啓発的なテーゼ、踏み込んだ提言 ──『新しいリベラル』(橋本努/金澤悠介著)書評 評者:田中将人
記事:筑摩書房
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本書は啓発的なテーゼを掲げる。「90年代以降の日本において、社会的投資国家を支持する新しいリベラルが、若い世代を中心に出現しつつあるのではないか」。具体的には三つの仮説が検討される。
「① 従来型のリベラルは『弱者支援』型の福祉政策を支持するのに対して、新しいリベラルは『成長支援』型の福祉政策を支持する。
② 従来型のリベラルは高齢世代への支援を重視するのに対して、新しいリベラルは子育て世代や次世代への支援を重視する。
③ 新しいリベラルは〈戦後民主主義〉的な論点には強くコミットしていない。」
社会哲学(橋本)と社会調査(金澤)の共同成果である本書は、思想とデータの両面から、前半部でこれまでのリベラルを考察したのち、後半部で新しいリベラルにさまざまな角度から光を当てる。論点は豊富だが、文章も構成も練られており、図表もわかりやすく効果的であるため、読者は刺激を受けながら読みすすめることができるだろう。
新しいリベラルとは、調査が示す六つのグループの一つである。他の五つは、従来型リベラル(18%)、成長型中道(13%)、政治的無関心(20%)、福祉型保守(16%)、市場型保守(9%)。一方、新しいリベラルは相対的な多数派(23%)を占める。政治的立ち位置の認知は比較的リベラルだが、①②③が示すように従来型リベラルとは異なる価値観をもつ。
これを積極的に表すのが「社会的投資国家」というコンセプトだ。未来社会への投資や将来世代への信託を掲げる新しいヴィジョンである。社会資本よりも人的資本を重視するのが特徴で、子育て世代が主な担い手とされる。
第9章「新しいリベラルが作り出す『新しい』政治」では、踏み込んだ提言もなされる。現状の選挙では、その声は十分に届いていない。90年代以降の政治は、新しいリベラル結集の蹉跌の歴史でもあった。思えば平成初期以降、そうした動きは何度かみられたものの、安定した勢力になることには失敗した。
そこで著者らは次のようにいう。「すぐれた連合体を形成するためには、同胞と論敵(友と敵)の関係を、高度な次元で再編する政治術が必要である。このことを理解して、私たち国民も政治家も、連合の多少の失敗には寛容でなければならない」。その際は「高度な能力をもった道化師の手腕」をもつのが理想だともされる。そうすることで友と敵の関係を高次化し、政権交代可能な政治をめざすべきなのだ。
「新しいリベラルが積極的に支持できる政党が出現すれば、大規模な政界再編が起きるにちがいない。『社会的投資としての弱者支援』を軸としたリベラル連合が生まれるかもしれないし、『成長戦略としての社会的投資』を軸としたリベラル・中道・保守連合が生まれるかもしれない。こうしたときに重要な役割を果たすのが、新しいリベラルである」
このシナリオが実現するなら「失われた30年」からの一歩を踏み出すことができるだろう。さらにいえば、この「同胞と論敵の関係」は、政治術をこえた次元で、〈旧リベラル〉と〈新しいリベラル〉にも敷衍可能ではないだろうか。
戦後民主主義は「悔恨共同体」という強力な磁場をもつコミュニティの上に成立していた。それは当然ながら時間の腐食化作用を免れえない。戦争の記憶が薄れるにつれて効力を失う。だがそのことは、無論過去からの単純な断絶を正当化しない。いみじくも著者らはいう。「戦後民主主義は、たんに旧リベラルの特徴を表しているのではない。それは新しいリベラルにおいても、かたちを変えて受け継がれていくにちがいない」。
旧リベラルと新しいリベラルの関係を、あるいは過去への責任と未来への責任を、高度な次元で再編すること。それは道化師というより消滅する媒介者の役目かもしれないが、そのとき私たちは、戦後を過去のものとし、同時に歴史に連なりつつ、未来の他者に価値ある何ものかを託すことができるだろう。
はじめに──見えてきた「新しい」リベラルの姿
第Ⅰ部 これまでのリベラル
第1章 衰退しつつあるリベラル?
第2章 「保守vsリベラル」はどこまで有効か?
第3章 旧リベラルとは何か?
第4章 旧リベラルを支える思想
第Ⅱ部 新しいリベラルの全体像
第5章 その理論と思想
第6章 それはどんな人たちか?
第7章 新しいリベラルを取り巻く五つのグループ
第8章 新しいリベラルの政治参加
第9章 新しいリベラルが作り出す「新しい」政治
あとがき
参考文献