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「隷属への道」の亡霊は今も 後編

記事:春秋社

春秋社・経済の本棚
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社会主義失敗の要因

 社会主義の決定的な問題点は、その体制下には起業家がいない、あるいは存在できないということにある。起業家とは、ビジネスのアイデアを持って銀行や裕福な個人から出資を募り、事業が成功すれば対価を受け取り、失敗すれば経済的な損失という罰を受ける個人のことである。社会主義者の共通の認識では、「自由に事業をやらせるから、貧富の格差が生まれる」、「政府がすべての産業を直接にコントロールすれば、貧富の格差は生じない」。 

 19世紀から、石油の活用、鉄鋼業の発展、自動車の大量生産、飛行機の生産、コンピュータの発達など、人類のライフスタイルを大きく変えてきた多くのイノベーションが起こった。これらの多くがカーネギー、ロックフェラー、フォードなどの個人によって担われてきたが、こういったイノベーションが社会主義政府内の経済委員会、その他の計画当局などから生まれることは想像できない。

 一度でも組織で働いたことがあるなら、組織内で新しいことを試すということがいかに難しいかがわかる。多くの面倒な組織内の審査、いわゆる「官僚的硬直性」を乗り越えなければならない。個人が私有財産を持ち得ない、あるいは事業を起こすに十分な資源を持つことが許されない社会主義体制では、どういった経済的な企ても1人、あるいは数人だけで決断することは許されない。そこから自動車や飛行機などの革新的なイノベーションが生まれる可能性は存在しない。

 これまでの社会主義経済学者は、経済活動におけるイノベーションの意義、新しい技術の重要性などについて十分な洞察をしていなかった。例えば、マルクスは19世紀中庸のイギリスにあった綿織物工場のような程度で、すでに十分に高度に発達した産業経済だと考えていたし、それ以外の経済学者たちも常に自分の時代の経済的な発展は、十分な高みにあると認識していた。

 経済における起業家精神の重要性を説いたのはオーストリア学派のミーゼスであり、ミーゼスの学統を継いだカーズナーである。また「創造的破壊」という概念を提唱したシュンペーターもいる。彼らだけが、経済成長における起業家とイノベーションの重要性に注目した経済学的な議論を展開したのである。

起業家精神が経済を活性化する

 20世紀の発明は人間の生活を変えてきたと書いたが、今世紀に入ってからはインターネットを基盤としたソフトウェア、今後はAIの実用化、そして宇宙産業の発展が目覚ましい。そして実際に、これらの分野において多くの独創的な起業家が現れている。

 社会主義者たちのスローガンでは、「富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しくなる」。彼らは富は世代を超えて受け継がれ、不平等はますます広がると言っていたが、それは21世紀の富のあり方とはそれほど合致していない。

 フォーブス誌による2024年の富豪番付を見てみよう。1位のイーロン・マスクは南アフリカからの移民であり、金融ソフトのペイパル、電気自動車のテスラ、宇宙ロケット開発のスペースXなどの独創的な起業を行った。2位のジェフ・ベゾスは誰もが使うアマゾン社の創業者であり、3位のマーク・ザッカーバーグはフェイスブックの創業者、4位のラリー・エリソンはリレーショナル・データベース・ソフトのオラクルの創業者、6位のラリー・ペイジはグーグルの創業者である。彼らの誰一人として、親の財産によって成功したものはいない。実際、フォーブス誌の400人の富豪を調べた実証研究でも、起業による富豪の割合は、1980年の4割に比べて、2010年代の富豪の7割へと上昇している。彼らは独創的なビジネスのアイデアを思いつき、自分でリスクを取って果敢に事業を成功させた結果、富と名誉を得た。こうした状況は、日本でもソフトバンクの孫正義、ユニクロの柳井正などの起業家たちに当てはまる。

 また重要なのは、彼らの莫大な富は、彼らの起こした企業が消費者に与えるサービスの価値を反映したものであることだ。ノードハウスたちの研究では、富豪たちは実現された社会的な富の2%しか受け取っておらず、残りの98%は消費者がより高い生活水準として利益を得ているのだ。

 こうした起業家の莫大な富に応じた経済的な進歩は、集団ではなくて個人の力によるものだ。「社会が成熟して複雑になれば、その理解は個人の手に負えなくなって、集団による意思決定が重要になる」という命題は完全な誤謬だった。

 本書は純粋な理論的学術書であり、こうした現代社会の「世俗的」な側面と傍証については一切記述していない。社会主義が失敗する必然的な要因は起業家精神が活かせないからだという命題を、ハイエクの提唱した情報の属人性の理論から論理的に説明している。しかし、ここで私が強調したいのは、ミーゼスやハイエクの抽象的な経済理論は現代の世界をよく説明するということだ。それはすべての社会主義経済が崩壊したこと、そして世界が複雑化するに従ってますます起業家の重要性が上がってきていることである。

 本書のスペイン語初版は1995年であり、まさに社会主義世界の崩壊直後である。それから30年が経過して、若い人々は社会主義体制での悲惨な生活を知らなくなり、そうした悲劇を招いた理由すらも考えなくなった。そして「民主社会主義」や「社会民主主義」という変化球なら、今度こそはうまくいくだろうと再び考えるようになった。

 しかし大きな政府によって市民生活・経済活動の場当たり的・恣意的なコントロールをするような政策は、すべてかつての社会主義の病理へとつながる「隷属への道」だ。本書によって、すべての社会主義には必然的な失敗の理由が存在することを理解してもらいたい。そうすれば、ライドシェアから自動運転、ドローンまですべてを禁止している日本という国では、それらの産業規制が人々から起業家精神を奪い、社会は長期的に衰亡せざるをえないことが自然と理解できるだろう。

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