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「隷属への道」の亡霊は今も 前編

記事:春秋社

へスース・ウエルタ・デ・ソト著、蔵研也訳『社会主義・経済計算・起業家精神』(春秋社)
へスース・ウエルタ・デ・ソト著、蔵研也訳『社会主義・経済計算・起業家精神』(春秋社)

社会主義体制への期待

 社会主義という言葉にどういった響きを感じるかは人によって異なる。それでも、現在55歳をこえている人と40歳よりも若い人では、おそらく感じ取るイメージには大きな違いがあるのではないのだろうか。

 私もその一人だが、1989年のベルリンの壁崩壊から1991年のソヴィエト連邦の崩壊の時点で大学生以上あるいは成人していた人々にとっては、「社会主義」は疑いなく世界に実在していた。ソ連や中国、ヴェトナム、北朝鮮といった「東側世界」、「社会主義諸国」という言葉で括られた国々があり、実際に「社会主義」体制のもとで世界の人口の3分の1ほどが暮らしていた。

 しかし当時、アメリカやドイツ、フランスに比べて、ソ連や中国といった東側世界は単に人々の生活水準がはるかに低かっただけでなく、そこには音楽や映画などの魅力的な大衆文化も存在しなかった。そして命をかけた亡命は、すべて東側から西側へ向かうものだった。これらのことは、誰であれ、当時を覚えている人間には当然の事実だろう。少なくてもロシア革命から始まった20世紀の「社会主義」の歴史は、大失敗に終わった巨大な社会実験だったのである。

 こうして1990年代には、社会主義に希望を見出す政治的な態度は、一旦は否定されることになった。ここで言う社会主義とは、マルクスなどが構想したような素朴な生産手段(工場設備や農場など)の共有、つまり国有化のことである。東側世界の失敗によって、人々は社会主義の生産効率が資本主義よりも劣ること、そして社会主義では、個人の生活が監視され、情報は検閲され、自由で創造的な精神的、肉体的活動が許されない警察社会であることを理解した。これは今でも北朝鮮で続いている。

 しかし、30年以上も前にソ連などの主要な東側諸国が消滅した。逆説的なことだが、それによって、現在40歳よりも若い世代にとっては再び「社会主義は素晴らしい」と勘違いできる素地が生まれてきた。現在の若手知識人にとっては、過去の社会実験の失敗は、近現代史を自分で掘り起こさなければ特に知ることはない。

 実は19世紀中庸のマルクス以前にも、ロバート・オーウェンやサン・シモン、シャルル・フーリエなどによる社会主義コミュニティへの社会実験は、散発的に各地で何度も行われていた。それらはすべて失敗に終わっていたが、マルクスなどはそうした失敗の歴史を特に気にもせず、「空想的」だったと評価したのである。歴史は繰り返し、今また社会主義についての大いなる勘違いが可能になり、かつてと同じように広がりつつある。

「経済計算」とは何か?

 さて本書『社会主義、経済計算、起業家精神』は、20世紀社会主義の失敗の原因をオーストリア学派の視点から分析したものだ。オーストリア学派とは、ウィーン大学で研究を続けた一連の経済学者たちの経済思想のことで、その流れはカール・メンガーに始まり、ミーゼス・ハイエクによって大まかに完成した。

 オーストリア学派の主な特徴は、明示的に経済を時間的に展開するものとして捉えること(動学的把握)や、その発展の原動力として起業家を重視すること、そしてそのためには個人の自由が不可欠であると考えること、などである。本書の著者ウエルタ・デ・ソトはこの流れの直系にあたる自由主義経済学者であり、スペインのフアン・カルロス王大学で教鞭をとっており、またアメリカのミーゼス研究所の上級研究員でもある。

 さてオーストリア学派の分析では、社会主義の生産効率が致命的に低いのは、「経済計算」ができないからだ。「経済計算」という言葉は耳慣れないかと思うが、つまりは「商品生産の会計」と表現できよう。

  ある商品を作るためにどれだけの資源が投入され、その商品はどれだけの価値を生み出すかを計算するには、何らかの共通単位での会計を行うことで評価するしかない。資本主義のことを拝金主義だと侮蔑する人々は、「儲かる商品の価値が高いとは言えない」「価値がないものが高値で売られている」などと嘯く。自らには、単なる金銭的な評価を超えた社会的・道徳的な価値を判断できると吹聴・喧伝するためだ。

 しかし、翻って考えてもらいたい。人々が大いに望み、高い金を支払ってもほしいと思う商品を、わずかな安価な資源から、あるいは低い生産費用で作り出せるのなら、それは社会的に素晴らしいことではないのか。結果的に、そうした商品は消費者にも生産者に大きな利益ももたらす。

 これに対して、社会主義者たちは既存の消費社会を支える価値観は「くだらない」大衆文化であると蔑んできた。よってなんであれ自分たちが重要だと考える商品の価値は、一般大衆である人々が支払おうとする金銭以上のものだと独断的に考える。こうしてソヴィエトのように、支配階層によって認められた製品だけが製造される、文化も躍動感もない社会ができあがる。社会主義では支配階層の価値観が優先されるばかりで、どんな商品がどれほど作られるべきかを、消費者の嗜好と支払いの意思に合わせて決定することができない。これが社会主義失敗の決定的要因の一つだ。人々が欲しているものをもっとも効率的に提供するためには、自由市場を通じた経済計算が不可欠だ。実際に、ソ連や改革開放以前の中国の生活水準は、アメリカやドイツ・フランスなどとは比べ物にならないほどに低かった。

 本書のタイトル『社会主義、経済計算、起業家精神』が示唆しているように、社会主義失敗のまた別の決定的な要因は、社会主義体制では個人の「起業家精神」を活かせないということにもある。それは自由な人間行為、活動を許さなければ、創造的なイノベーションと経済発展は起こせないということである。

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