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松岡正剛は魔神である。 追悼・松岡正剛(2)

記事:春秋社

『別日本で、いい。』(春秋社刊)と松岡正剛氏
『別日本で、いい。』(春秋社刊)と松岡正剛氏

 松岡正剛は多くの著述をモノしたが、もちろんそれに止まることはなかった。それよりも、単独で動くよりは、多くの人を巻き込んで共働してコトを成就する、というスタイルを好んだ。稀代のオルガナイザーでもあった。

 内部に向けても外部に対しても複数性を志向した。そこでは、ネットワーク性ということもあるが、関係なさげに見えるものを繋ぎ合わせて全く新しいモノとコトを作り出すという「編集の手法」が大きく作用した。のちに松岡は、それを編集工学と名づける。

 当然のように、数多くのプロジェクトを実行し、その社会的実装をも目指した。ちょっと思いつくだけでも、松丸本舗、NARASIAなどなど、数え切れないほどだ。

 一方で、本の世界とは縁が切れることはなかった。というよりも、本の世界もまた松岡にとっては、ひとつの知のプロジェクト、その実験場であっただろう。社会的プロジェクトとの往還ということもあった。『アート・ジャパネスク』や『情報の歴史』などなど、これも挙げ出せば、キリがないだろう。

本のタイトルは『別日本で、いい。』

 そんな松岡の魔神的な活動のすべてを、この短い誌面で語り尽くすことはできない。ここでは、松岡がその晩年近く、精魂を傾けた「近江ARS」について取り上げたい。

 本年(2024年)4月末に刊行された、松岡正剛編著『別日本で、いい。』(春秋社)という、興味深い本がある。サブタイトルは「近江ARSいないいないばあBOOK」という。

 A5版というから、ちょっと大ぶりの本で450頁を超える大著。執筆者も何と80名を超える。園城寺(三井寺)長吏の福家俊彦、仏教学の末木文美士が執筆代表として名を連ね、さらに隈研吾、山本耀司、田中泯、森山未來などから始まって、田中優子、高村薫、伊藤比呂美、ヤマザキマリなどなど、じつに多彩な執筆陣である。

 フルカラーに近い斬新なレイアウト、細部まで行き届いたブックデザイン、造本装丁も現今ではありえない独特さ。ずっしりと感動的な編集本であるが、これらはぜひ書店で手にとって、ご自分の目で確かめていただきたいと思う。

 図らずも遺著となってしまった大作だが、松岡は最後まで厳しく、自らのディレクショシのもと編集の複層性を貫いたのである。

 過ぎし日の編集会議、声も出にくくなった痩身の姿で、ダメ出しをする松岡正剛の胸裡に、在りし日の『遊』の面影は去来しなかっただろうか。今となってみれば、ふと、そんなことが思われもするのだ。

思想的遺書で語られたこと

 あらためて「近江」は、琵琶湖が穿たれた日本のセンター。「ARS」は、アナザー・リアル・スタイル、あるいは、アルス・コンビナトリアとも。

 「近江ARS」は、近江の地から、「別様の可能性」「別様の日本と世界」を探究し発信、その社会的文化的実装を目指すプロジェクトである。近江の多くの企業人、起業人、政治人、文化人、宗教人などなどが参画する。

 そのマニュフェスト本でもある『別日本で、いい。』は、多くの論考・エッセイも一廉だが、とりわけ第一幕の松岡正剛「世界の語り方を近江から変えてみる――アルス・コンビナトリアと別様の可能性」は格別である。最後の思想的遺書と言っていいだろう。

 「別日本」を産み出すことができなければ、日本と世界はもうダメだ、滅びるしかない。そうならないために、われわれは何をどうすればいいのか。その「方法」を噛んで含めるように指し示すのだ。こんなことは珍しい。そこでは「いない、いない、ばあ」の妙味も語られる。興味のある方は、ぜひご一読されたい。

なぜか、仏教?

 最後に一言。本書は全四幕仕立て。その第三幕が「仏教が見ている」だ。読者は一瞬戸惑うのではないか。なぜ仏教なのか。ここは「日本仏教」だろうが、いずれにせよ、どうして「仏教」が出てくるのか。そんなものがなくとも「別日本」は語れるのではないか、と。

 いや実際、著者は本書の構成にあたって「日本仏教が下敷きになっていて、そこにさまざまな近江ARSがバチバチと爆ぜているという構図」を考えたと言うのだが、それ以上なぜ仏教なのかは語られない。

 ところが著者は最後に芭蕉を引きながら、「虚に居て実を行ふべし」という。「実に居て虚にはたらくのではない」と。ここが眼目であろう。明敏な読者にはおわかりいただけるだろう。流れるような仏教性というものを抜きにして、何かを語り伝えることはできない。そう喝破するのだ。

 すでに紙数が尽きた。あらためて、ご冥福をお祈りしつつ筆を擱きたい。急いで付け加えれば、「冥福」という慣用的な言葉に「冥なるものの福」という格別を言挙げしてみせたのは、松岡正剛その人でもあった。

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