワークから構成されているからである。言い換えれば、生物脳と現在の人工知能の共通基盤は、ともにニューラルネットワークなのである。これを我々は「ニューロインテリジェンス」と呼んでいる。
もちろん、生物脳のニューラルネットワークと人工知能のニューラルネットワークには、似ている部分もあるが大きく異なる部分も多い。本書で甘利先生は、過度に複雑化した可能性がある生物脳の実体を抽象化して、脳の基本原理を数学的に記述することを目指された。その原理がわかれば、それを工学的に実装して人工知能を構築するのは比較的容易だと考えられたのだと思う。このような研究は、今では数理脳科学という重要な研究分野を構成している。
この意味で言えば、現在の最先端人工知能では未だ使われていない生物脳の構造や機能は今でもたくさんある。したがって、そのような未解明な生物脳の構造や機能を数学的にどう定式化し、どう人工知能に活用するのかを、読者のみなさんにはぜひ考えてみていただきたい。そこから生み出されるあらたな発見が、予想もしないような次世代の人工知能への道を拓くに違いない。生物脳は、依然として高度な情報処理の原理に溢れているように思う。