「オウム事件は平成のうちに終わらせるべきだ」。法務省幹部のことば通り、オウム真理教の教祖と幹部たちは昨年のうちに死刑執行された。元号が改まったいま、事件はさらに過去へと遠のいていく。
この本はそうした状況に異議を唱えるかのように刊行された。「完全版へのまえがき」と「二〇一九年のあとがき」は書き下ろしだが、本文は地下鉄サリン事件の翌年に発表されたもの。しかし23年を経ても、ほとんど手を加えなくてよかった。「社会情勢は変わっても、私たちの奥底にある不安のあり方は当時と地続きなのかもしれません」
オウムの問いは直球だった。物質的な豊かさのなかで生きることに意味はあるのか。結局は死ぬのに、生きる意味はどこにある?
「つまり、この世に生を受けてしまった自分はどうすれば救われるのだろう、という問いです」
著者は東京大学に入って物理学を専攻した。しかし「求めていたのはこれではない。人間の魂の問題だ」と、文学部へ。座禅の姿勢で腹式呼吸をしているうちに神秘体験をした。オウムの教祖の「空中浮遊」写真の載った雑誌を手にする……。死刑になった理系エリート幹部とそっくりの道のりだ。「オウムに入ってもおかしくなかった。でも宗教には行けませんでした。科学に満足せず、宗教にも入れない。第三の道として哲学の道を歩んできました」
そんな過去を告白するように書かれた本書。学術書的ではなく自分に引き寄せている。文中の言葉を引用すれば、哲学とは「この私が、その全存在を賭けて、世界のあり方と、生きることの意味を、自分自身の頭とことばで考え抜いていくこと」。
なぜ生まれてきたのだろう。どう生きるべきか。そんな問いを抱える若い人にこそ読んでほしいという。(文・写真 磯村健太郎)=朝日新聞2019年5月4日掲載
編集部一押し!
- 杉江松恋「日出る処のニューヒット」 浅倉秋成「まず良識をみじん切りにします」 乾いた笑いを呼び起こす水準の高い風刺(第20回) 杉江松恋
-
- 小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。 芥川賞・松永K三蔵さん「家族が一番です」家庭人、会社員だからこそ書けた「バリ山行」 小説家になりたい人が、芥川賞作家になった人に聞いてみた。 清繭子
-
- 韓国文学 ノーベル文学賞ハン・ガンさん 今から読みたい書店員オススメの7冊 好書好日編集部
- 韓国文学 男女格差・家父長制・貧困…韓国文学に描かれた「いま」を知る 書店員オススメの5冊 好書好日編集部
- インタビュー 楳図かずおさん追悼 異彩放った巨匠「飛べる話を描きたかった」 2009年のインタビューを初公開 伊藤和弘
- トピック ポッドキャスト「好書好日 本好きの昼休み」が100回を迎えました! 好書好日編集部
- インタビュー 寺地はるなさん「雫」インタビュー 中学の同級生4人の30年間を書いて見つけた「大人って自由」 PR by NHK出版
- トピック 【直筆サイン入り】待望のシリーズ第2巻「誰が勇者を殺したか 預言の章」好書好日メルマガ読者5名様にプレゼント PR by KADOKAWA
- 結城真一郎さん「難問の多い料理店」インタビュー ゴーストレストランで探偵業、「ひょっとしたら本当にあるかも」 PR by 集英社
- インタビュー 読みきかせで注意すべき著作権のポイントは? 絵本作家の上野与志さんインタビュー PR by 文字・活字文化推進機構
- インタビュー 崖っぷちボクサーの「狂気の挑戦」を切り取った9カ月 「一八〇秒の熱量」山本草介さん×米澤重隆さん対談 PR by 双葉社
- インタビュー 物語の主人公になりにくい仕事こそ描きたい 寺地はるなさん「こまどりたちが歌うなら」インタビュー PR by 集英社