差し出され、取り戻し、共有していく言葉たち 「エトセトラブックス」代表、編集者 松尾亜紀子 (編集者リレーエッセイ第14回)
記事:じんぶん堂企画室
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バトンを渡してくれた「本と喫茶 サッフォー」店主で編集者の山田亜紀子さんが前回書いていたのと同じく、私も、これまで自分が人文書をつくる編集者だという意識を持ったことはなく、フェミニストの編集者として本をつくっている。
ただ、振り返ってみれば、エトセトラブックスの前に勤めていた出版社で、フェミニズムの本を編集しだしたのは、2000年代後半、編集部の人文書をつくるチームに異動になったのがきっかけだった。
(いまもそうかわからないが、その出版社は、編集部のなかにさらに細かいジャンルで区切られた課がいくつもあり、わりと頻繁に異動があった)
なるほど人文か……人文の定義はよくわからないが、それでは、少し前から胸にあったフェミニズムやジェンダーの本(だけ)をつくらせてもらいますと、「だけ」は心の中で宣言してそれから数年を過ごした。辞表を出したとき、当時の上司も社長も特に引き留めもせず、「松尾さんは、フェミニズム以外やりたくないってことだろ」と苦笑まじりに応援してくれたので、私の試みは当たり前に周囲にバレていたようだ。
それから8年、エトセトラブックスとして、フェミニズムだけをやれている。本や雑誌を編集して刊行して、ふたりの仲間とともにフェミニズムの本を集めた書店を営む毎日だ。
「エトセトラブックス」の社名は、作家の松田青子さんが名付けてくれた。出版社の立ち上げは進んでいるのにいつまで経ってもこれぞという名を思いつけない私を見かねて、ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』(竹村和子訳、青土社、1999)の「無限のエトセトラ」という一節から、こんなのどうですか? と差し出してくれたのだ。
この名前を得て、これまで気が遠くなるほど長く続いてきた家父長制の社会で追いやられ、「エトセトラ」つまり「その他」とされてきた女性やフェミニストの声を届ける、という私たちの方針が言葉になった。
2025年に刊行した『部落フェミニズム』(熊本理抄編著、藤岡美恵子・宮前千雅子・福岡ともみ・石地かおる・のぴこ・瀬戸徐映里奈・坂東希・川﨑那恵著、エトセトラブックス)は、編著者の熊本理沙さんが、この「エトセトラ」の言葉に共鳴して連絡をくれたところから始まった。
(…)女性解放運動のなかで「その他」とされる声、部落解放運動のなかで「その他」とされる声、無限にあったのに歴史の「その他」としてさえ記録されない声、無限にありつつも、中心と「その他」の関係は揺るがないと見なされる声。
部落女性の被る抑圧、かれらが担ってきた生活と運動、それらから生まれる思想を本にしたい。書き手自身も部落女性で、自身の経験を絡めながら書く本をつくりたい。
『部落フェミニズム』編者まえがきより
熊本さんからの提案に、「ぜひ刊行したい」と迷いなく即答した私だったが、この本の執筆がどれほど葛藤を生み、覚悟のいる実践なのかまったくわかっていなかった。
「寝た子を起こすな」と言われ、積極的に隠されることも多い部落のなかで「二重、三重の差別と圧迫」を訴えてきた部落女性たち自身の声が、なぜこれほど残されていないのか。1章で藤岡美恵子さんが書いている通り、自分が無知・無関心の制度的レイシズムの内で生きていたことを突きつけられる日々だった。
それでも、9人の著者にひたすら「書いてください」と言い続けたのは、編集者としてできるのが、唯一それだけだったからだ。9人の著者には書くべき言葉がすでにあり、私はそれを一言も漏らさずそのまま聞かなければと思った。
戦後、部落解放運動のなかで生まれた「識字学級」には、差別ゆえに学校に通えず、学校でも差別され読み書きが習得できなかった多くの部落女性たちが通っていた。その歴史や個々の語りは、本書の数章で触れられているのでぜひ読んでほしいのだが、川﨑那恵さんの章末には、1970年代から識字教室(学級)で学んだ山本栄子さん手書きの「水平社宣言」が掲載されている。
先日お亡くなりになった山本さんと直接お目にかかることは叶わなかったが、山本さんの著作『歩―識字を求め、部落差別と闘いつづける』(解放出版社、2012)は、彼女が奪われた文字を取り戻し、言葉と尊厳を取り戻す生きつづける記録だ。
その本を読み、識字学級で「教える」立場にいた非部落女性たちに思いを馳せた。かのじょたちは、部落女性から言葉を奪った側におり、それでも一緒に考えたいと思って共にいたはずだ。
私たちの雑誌『エトセトラ』の次号VOL.15(2026年5月発売予定)では、「部落フェミニズムに呼応する」というテーマで、共鳴の声を集める特集を組む。いまはその作業を進めている。
数日前、BOOKSHOPで店番をしながらこの原稿を書いていたら、元同僚のNさんが訪ねてきた。久しぶりに会ったNさんは、空気や匂いなどの環境が症状を引き起こす難しい疾患にかかったこと、なぜ自分がそうなったか知りたくて色々な本を読んでいることを、昔と変わらない淡々とした口調で話してくれた。
おしゃべりをしながら本棚をじっくり眺めるかのじょに、「Nさん、人文書ってなんですかね?」と訊いてみた。少し考えたあと、Nさんから「そうだなあ、ビジネス書みたいにお金に直結するものではなくて、みんなで豊かに生きていくための土台になるものかな」と返ってきた。「自分のためでもあるけど、きっと共有することが大事なんだよ」と。
フェミニズムもそうですねと言いながら、私は「人文書」がはじめて理解できた気がした。Nさんは、『地球の再生:発言する女たち』を選んで、また来るねと帰っていった。
次回は、花束書房の伊藤春奈さんにバトンを繋ぎたい。
エトセトラブックスと2年違いで立ち上がった花束書房を知ったときに、ホームページに書かれた「遠くで聞こえる小さな声に耳をすまし、忘れられた人たちの歩みを本にしていきます」というステートメントはもちろん、社名について「『花束』は高群逸枝『女性の歴史』より。ささやかな贈り物と、連帯の意味もこめて」との一文に痺れたのだった。女性史のライターでもあるこの人は、きっと自分の内にあるものをまっすぐ名付けに差し出したのだろうと感じた。
この世界の不平等、抑圧、差別、暴力がどんどん増しているなか、フェミニストの出版活動はそれに抗う力があると信じているが、あまりにもささやかだ。サッフォーの山田さんや花束書房の伊藤さんとは、連帯という名の手分け作業をしている気持ちでいる。伊藤さんの文章を楽しみにしています。
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