つらなるつながり 岩波書店・藤田紀子 (編集者リレーエッセイ第10回)
記事:じんぶん堂企画室
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大量の草稿、ゲラ、企画提案の準備がいつも同時進行。そのせいか、このところ仕事をしていると韓国のガールズグループaespaの「Dirty Work」が頭の中をかけめぐり、「work」のリフレインが止まらない。この文章を書いているいまも――。
目から鼻に抜けるような頭の回転の速い人たちに囲まれ、悪戦苦闘を続けながら、気が付けばけっこうな社歴になった。この連載に寄稿された方々のなかでは、おそらく最年長なのではないかと思う。みすず書房の鈴木英果さんからお話をいただいたあと、みなさんのエッセイを拝読してかなり気が引けたのだが、このあたりでいったん来し方を振り返っておくのもいいか、とお引き受けすることにした。
私は辞典部に長く在籍した後、編集部に移った。辞典部は文字通り「辞典」あるいは「事典」(「ことばてん」と「ことてん」。「じてん」の担当者にとってこの区別は重要)をつくる部署。複数の編者を立て、数百人が執筆するような大型企画が多く、辞典部に配属されると、とにかく進行中の企画に割り振られる。私の場合、中国建国50年となる1999年の刊行を目指して大先輩が企画した『現代中国事典』を担当することになった。中国のことなどほとんど知らなかったため、慌ててあれこれ本を読み、中国語の勉強も始めたが、残念ながらあまり身についていない。
その後、いくつかの辞典/事典を担当するなかで、何か爪痕(?)を残したいという思いで、同僚と2人で『女性学事典』を企画した。当時、恥ずかしながらフェミニズムに深い関心があったわけではなかったが、学生時代に上野千鶴子さんの本を読み、入社試験の書類選考では『女という快楽』の200字宣伝文を書いた。海外では『フェミニズム事典』が出版され、明石書店からその邦訳も出ているのに対し、当時、日本オリジナルのものとしてはキーワード集があるくらいだった。輸入の言葉に頼らなくても、日本には日本の思想、運動、学問の蓄積がある。井上輝子さん、上野千鶴子さんら編者の方々と項目を選び、180人ほどの方々に執筆していただいて、数年かけて『女性学事典』の刊行に漕ぎつけた。
編集部に移ってからも、フェミニズムとはつかず離れず付き合ってきた感がある。日本のフェミニズム――とくに研究面――は社会学者が牽引してきたと思うのだが、大学で近代日本の政治思想をかじっていたこともあって、フェミニストであり、かつ政治学者である方に出会いたかった。その意味で、三浦まりさんと岡野八代さんは、私にとってずっと探し求めていた存在だった。お二人に『さらば、男性政治』と『ケアの倫理』を書いていただけたのは幸運なことだった。
水島治郎さんは、5月刊の『アウトサイダー・ポリティクス』のなかで、メディアで働く者の「専門性」(およびその変容)についてお書きになっている。だが、私自身についていえば、編集部に所属はしているものの、編集の専門性というものは、いまもよく分からないままだ。40代のころ、数年間勉強して社会福祉士の資格を取得したのは、そうした思いからだった。何か「よすが」が欲しかったのだ。いわゆる「中年の危機」がきっかけだったのかもしれない。
専門学校の通信教育を受講して、仕事の合間を縫って課題のテストとレポート、スクーリング、実習をなんとかこなし、国家試験に合格した。試験勉強中、「本業」の手を抜いたつもりはなかったのだが、試験まであと数カ月のところでカバーの誤植を見逃すという大失敗をしてしまった。痛恨……。やはりキャパシティ・オーバーだったのだろうか。
資格取得以降、上野千鶴子さんと樋口恵子さんの『介護保険が危ない!』、小島美里さんの『あなたはどこで死にたいですか?』、大沢真理さんの『生活保障システムの転換』など、フェミニズムと福祉にまたがる分野に軸足が移りつつある。だが考えてみれば、岡野八代さんが『ケアの倫理』でお書きくださったように、ケアはフェミニズムの中心課題なのだった。
そうした書籍と並行して、現在は『スピノザ全集』を担当している。『スピノザ全集』は、さまざまな事情で担当者が何度か変わり、最後に私のところに回ってきた。打診された当時、『丸山眞男集 別集』の最終巻が難航しており、迷いつつも、スピノザという人に関心があったので引き受けることにした。政治思想の経験から、多少は太刀打ちできるかと思った、ということもある。だが、哲学はまったく別次元だった。とくに、スピノザの書いたものはゴツゴツしておらず、一瞬分かったような気になってしまう危険さがある。ちなみにスピノザの紋章は、イニシャルと「CAUTE」(ご用心)の五文字を配置したものだ。なるほどそのとおり――。
『スピノザ全集』では編者・訳者の方々についていくだけでほんとうに精一杯。そんななかで、私が関わった痕跡が分かるとすれば、『政治論』(第IV巻収録)の女性に関する問題含みの記述について、上野修さんに訳注をつけていただいたことだろうか。注としてはかなり長い第11章訳注2の原稿が届いたとき、すべての苦労が報われた、と思った。
すっかり長くなってしまったのだが、最後に作家の梨木香歩さんのことを。梨木さんには、辞典部時代のつながりを辿ってお目にかかることができた。最初にご執筆いただいたのは岩波ブックレット『「秘密の花園」ノート』だった。作家さんとのお付き合いの作法など何も知らず、とにかく綺麗な小花模様の便箋と封筒を買ってきて、お目にかかってご相談したいと手紙を書いてお送りした。
梨木さんは、この世界を正確に捉え、あらゆるものを正確に描くことを目指しておられるように思う。結果として、ごくごく小さな植物、動物、そして「海うそ」(蜃気楼)までもが高精細で浮かび上がる。書き下ろしの文芸作品『海うそ』は、そうした梨木さんの精緻な筆で綴られている。その後、コロナ禍のなかで高まる同調圧力に危機感を抱いた梨木さんが、迸るような思いでご執筆くださった『ほんとうのリーダーのみつけかた』を経て、現在は、梨木さん原作、樹村みのりさん漫画『僕は、そして僕たちはどう生きるか』のウェブ連載を続けている。
次にバトンをお渡しするのは、有斐閣の松井智恵子さんです。松井さんは『挑戦するフェミニズム』をはじめ、重要な(そしてたいへんそうな!)本を着実に手掛けられ、尊敬の念を抱いてきました。大沢真理さんの名著『生活保障のガバナンス』も松井さんのご担当。会社がご近所同士なのですが、なかなかお話しする機会もないため、この連載をきっかけにご縁をつなぐことができたら、と思いました。近くのコンビニで私がスポーツ紙を買っているところを目撃されたようなのですが、今度はお声をかけてください!