1. じんぶん堂TOP
  2. 哲学・思想
  3. 心技体のメソッド――和と動の実践的思想(下)

心技体のメソッド――和と動の実践的思想(下)

記事:春秋社

武蔵の密着・真剣勝負法「入身」。全身を媒体として天地の力、重力を使って相手に密着する術。
武蔵の密着・真剣勝負法「入身」。全身を媒体として天地の力、重力を使って相手に密着する術。

身体を内側から知る

 古来、日本には言葉に霊力が宿るという言霊思想があります。

 一例として、神・カミという言葉は、火・カと水・ミの言霊からなっています。この陰陽相反するものの結びこそが「カミ」となると見ることができます。

 相反するものといえば、左右・ヒダリミギもヒ・火、日とミ・水の言霊からなり、ここにも陰陽があります。陽である左が陰である右に先んじる、これは日本の伝統文化の中に多く見られるこで、能や剣術でもこれが基本になっています(逆もまた真で、逆になる場合ももちろんあるのですが)。またヒは霊であり、ミは身でもあります。

 霊魂こそが身体に先んじるということが、「左右」の言霊に含まれているとも捉えられます。

 我々の存在は眼に見える身体と、見えない心と魂から成っており、それを統一させることが行の一つの目的となり、剣道、剣術において「剣」とはそのために振るわれる道具ともいえます。

 「剣」という神器を扱うために、まずは心と身体を切り分け、分析し、磨いていく。

 例えば、普段は無意識に行なっている「立つ」「歩く」という何気ない日常の行為を、切り分けていく。身体の骨格や筋肉を知り、どのようなメカニズムでなされるか意識を使い冷静に観ていく。これは禅でも行なわれる歩行の瞑想と近いものです。そしてまた、普段ほとんど意識しない、我々の在る空間を支配する力、重力を聴いていきます。立つことも歩くことも、その重力の中で、それに逆らいながら、時にはそれに乗って行われるもので、その力を良く感じ、無理に逆らうことなく動いたほうがより自然で理にかなったものになるはずです。

 剣を使う動きは、自然で無理のないほうが有利であることは間違いなく、これは全ての身体運動においても同じではないでしょうか。同時にこれは、心身にも負担のより少ない健康上も快適かつ有益なものとなります。

 そして、重力を聴いて動くことは、天地の間の空間に意識を広げ張り巡らす瞑想ともなっていきます。

 つまりは、まず身体を深く切り分け観ること、次には空間に意識を広げて観ていくことです。

 それは、身体・ミクロコスモスを空間・マクロコスモスと結んで行くこととも言えます。

武蔵「二天」…「理」を得て動けば剣が自ずと円を描く。©Lucile Godin
武蔵「二天」…「理」を得て動けば剣が自ずと円を描く。©Lucile Godin

伊勢守「猿廻」(真上からの撮影)…「黄金螺旋」に廻る太刀が美しい円を描く。©Lucile Godin
伊勢守「猿廻」(真上からの撮影)…「黄金螺旋」に廻る太刀が美しい円を描く。©Lucile Godin

身体の潜在的可能性を拓く

 そもそも、我々は誰も皆、身体という小宇宙を与えられていますが、それをどれほど拓いたと言えるでしょうか。あまりに巨大な迷宮であるためか、混沌としたままその潜在する力は埋もれてしまっているように思えます。

 科学文明が進むに従い、生活は便利に快適になることは素晴らしいことですが、それに従い、逆に我々の身体は退化しているようです。かつての移動や労働の作業を機械が代わってくれるわけですから、使われなくなったものが衰えるのは自然であり仕方のないことでしょう。

 今後ますます人工知能が発達して、さらに人間の仕事を奪うようになるなら、身体はほとんど動かさず、脳だけでヴァーチャルな空間に生きるような世界に向かっているように見受けられます。

 実際、トランスヒューマンの研究が進み、人間の脳内にマイクロチップを埋め込み外部のデータベースと繋がる技術も実現しているようです。

 そうなると、さらに簡単に手っ取り早く、誰も皆が巨大な「知能」と繋がることができ、ある種の「超人」となることができるのかもしれません。

 しかしながら、それは外部の何者かに依存する、さらには生殺与奪権までも与えてしまう行為でもあり、新しい形で管理される「奴隷」のような存在になることといって過言でないのではないでしょうか。

 容易に外部に頼る前に、我々一人一人には、人類が誕生してから何十万年にも及ぶ記憶がコード化されたDNAが秘められた身体が与えられており、そこには開発の仕様によっては呼び覚ますことのできる力がまだまだ眠っていると考えられます。(人としての記憶のみでなく、実は人類以前の46億年前といわれる地球誕生からの、あらゆる生命の記憶を含んでいるのかもしれません。)

目覚めへの「剣之術」

 現在、資本主義が究極に膨らみ、グローバリストが国境を超えて席巻し、消費者たる大衆の管理化が進む時代に居合わせているようです。

 それに対して、小宇宙である身体を開発しながら、ついには大宇宙に繋がること、それは、人の身体性は失われ、人工知能に管理されていくという趨勢に対するささやかな抵抗にもなるものとも思っています。

 それはまた、アカシックレコードとも呼ばれる集合的無意識に繋がる道であるとも、剣の修行を続けてきた上で実感しています。古の剣聖たちが成した技は残っていませんが、自らの心身を磨き、その記憶をうつしてみることは可能である、と。その領域に波長を合わせるために、心と身体を切り分け、研ぎ澄まし、また結ぶ、それを繰り返すことが稽古(いにしえをかんがえる)にほかならない、と。

 それは同時に周囲の喧騒とは離れて、目が覚めた状態をももたらしてくれるものでもあると。

 火と水とは、心魂と身体でもあり、それを統一した人と空間でもあるのです。

ページトップに戻る

じんぶん堂は、「人文書」の魅力を伝える
出版社と朝日新聞社の共同プロジェクトです。
「じんぶん堂」とは 加盟社一覧へ