光り輝く線をさがして みすず書房・鈴木英果 (編集者リレーエッセイ第9回)
記事:じんぶん堂企画室
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バトンを渡してくれた人文書院の浦田さんにはお会いしたことがないのだけれど、前回のエッセイで挙げられていた本はみな読んでいた。編集をしていると、そのような新しい線に出会うことがある。ジャンルを渡り、新たな世界を開いてくれるいくつもの線があることに気づいたのは、この仕事をはじめてからだった。
みすず書房に入った年につくったのが『小さな建築』。象設計集団の設立者のひとり富田玲子さんの仕事を語っていただいたものだ。
「本来、建築も都市も、まことに楽しいものです。天空へのあこがれが、人間に塔を作らせます。〔…〕塔の中にたくさんの床を詰め込むから、超高層建築はおもしろくないのです。一階建ての超高層建築だったら、どんなに素晴らしいでしょう。」高層ビルに入るとき、もしここが一階建てだったら?とこの言葉を思い出す。
建築は国や大企業など大きな力がつくるものだと思っていた。だが富田さんは、ゆったりとした口調で、驚きの考えを語ってくださるのだった。小学校の廊下に、子供が隠れられる「小さな場所」をいくつも作ったこと。小さな子は手で世界を認識するので、保育園の壁や床をやわらかい素材にしたこと。「私の家に来て」と言えるように、特別養護老人ホームのユニットにそれぞれ「けやき荘」など名前をつけて木を植えたこと。弱いときほど環境が生を左右する。「心地いい」からはじまる建築は、ひとの尊厳を守るんだと目から鱗が落ちた。
初版の装丁は、富田さんが描いた学校の平面スケッチになった。事務所にうかがうと、木造2階建ての年季の入った家で、庭から心地よい風が吹き込んでいた。スケッチはのびのびとした線で鮮やかな色が躍っていて、建築がそこにいることを喜んでいるようだった。
建築を何も知らないのに仕事を任せてくださった富田さんの大きさに感謝するばかりだけど、本づくりはそんなことの連続かもしれない。初めは何が出来上がるのかわかっていない。霧の向こうに光があるのだけは見えていて、えいやっと本に飛び込むような感じだ。
『ガザに地下鉄が走る日』のタイトルを、岡真理さんは最初から決めておられた。けれども13章分の原稿をいただいても、この言葉は出てこなかった。最終章の14章ではじめて登場したとき、そこに込められた希望の深さにしばらく言葉が出なかった。14章まで読んで、はじめてわかる言葉だった。
この本が出たのはガザへのジェノサイド攻撃が始まる2023年の5年前で、もとになった連載は2016年に始まっている。そしてその20年前、すでに「パレスチナは訪れるたびに最悪を更新している」と言われ、「希望はどこにあるのですか」と聞かれたとある。今始まったことではなく、40年のあいだ岡さんはそのような状況に関わりつづけてきた。今ジェノサイドが進行中であることにいたたまれなくなる。『ガザとは何か』(大和書房)と一緒に読み返している。
岡野八代さんというすごいひとがいるから聞きに行こうと、「女性・戦争・人権」学会に同僚と行ったときはまだ20世紀だった。その発表には本当にびっくりした。びっくりしすぎたのか、論考がおさめられた『法の政治学』(青土社)はなぜか2冊持っている。「暴力はいかにしてことばを奪っているのか」「日本の現実の内部にありながら外部者として扱われていた」という言葉は、のちにカロリン・エムケの『憎しみに抗って』『なぜならそれは言葉にできるから』(いずれも浅井晶子訳)をつくるときに、私の耳に響いていた。
『フェミニズムの政治学』を書いていただけることになったときは、本当にうれしかった。近代政治の前提である「自律した主体」は、じつは、ひとが「依存する存在」であることを忘れているから成り立っている。ヴァルネラブルな存在であることが人間の条件なのだ。依存の場であるケアにおいて非暴力の関係をつくってきた女性たちの経験から、社会を、グローバルな平和を考える。政治学の土台を問うものだが、生活の実感から考えてみれば、こちらが本当ではないだろうか。12年後に刊行された『ケアの倫理』(岩波新書)はさらにその先に歩を進めている。そしていま紡ぎだされている平和の思想に目が離せない。
フェミニズムのおもしろいところは、反対することと創造することが同時に行われることだと思う。既得権を持たない者の価値を棄損し、いないことにする社会にNOと言うことで、ひとを生かす世界が見えてくる。上野千鶴子さんの『アンチ・アンチエイジングの思想』は、老いの本であると同時にフェミニズムの批評性が存分に発揮されていると思う。その書きぶりは自由自在で、はやくも30代で問題の所在をつかみとり、その後膨大な調査を行い、自らと他者の経験を考察し、過去のテクストと対話し、いま読んでいる人を励ます。まさに人文知だと思った。
オビの「生きるのに、遠慮はいらないわよ!」は、上野さんが友人にかけた言葉から引用させていただいた。生きるのに遠慮をさせられる社会で、ひとりの女性が友人を励ます言葉なのがフェミニズム的だし、この本を象徴していると思った。
いままで受け取った原稿でいちばん驚愕したのが、吉増剛造さんの詩集『怪物君』。その原稿は、高さ45センチ、幅10メートル以上の壮大な巻物で、ただならぬオーラを放っていた。触れるのもためらわれるその巻物を本のかたちにするために、文字起こしをするのが私の仕事だった。変換予測通りの言葉がひとつもなくて四苦八苦したのだが、そのうち変換機能がおかしくなってきて、「よみ」と打ち込むと「黄泉」と出てくるようになった。驚いたのは、活字という誰でも読める形になったのに、オーラがまったく損なわれていないことだった。凄腕のオペレーターが組版をしてゲラが出来上がった。言語がはじまる瞬間を目撃すると同時に、生者と死者のさまざまな喜びや苦痛やため息が無限に折り重なっているようだった。
いまお薦めしたいのは、矢野久美子さんの『アーレントから読む』。生きていく土台が揺るがされるとき、体系的な知ではなく、断片からしかできないことがあるのではないか。よりどころが奪われたとき、友情だけが世界をつないでくれる。「人と人のあいだで人間であることを学ぶことは、まだ私たちにもできるのではないか」というのは、いまとても大切な問いだと思う。
ふつうに生活しているだけで、「こうしなければいけない」と強い力がいつのまにか生き方をひとつに狭めてくる。けれども本当は多様性という言葉ではおさまらないくらい、無数の線が引かれている。そうした世界を見ることができる人がいる。書くことは本当に大変なことだけれど、光り輝く線を発見して、これからも紹介していきたい。
つぎにバトンをお渡しするのは、岩波書店の藤田紀子さんです。『スピノザ全集』『ジェンダー社会科学の可能性』『混迷するシリア』から『事典 和菓子の世界』まで、じつにさまざまな本をクオリティ高く手掛けられ、その本づくりには強い芯を感じさせられます。岡野八代さんの『ケアの倫理』と梨木香歩さんの『ほんとうのリーダーのみつけかた』がとりわけ好きな本です。シンポジウムなどでよくお会いするのですが、あまりお話ししたことはないので、本のことを伺ってみたいと思いました。