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剣の錬金術・東西文化考――和と動の実践的思想(上)

記事:春秋社

松浦眞人著 『剣之術――火と水の結び』(春秋社)
松浦眞人著 『剣之術――火と水の結び』(春秋社)

剣とは創造のジンボル

 「剣」という言葉から、皆さんはすぐに何をイメージされるでしょうか。

 日本人およびその文化にとって大切な位置を占める「剣」ですが、これは諸刃の直刀を指すもので、片刃で反りのある日本刀とは本来異なるものです。

 では、日本刀を扱う武士の技由来の武道を現代でも「剣道」、古流においては「剣術」と呼ぶのは、どうしたわけでしょうか。刀道、刀術という言い方もなくはありませんが、あまり日本人には馴染みがないように思えます。

 日本刀の誕生は、平安時代の中期から後期と見られ、源平両家など武家の勃興と同時期です。刀は戦う武士のための道具といえるでしょう。それ以前には、直刀が主でした。

 そもそも、『古事記』の国生み神話の中で、イザナギ・イザナミの二神は「天沼矛・あめのぬぼこ」という矛、つまりは「柄の長い剣」によって国土を創造しました。

 現実にも、衣・食・住という文化の基礎はいずれも刃をもってなされるように、私は日本人にとって「剣」とは、創造のシンボルであると捉えています。

 よって、武芸の刀術、人を殺める破壊の技に、原初にあった創造を重ねることこそが、「剣術」と呼ぶ所以と思われます。剣術は戦いの技として生まれましたが、江戸期以降は、むしろ、心身を鍛錬し、統一するヨガのような、人を活かすためのメソッドとして生まれ変わりました。その「活人剣」の思想が、今日、世界各国で学ばれる日本武道の始まりです。

舞と武の融合

 私は、能楽と剣術という中世に生まれたアートを若き日より学んできました。能は、足利将軍家の庇護を受け大成されたもので、後に戦国大名たちに愛好され、さらに徳川幕府の式楽とされるに至りました。いわば武家の芸能です。

 平安、鎌倉の武士は「弓馬の道」と言われたように、馬術、弓術を主に嗜んだものの、室町、戦国期に起こった剣術が、平時の江戸においては武家の表芸とされるようになったようです。

 いずれも武家の好んだ禅の影響が少なからず見られるもので、その技法、心法、思想ともに共通するところも多く、戦国、江戸期のあまたの武士は実際に両者を学んでいたようです。

 当初はその共通点が分からず、全く別々に学んでいたものの、ある時期よりその「舞」と「武」、舞台表現と武道を一つにすることでその両者を別の次元に上げることができるのではないか、または、これまでになかった表現にできるのではないかと思い、稽古、研究を続けることになりました。かつて存在していたものの、一度失われた道を再発見していく試みといってもいいかと思います。

 その両者の結びの機縁となるものの一つは日本の神話であったのですが、もう一つは西洋のヘルメス主義とも言われる錬金術由来の神秘思想でした。

 私は、日本で修行をしていたものの、ある時期よりフランスのパリに生活の拠点を移すことになり、日本文化の紹介、普及に携わりながら、稽古、研究の会を立ち上げ、活動を続けてきました。それによって、異文化にあって自分の身につけてきた文化、技芸をより高い視点から見ることになりました。シルクロードの終点ともいえる日本で醸成されたアートを、その起点において見つめ直すような感覚も覚えたものです。また、当然逆に、終点は起点であり、起点は終点ともなります。

Masato Matsuura  「結びの技」への道 ©Satoshi Saikusa
Masato Matsuura 「結びの技」への道 ©Satoshi Saikusa

仏語能『メデア』(2023年6月、パリ)©Maxime Pierre
仏語能『メデア』(2023年6月、パリ)©Maxime Pierre

日本剣術と錬金術

 ある時、バロック音楽を奏でるクラヴサン奏者であるフランス人の生徒に、日本剣術の理を説いていたところ、「あなたの教えは西洋の錬金術と同じですね」と言われることがありました。当時は錬金術などには無知で、全く意味はわからなかったものの、何故か引っ掛かるものがあり、解くべき謎かけのように心に残りました。いろいろと調べるうち、なるほどこれは繋がりはあるだろう、むしろ元は一つなのかもしれないと思うようになったものです。

 私の経験の旅路と出会いは私にとって、日本で生まれた自分の文化とその背景に新たに光を当てるものであり、違う角度からの視点を得る、さらには自らをあらためて知る契機となるものでもありました。

 パリを拠点にこれまで、フランス各地、欧州各国、中近東やアフリカ、北米など様々な場所を日本文化紹介のために訪れましたが、いずれの国でも程度の差こそあれ、熱い興味と関心をもって迎えてくれました。単なる異文化への興味を通り越して、渇望に近いものさえ感じられることもありました。今日、まさに一世紀以上前に興ったジャポニズム運動が再来しているかの如くにも見えます。

 その要因をいろいろ考えてみるに、自分たちがその中にかつて持っていたにもかかわらず、文明が進むにつれていつの間にか失われてしまった何かを、日本では大切に守り、残していることが一つではないかと思い至りました。それを一言で表現するなら「和」であり、自他、人と自然、物や空間まであらゆるものに調和を見る思想です。

 科学Science の語源になるものは、ラテン語のscindere (切り分ける)のようで、物事を切り分け分析していくことこそがサイエンスの基本ということなのでしょう。その科学の発達によって文明は進み、人類はそれを享受し、生活しています。

 しかし、それが進みすぎるとどうでしょうか。現在、人と自然は切り離されその一部であることを忘れ、国家という概念で民族も分けられ、個人のアイデンティティという概念によって自他も切り分けられているように見えます。

 それらは現代文明を構築するのに有効かつ必要であったわけですが、何事にも光があれば影があり、さまざまな問題を生むことも当然といえるでしょう。

 サイエンスによって明晰に切り分けられた現代の人類が抱える今日の問題、環境破壊、紛争や差別はなくならないばかりか、ますます増え、富が一部に集中し貧富の差が拡大するばかりの時代において、「和」の文化に興味が集まるのは自然であり、その普及こそが世界を次のステージに上げる鍵となるようにも思えます。

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