いま、サイレント映画に耳を傾ける
記事:春秋社
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ブロードウェイといえばニューヨークの劇場街であり、ミュージカルの本場である。しかし「ブロードウェイ」と呼ばれる土地や通りは各地にある。ロサンゼルスにあるブロードウェイは、かつて映画館街だった。現在はジュエリー地区と呼ばれる宝石店街になっているが、いまなお宮殿のように豪華な「ピクチャー・パレス」と呼ばれる映画館が、閉鎖されたままいくつも残されている。
2024年4月、そのひとつのピクチャー・パレスで日本のサイレント映画の上映が行なわれた。日本の弁士たち3名、音楽家5名によるサイレント映画上映ツアー「The Art of the Benshi 2024 World Tour」の一公演である。1927年にユナイテッド・アーティスツ・シアターとして開場したこの劇場は、かつてサイレント映画を代表する映画人たち(チャップリン、ピックフォード、フェアバンクス、グリフィスら)の映画会社ユナイテッド・アーティスツの本拠地だった。壮麗なスペイン・ゴシック様式のこの劇場で、衣笠貞之助監督の『狂った一頁』(1926年)など複数の日本のサイレント映画が弁士や楽士のライブパフォーマンスをともなって上映されたのは圧巻だった。
弁士という語り手をともなう日本のサイレント映画の文化が、世界的に見ても独特の存在だったことは近年、国内外で知られるようになってきた。周防正行監督の『カツベン!』(2019年)などを契機として、日本国内でもテレビドラマやマンガなどに弁士が登場することも増えている。日本の弁士による語りの文化は「古典」芸能とは呼ばれないにしても、映画をともなう「近代」芸能として再評価・再認識されているのだ。The Art of the Benshiという大規模なツアーが行なわれていることもまさにそうした事態の反映といえる。
また、サイレント映画そのものにとっても現代は興味ぶかい時代である。映画の最も古い形式であるサイレント映画が、現代の音楽や語りとともに上映されることが増えているからである。サイレント映画は無音で観なければならないと考えられていた時代もあるし、確かに無音で観たくなる作品もある。しかし近年は国内外で広くさまざまなジャンルの音楽家の生伴奏をともなう上映会が広く行なわれるようになり、弁士たちの「説明」(弁士の語りをこのようにいう)をともなう上映も増加している。時にはお笑い芸人、声優、俳優が「説明」を試みる催しも行なわれるなど、弁士の文化がおもしろい広がりを見せている時代なのである。
そうした時代に、先日上梓した拙著『映画館に鳴り響いた音』では、日本のサイレント映画がともなっていた声や音楽の忘れられた歴史を浮かび上がらせることを試みた。これまでにも、この分野の書籍をめくれば、サイレント時代の日本に弁士がいたことや、その語り方が歴史的に変化したことなどは知られていた。1910年代から1920年代にかけて、弁士の「説明」のスタイルが変化し、音楽伴奏も三味線などの「日本音楽」から洋楽器による「西洋音楽」的なものへと変化したことも記されている。
しかしあらためて史料に向き合っていると、このような理解はかなり多くのものを取りこぼしてしまっていることが見えてきた。ひと言で「日本音楽」といっても三味線などだけでなく、西洋のmusicなどの翻訳語である「音楽」におさまりがわるい「語り物」という、義太夫、新内から、琵琶歌、浪曲といった音楽的な語りの伝統が映画館に流れ込んでいた。また「西洋音楽」といっても、サイレント時代の映画館では、ピアノやヴァイオリンなどが、三味線から琵琶歌といった日本音楽と共存していた。1910年代から1920年代に音楽伴奏が「日本音楽」から「西洋音楽」に変わったという図式的理解では捉えられない「日本音楽」「西洋音楽」それぞれの多様性があったのだ。
私はこの10年ほど、こうした歴史の読み直しを進めながら、忘れられた歴史的な音楽や語りをともなうサイレント映画上映を「再現」する企画に携わっている。現代のサイレント映画上映で多く見られるのは1920年代の標準的なスタイルを引きついだものだが、実際にそれ以外の上映スタイルに接してみると、「日本音楽」「西洋音楽」「弁士の語り」をあまりに単純化して捉えていたことを痛感することになった。
2022年には、1910年代の「旧劇映画」と呼ばれた時代劇を、当時の上映スタイルにもとづき歌舞伎俳優の声、囃子鳴物、ツケの音とともに上映した。このときには、現代の弁士の語りや西洋楽器の伴奏音楽だけでサイレント映画を理解した気になってはいけないと思うと同時に、歌舞伎の伝統と映画が交差したこんなおもしろさがありえたのかと目を見開かれる思いだった。過去の上映スタイルの「再現」は、たんなる学術的な催しであるだけでなく、映画の楽しみ方に新しい可能性を拓くものでもある。
現代は映像体験がスマートフォンやタブレットでも簡単になった時代だが、近年こうした「カジュアル化」した映像体験に対して、映画館や劇場などでの応援上映や生オーケストラ上映といった具合に映画体験を「イベント化」する楽しみ方も再認識されつつある。サイレント映画だけでなく、ライブによる語りや演奏をともなう上映が、映像文化のあり方として模索されている時代なのだ。多彩な実演をともなって上映されてきたサイレント映画という原点は、映画の楽しみ方が多様化している現代にこそ映画や音楽の新たな可能性に気づかせるヒントに満ちているのではないか。ロサンゼルスのピクチャー・パレスでアメリカの観客とともに悲劇から喜劇までさまざまな映画に接し、熱のこもったパフォーマンスを行なう弁士や楽士たちを目の当たりにしながら、私はそのような思いを強くした。