世界を震撼させた科学テロ「サリン事件」の教訓とは
記事:東京化学同人
記事:東京化学同人
はじめから毒の正体がサリンとわかっていれば、化学分析はそれほど難しくありません。しかし、何万種類という可能性のなかから正体不明の毒物を特定するのは容易ではありません。事件直後、長野県衛生公害研究所はまさにその難題に直面しました。
松本市の事件現場の池から採取した水の分析データは、今からすればサリンの存在を示す立派な証拠を示すものでしたが、当時は誰一人として、まさか日本の町中で神経毒ガスが検出されるとは想像すらしていない時代でした。
分析を担当した職員は、「たまたまサリンと同じスペクトルを示す別の物質ではないのか、ライブラリーに未登録の物質という可能性はないのか…」など、考えうる可能性を一つ一つ慎重に検証しながら複数の分析技術を使ってデータを集め、ついに「原因物質はサリン」との結論にたどり着きました。発表は事件発生からわずか6日後のことでした。
当時、分析の基準となる標準物質がなく、サリンの知識も少ない中、科学的に正確かつ迅速にサリンを特定した業績は高く評価されるものでした。しかし外国ではすぐには受け入れられませんでした。平和な日本にサリンなどあるわけがないと思われていたからです。
1994年当時は、何しろ「サリン」という言葉すら聞いたことのない人が世の中の大半でした。日本の警察も新聞記者も化学物質に関する知識が乏しかったため、通報した会社員が容疑者として扱われるという悲劇も起こりました。思い込みの怖さ、捜査面・報道面でも教訓の多い事件でした。
翌1995年、大惨事となった東京地下鉄サリン事件が起こると、今度はわずか2時間で毒の正体がサリンと特定されました。松本サリン事件以降、科学者たちが類似事件に備えて準備していたからでした。ただし、誰が何の目的で毒を散布したかは依然はっきりしませんでした。しかし水面下で、科学警察研究所は着実に犯人を追い詰めていました。
Tu博士が研究所に提供したサリンに関する科学文献をもとに、科学警察研究所の科学者たちは、サリンの分解物の一つメチルホスホン酸に狙いを定め、捜査対象となっていたオウム真理教の教団施設周辺の土壌分析を行っていました。そしてその土壌サンプルからメチルホスホン酸を検出していたのです。教団敷地内でサリンを製造している証となる成果でした。
これを受けて警察は教団施設への強制捜査に踏み切りました。動かぬ証拠となるサリンの大規模製造設備などが発見され、事件の実態解明が一気に進んでいきました。長い裁判を経て、2018年、死刑囚13人全員の死刑が執行されました。
一見これで事件は終わったかに見えますが、この事件を風化させてはならない理由がいくつかあります。
サリン事件は、その後の日本でのテロ防止のための法整備に大きな影響を与えました。化学兵器の原料となる化学物質の輸入・扱い・管理に関しては事件当時より格段に厳しくなり、現在では、民間人が隠れて化学兵器を製造することはきわめて困難になっています。
法整備のほか、本書では、毒物の検出、除染、治療に関する事例や技術、情報共有体制なども取上げており、各国のテロ対応や国内の動向も簡潔に紹介しています。関連する制度や緊急時の医療体制の整備は、多くの人命を救うことに直結するため、今後も事件から教訓を得て、社会的に活かし続けていくことは重要でしょう。
著者のTu博士はサリン製造に関わった中川智正死刑囚と東京拘置所で数度の面会を重ねました。その中で、警察の発表と中川死刑囚が証言する内情との間に科学的矛盾がいくつかあると博士は書いています。米国の専門家もその点に気づいているが、日本人が真実を解明すべきと博士は述べています。
また、理系の知識をもった優秀な若者たちが、なぜ科学テロのような反社会的活動に走ったのか、その動機の解明は不十分といわれます。Tu博士も中川死刑囚と科学知識の悪用について率直な対話を重ねました。しかし動機面はよくわからぬまま中川死刑囚の死刑は執行されました。
サリン事件は、化学物質が毒として使われ、事件解明には化学分析が大きな威力を発揮しました。それゆえ科学的手法によらねば論じることができない領域があります。本書はおもにその領域に焦点を当てています。いくつかの謎は残るものの、サリン製造に関する科学的解明はおおむねなされたといえるでしょう。
一方で、科学では扱えない領域の謎も依然として残ります。科学的思考ができる理性的な個人が内面に抱える宗教的信念や社会倫理的に何が正しいかといった問いに対しては、今のところ科学では答えることができません。このことは本書でも浮き彫りになっています。
私たちは、この事件を風化させず、残された謎を問い続けていく必要があります。