松岡正剛はマレビトである。 追悼・松岡正剛(1)
記事:春秋社
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「松岡正剛氏、逝去」という衝撃のニュースが飛び込んできた。享年八十歳。いまの八十である。早すぎる死というほかない。超ヘビースモーカーが災いしたらしい、というが本当かどうかは分からない。謹んでご冥福を祈りたい。
若くして前衛雑誌『遊』を立ち上げ、編集長として一世を風靡した。「情報文化と情報技術をつなぐ」という編集工学を唱え、みずから実践。2000年からは「千夜千冊」の連載を開始、死の直前まで書き継ぐ。日本と世界の可能性を問う「近江ARS」のプロデュースが最後の仕事となった。近江ARSについては次回で。数多くの著作をモノし、数々のプロジェクトを挙行、多くの人々を巻き込んで颯爽と時代を疾駆した。めくるめくような多彩多能の人だった。
そんな彼が、伝説のオブジェマガジン『遊』を卒業して自立、最初に書き上げた著作が『空海の夢』(春秋社)である。もちろん、それまでに『遊』にいくつもの論考を発表し、いくつかの著作もあったが、独立し本格的に書かれた単著が『空海の夢』であった。その意味で、松岡にとって『空海の夢』は記念碑的著作であったといっても過言ではない。
いま記念碑的といったが、じつはそれは出版的にもそういえるようだ。というのも、この本は、なんと三度も版を改めている。初版本と新装増補版本と新版本だ。こういう例はそうざらにはない。聞けば新版本もずいぶんと刷りを重ねているという。最初から通算したら何刷りになるだろうかという、それほどの数だ。初版から数えて40年、類のない息の長さだが、それだけ読者に迎えられているということだろう。
よく空海論の筆頭にも挙げられる本だが、なにがそんなに読者を惹きつけるのか。
だがその前に、いま射程が長いという意味のことをいったが、それはつまり、逆にいえば「空海論」が停滞しているのではないか、ともいえないか。それはそれで大きな問題だが、ここでは深入りしない。たかが空海論などというなかれ、その向こうには、仏教論あるいは日本仏教論の険しい課題、懸案が透けて見えるのではないか。
それはさておき、『空海の夢』は何度読んでも面白い。興味が尽きない。刊行から時間は経っているが、いつ読んでも新しい局面が立ち現れる。そんな声をよく聴く。著者自身も次のようにいっている。「空海の夢」とは、空海が見た夢というだけではなく、空海をめぐってさまざまな人のさまざまな夢でもあるのだと。たしかに、一々例は挙げないが、ざっと本書全二十八章の目次立てを見ただけでも、それは首肯できるだろう。
本書は、明恵の『夢記』の話から始まる。周知のように、日本中世の優れた仏教者、明恵は、自身の見た夢を克明に記録したことでも知られる。それが『夢記』だ。
――ある日、明恵がふらりと空海とおぼしき僧侶の後についていくと、その僧はある家に入っていく。なかなか出てこないので覗いてみると、静かに眠りに入っている。そっと忍び寄ってみると、その枕元にしっとりと濡れた美しい両眼が置かれている。明恵は思わずその両眼を抱いて懐(ふところ)に入れようとしたところで、目が覚めた。
この斬新な一節から『空海の夢』は始まる。あとは一気呵成、絢爛豪華、怒濤の勢いで、話は突き進む。それこそ万華鏡のように、さまざまな視角から〈空海〉を読み解いていくのだ。現代と古代が入り交じり、洋の東と西が交叉する。詩は哲学となり、哲学は詩となる、というべきか。渾身の一冊にふさわしい、まさに松岡ワールドである。そこに何の矛盾もなく、何の違和感もない。陶酔と酩酊と覚醒が残されるだろう。
しかし、だからといって、そこに何か物わかりのいい統一的な空海像が示される、というわけではない。そうではなく、空海的なるものをめぐって謎はさらに広がり深まる。そうではあるけれど、もちろんそこではもはや謎は謎ではない。正解は正解ですらない。問いは空海を超え出て、あるいは空海を包み含んで、世界と日本の現在性に向かうだろう。
著者は何度か空海のことを夢に見た。そのことが本書を書く動機になったという。それこそが「空海の夢」だが、初版のあとがきにこう記す。抜粋して示そう。
――お茶を呑んでいたら、茶碗に月がへばりついていた。はがしてみると、その縁に仙人がいる。ああ、そんなこともあるのかとおもっていると、隣りにいた男が「お大師さま」と呼んだ。まわりを眺めると、数千数万の比丘比丘尼が同じ茶碗で何かを呑んでいた。
これは奇妙な夢だろうか。こうして『空海の夢』をひっさげて、松岡正剛は新たな一歩を踏み出すのだ。