知る人ぞ知るタイの“ラフカディオ・ハーン”珠玉の短編集から失われた王国を読み解く
記事:明石書店
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本書は二部構成になっている。前半がW.A.R. ウッド氏のRhinoceros Blood and other Stories from the Northern Thailand(サイの血ほか北タイのお話)の翻訳で後半がその解説である。だから実質的には2冊分の本と考えてよいのかもしれない。ぎゅっと詰まった活字がエコである。前半の物語は20世紀初頭のタイの話だが、現在の読者なら謎や違和感を覚えるだろう。その謎解きを解説で行っていく。解説を読み進めると、北タイの歴史、文化、社会が自ずと浮かび上がってくる。だから本書は物語をフィールドとする北タイの民族誌ともいえる。
現在の北タイはタイ王国の一部であるが、二〇世紀前半まで「百万の田」を意味するラーンナー王国として長らく独自の文化を守ってきた。そして、それは今も北タイに通底しており、古都チェンマイに漂う独特な雰囲気はそれゆえである。
著者ウッド氏は1895年に大英帝国のアジア通訳士試験に合格して、翌86年に18歳でタイ王国のバンコクへ派遣された。第一希望は東京だったというが、東京に派遣されていたら、第二のラフカディオ・ハーンになっていただろう。異国の地に放り込まれるということは、毎日が驚異の連続である。既存の価値観では計り知れないことが日々起こり、分からぬままに翻弄され、興味をかき立てられ、記録に残さずにはいられない。本書はウッド氏が英国領事館員としてタイ、とくに北タイ滞在中に収集した実話や伝承からなる短編集である。だからそれだけでも十分面白い。
たとえば第2話「緑蓮(ブアキアオ)」では、恋人を奪われた使用人セーン青年が救いを求めて出家するが、その同じ寺院に恋敵も一時僧として入門してくる。二人の確執は殺人という悲劇に至るが、その本当の理由は……。実話である。第4話「魚に餌をやる」は千年もの間、神聖と崇められていたチェンダオ洞窟の鯉を釣って食べた男の話。彼はどのようにして贖ったのか。第14話「独りになれない男」は視察旅行で蛭のように一時も離れず彼にへばりつく従者インソム青年がかき消すようにいなくなってしまった事件の顛末。第15話「ネズミとサファイア」はパイリン鉱山で大きなサファイア原石を若い幼い採掘者から奪い取った悪漢親子が互いを信じられぬままに原石を失い、思わぬ形で原石が再び現れる話。第21話「プミア」はタイに伝統的に存在したプミアと呼ばれる女装する男性のムアン・チョムプー氏がときに男性ときに女性になる話などなど。ウッド氏は軽快な筆さばきで彩り豊かな世界を記している。
コミュニケーション手段が画期的に進歩した今日でも異文化で暮らすと異界観がある。そしてその異界観は現地の人には分からない。なぜならそれが「当たり前」だからである。文化人類学ではそこで生じる違和感を手がかりに文化理解を試みる。なぜこうなのだろうかを考えるのである。後半の「解説 英国人領事官が見た民衆・社会・文化」ではウッド氏のお話からそれらを読み解いている。以下が目次である。
1. タイ、シャム、ラオ、シャン
2. ラーンナー王国
3. 交通
4. 二つの仏教
5. チェンダオ洞窟
6. 寺院の構造
7. 聖なる生き物たち
8. 精霊信仰
9. 恋愛と結婚と家族
10. 第三の性
11. サファイアとルビー鉱山
12. 薬物の流通
目次から分かるように、タイに関する民族呼称の説明から始まり、政治、経済、宗教、親族、歴史と解説している。たとえば、第2話「緑蓮(ブアキアオ)」を読み解くなら解説4「二つの仏教」を、そこにはタイ仏教と異なる北タイ独自のユアン仏教が紹介されている。第4話「魚に餌をやる」なら解説5「チェンダオ洞窟」を、そこには仏陀、天人、仙人、僧侶、精霊、悪霊、それに憑かれた人間まで引きつけるチェンダオの聖性が記されている。そのようにたとえば第14話「独りになれない男」なら解説8「精霊信仰」を、第21話「プミア」なら解説10「第三の性」を読めば現代へとつながる背景が見えてくる。さらに解説11「サファイアとルビー鉱山」では、パイリンという地名が現代タイ語の「サファイア」という単語になっているというトリビア的知識も加えられている。それもまた楽しい。
だから本書には二つの読み方がある。一つはタイの怪奇伝を純粋に楽しむ読み方で、近代合理とは異なる当時の奥深い世界観を楽しむことができる。もう一つは北タイが育む独自の文化を学ぶテキストとしての読み方である。読み進めているうちに北タイの文化や社会を深く学ぶことができるようになっている。筆者としては、北タイについてこれほど詳しく解説しているものをみたことがないので、専門書としても十分活用できると考えている。