1. じんぶん堂TOP
  2. 文化・芸術
  3. ワンネスに向かわないための「ARS(アルス)」という方法――松岡正剛が説く、なぜ「別日本」でいいのか(下)

ワンネスに向かわないための「ARS(アルス)」という方法――松岡正剛が説く、なぜ「別日本」でいいのか(下)

記事:春秋社

松岡正剛書き下ろし「世界の語り方を近江から変えてみる」(『別日本で、いい。』より)
松岡正剛書き下ろし「世界の語り方を近江から変えてみる」(『別日本で、いい。』より)

 いま、日本は臆面もなく迷走している。グローバル世界に「いい顔」をしたくて右顧左眄しているうちに、何に立脚しているのかを決められなくなった。サンフランシスコ条約以降は日米同盟の一角の国になりきって、その立脚点はよそさまの預金通帳の中でスコアされているだけなのだ。

 では、立脚点はどこから掘り起こせばいいのか。新たな自主憲法の制定なのか、加速する資本主義の列車を意匠替えしてみることなのか、それともアジア的なるものの再検討からなのか、あるいは神仏習合の捉え直しなのか。

 私はこれらの判断をするには、芸術や仏教を徹底したバロメーターにするのがいいと考えてきた。この場合の芸術とは、芸能や遊芸や職人技を含めたすべてのARSアルスのことをさす。連歌からアニメまで、複式夢幻能からJポップまで、茶道・武道・落語からプロレス・おねえ言葉・コスプレまで、すべてだ。

 仏数をバロメーターにするというのは、いま世界中で仏教独特の多様性が矛盾を孕みながらも保持できているのは、日本二〇〇〇年の歴史が示してきた流跡と現在の混合状態だけだろうと思えるからだ。大乗性、念彼観音力、密教感覚、浄土思想、利他性、仏像のたたずまい、無常観、日本禅、神仏習合の妙、日蓮主義、他界観などが一緒くたになっている。こんなところはほかにない。

 ただし、そのことを日本人があまり関心をもっていないようなので、だからこそ、ここで一気に仏教的多様性(不可思議)をARSとして捉え切るのがいいはずなのである。

 しかしながら芸術も仏教も、多くの者にとってはいまやヴァーチャルな成果物や表示物にしか感じられなくなってもいて、ここを抉り出す方法が際立たなくなってきた。うっかりすると仏教全般が東洋的メタヴァース扱いなのである。寺院の日々も淡々とするしかなくなっている。私はそれなら、これらを「別日本」として取り出して、既存の「なんちゃってニッポン」と対峙させてみたほうがいいのではないか、別様の可能性から切り出しなおしたほうがいいのではないかと思うようになったのである。近江はその「うつわ」になってほしいのだ。

 もっとも別日本は近江だけにあるわけではない。たとえば東北の奥六郡も、信州の戸隠も、高密度都市の福岡も、奄美大島も、別日本の可能性をもっているだろう。いやいや、どこにも別日本はありうるはずだ。ただいったんはそう決断してみないと、たんなる「なんちゃってニッポン」では預金通帳ばかりに目が引き寄せられて、芸術も仏教もモノ言わない。

 べつだん、別日本を独立させたいと言っているわけではない。条件が揃うならそれもいいけれど、それ以前に別日本たらんとする思索とエクリチュールと技倆を磨いておくのがいい。『別日本で、いい。』はこのような意図をもって編集した。

近江が秘める本来と将来に「まだ見えていない日本」がある
近江が秘める本来と将来に「まだ見えていない日本」がある

 たくさんの寄稿も仰いだ。髙村薫は朦朧とした風景をもって、大谷栄一は吉永進一の見出した近代仏教改革案の意志をもって、樂直入は桃山バロックの乱打をもって、髙山宏は雑密のルイス・キャロルをもって、藤田一照は道元の感応道交をもって、柴山直子は十三本の川をもって、福家俊彦は森山大道のモノクロ写真をもって、永田和宏は亡き河野裕子の近江の短歌をもって、田中優子は遊行の八景をもって、いとうせいこうは「新しき村」のための土地をもって、ヴィヴィアン佐藤は『闇の奥』をもって、田中泯はフラジリティをもって、川戸良幸は琵琶湖をもって、山本耀司は南無阿弥陀仏のコートをもって、それぞれ参画してくれた。

 私は、別日本がグローバリズムと分断主義のくりかえしばかりを演じるセカイに向き合うには、第一に「世界」(抱いて普遍)と「世界たち」(放して普遍)の両方を相手にするべきだ、第二にできれば今日の日本は「世界たち」のほうを重視するべきで、第三にとくに芭蕉の「虚に居て実を行ふべし」をモットーにするといいという主旨を、いろいろの角度で解いてみた。

 別日本を標榜するなんて、少しくアナーキーな訴えのように感じるかもしれないが、むろんそういう気味もあるけれど、本来の意図はワンネスに向かわずに、one(同)とanother(異)とを最初からもつことを奨めたいのである。昨今の日本は「異」を唱えることを怖れたままにある。あえて「別日本」を表明するのは、ここを打破したいからだった。

「近江ARS十七景」より
「近江ARS十七景」より

ページトップに戻る

じんぶん堂は、「人文書」の魅力を伝える
出版社と朝日新聞社の共同プロジェクトです。
「じんぶん堂」とは 加盟社一覧へ