羽柴(豊臣)秀吉を支えた唯一の存在の生涯を知る――黒田基樹『羽柴秀長の生涯』
記事:平凡社
記事:平凡社
昨年(2024年)3月に、2026年NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の制作とその主人公が羽柴(豊臣)秀長であることが発表された。すでにその数か月前に、私は同ドラマの時代考証を依頼されていた。秀長は、それなりに知名度のある存在であったが、なぜかそれまで、秀長の生涯の全容は十分には明らかにされていなかった。しかし時代考証にあたっては、あらかじめ秀長の生涯の全容を把握する必要があり、そのうえで私自身で、秀長の生涯の全容を明らかにした著書を執筆しなければならないと考えていた。
執筆のための作業は、秀長に関する史料の蒐集、秀長に関する先行研究の把握からはじまり、それらを一応終えたうえで、昨年夏に本書を執筆した。蒐集した史料については、これまで秀長関係史料の全貌は明らかになっていない状況にあるため、ともに時代考証を務める柴裕之氏との共編で『羽柴秀長文書集』(東京堂出版)としてまとめ、刊行することにした。
本書では、秀長の生涯の全容を把握できる内容としたが、その一方で、秀長の事蹟は一冊におさまりきらない部分があった。そのため秀長の羽柴(豊臣)政権での役割として重要な部分にあった他大名への外交と領国統治、それと秀長の有力家臣の動向の詳しい内容については、別の書籍としてまとめることにした。それらも本書と同時期に、それぞれ『秀吉を天下人にした男 羽柴秀長――大大名との外交と領国統治』(講談社現代新書)、『羽柴秀長とその家臣たち――秀吉兄弟の天下一統を支えた18人』(角川選書)として刊行することになっている。それらもぜひ、あわせてお読みいただきたく思う。
秀長についてはよく、秀長が生きていたら豊臣政権の滅亡はなかったのではないか、といわれることがある。本書を執筆してみると、その見立てはあながち間違っていない、という感を強くした。秀長が果たした役割を認識すると、むしろその死後に、それらの役割を誰がどのようなかたちで引き継いでいったのか、ということがみえてくる。そうするとその後の政権の変容の在り方がみえてくるようになる。
秀長は、秀吉の軍事行動において、常にといっていいほど、別編成軍の大将を務めた。秀長生前でその役割を務めたのは秀長の他には、秀長に次ぐ一門衆の立場にあった甥の秀次しかみられていないうえ、その頻度と重要性は、秀長が圧倒的であった。しかもそこでは、秀吉から細かな報告を求められ、それをもとに秀吉から指示が出されていて、秀長はそれらの指示を実行していた。秀長はそれを見事に実現したのであったが、それは秀長にそれだけの能力があったからといえる。もし秀長にそこまでの能力がなかったなら、秀吉の「天下人」化と続く「天下一統」達成が、あれほど順調に進んだかどうかは、わからなくなってくる。
また政権は、諸国の大大名を統合する性格にあったが、秀長はそれら大大名のほとんどに対して、政治的・軍事的に指導する「指南」を務めていた。秀長はほぼ一人で、ほとんどの大大名を政権に繫ぎ止める役割を果たしていた。それだけでなく、秀長は、秀吉が不快に思うような案件についても、意見できていた。秀吉の有力側近奉行には、のちに五奉行となる増田長盛・石田三成らがいたが、彼らはあくまでも秀吉の側近家臣として、秀吉の命令を遂行する役割にあり、秀吉の考えなどを変えられるような立場にはなかった。このことは従来考えられていた、政権において秀長や徳川家康・前田利家らの「分権派」と増田・石田らの「集権派」の対立が存在していたなどの見方が、根本的に成立しないことを示している。さらに秀吉の裁決をうけるにあたっては、側近奉行において意見統一が必要で、それができていない場合、秀吉の裁決は出されず、そうした際に、奉行たちの調整役となっていたのが秀長であった。秀長は、秀吉に意見でき、奉行たちを調整できた、ほぼ唯一の存在であったことがみえてきた。
こうみてくると、秀吉の「天下人」化、その後の「天下一統」の達成は、秀長がいたからこそ可能であった、と思わざるをえない。だからこそ秀長が死去した後、政権の人的構成やそこでの役割分担の在り方は、大きく変動せざるをえなかったに違いない。そしてそれこそが、以後の政権の在り方を大きく規定したに違いない。まだ見通しでしかないが、そのなかで役割を大きくされたのが、徳川家康・前田利家・浅野長吉や、あるいは奉行たちであったように思われる。
いわば本書などの成果によって、秀長の生涯の全容を認識できたことで初めて、その後の政権の在り方を追究するという、政権研究における新たな、そして大きな課題を認識できることになったといえるだろう。今後、それらの問題についての取り組みが進んでいくことを期待したい。それだけ秀長についての研究には、大きな意味が含まれていたのであった。
はじめに
第一章 織田家家臣の時代
第二章 秀吉一門衆筆頭の立場
第三章 四国攻略の総大将
第四章 大和・紀伊・和泉の領国大名
第五章 九州攻めと国割に奔走
第六章 諸大名接待の奔走から闘病生活へ
あとがき