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フラットになることが前衛だった頃 千葉雅也が読む『斜め論』

記事:筑摩書房

ケアは、どうひらかれたのか? 「生き延びと当事者の時代」へと至る「心」の議論の変遷を跡付ける。垂直から水平、そして斜めへ。著者の新たな代表作。
ケアは、どうひらかれたのか? 「生き延びと当事者の時代」へと至る「心」の議論の変遷を跡付ける。垂直から水平、そして斜めへ。著者の新たな代表作。

本書で言われる「斜め論」とは、水平性と垂直性を共に考えることである。ここで、水平性とは、民主的、対等であること、いわばフラットな関係。それに対して垂直性とは、規範的なもの、権力的な不均衡など。

まず、垂直批判。高きに位置するもの=規範や権威を仰ぐことが、または深さを追求して掘り下げるといったことが、大まかに言って伝統的には「偉い」ことだとされてきたわけだが、そうではない方向へ。すなわち、水平方向に、フラットに展開する関係性を多様に開いていく。そういう方向性が、我々の世代にとって重要だった。というか、本格的にその新しさを推し進めたのはこの世代、いわゆる氷河期世代・ロスジェネの前後だと思っている。それが90年代以後の変化だった。

自分は97年に大学入学だが、ずいぶんと人を突き放す言葉を平気で言う年長者がおり、そのほうが主流なくらいだったと思う。そういう環境での修行──「修業」というより──をある程度は受け入れながら、反発を示すこともあった。そのなかで、これからの時代は、より対話重視でフラットでインタラクティブなあり方を広げていくんだという意志があった。

松本さんとは少しの年齢差があるが、前後の幅を含めたこの世代あたりが、権威や深さを優先する、保守的でもラディカリズムでもあるもの(両極はときに連動している)への抵抗を様々に試みてきた。

松本さんは本書において、垂直には「おしつけ」、水平には「よこならび」とルビを振って、いずれの難点も検討している。

水平を、フラットになると言い換えるとして、それにはメディア的条件があったと僕は思う。映画・テレビ・ラジオという一方的なマスメディアから、インタラクティブなゲームやパソコンへの転換である。試しに問いかけてみて、そのレスポンスを見て次の展開へとキャッチボールをするといったゲーム性が我々にとってコミュニケーションの基本なのだが、上の人たちはかなり一方的にしゃべり倒す傾向が強くて、それに圧倒されることもよくある。

垂直的「おしつけ」=パターナリズムではない方向への変化は、20世紀後半から21世紀にかけての大きな流れであった。精神医療が旧来のパターナリズムを厳しく批判し、改革を経てきたことはよく知られる。68年という年がそのシンボルとなる新左翼運動は、権威主義批判を激しく行った。その余波が、情報技術に後押しされたグローバル資本主義の大展開と一緒くたになって、諸領域におけるフラット化が進んでいった。

精神医療における水平的展開を代表する「オープンダイアローグ」の実践に関し、松本さんは次のように述べている。

垂直方向の声に耳を傾けることが、水平方向のダイアローグによって支えられた状況のなかで行われることによって、垂直方向を過剰に権威化させることなく、個人における変容を引き起こすことが可能になるのである。『斜め論』42ページ

大変慎重に述べられた一節だと思う。何らかの「変容」がここで示唆されている。それは「個人」のものである。開かれたコミュニケーションによって日常性を回復することがこの療法の主たる効果だが、それだけではない何かが含意されてもいる。

水平性と──拮抗する、と僕ならば言うが、そういう垂直性があり、両方を合わせるなら「斜め」ということになる。

それについて見解をさらに展開することは控えたい。ひとまず、近い世代の一人として、本書を読むときに思った背景を説明したわけだが、それを読者に「おしつける」つもりはなく、しかしそれは「よこならび」のひとつにすぎないわけでもない、ということになるのだろう。

ぜひ各人の観点で、本書の問いから、何事かに思考をつなげていただければと願っている。本書は必ずしも専門領域に限られた内容ではない。問いは斜めに飛躍し、想定外のところに不時着してもいいはずだ。

松本卓也『斜め論——空間の病理学』(筑摩書房)
松本卓也『斜め論——空間の病理学』(筑摩書房)

『斜め論——空間の病理学』(筑摩書房)目次

第一章 水平方向の精神病理学に向けて──ビンスワンガーについて
第二章 臨床の臨界期、政治の臨界期──中井久夫について
第三章 「生き延び」の誕生──上野千鶴子と信田さよ子
第四章 当事者研究の政治
第五章 「自治」する病院──ガタリ、ウリ、そしてラカン
第六章 ハイデガーを水平化する──『存在と時間』における「依存忘却」について
補論1 精神分析とオープンダイアローグ
補論2 依存症臨床の空間──平準化に抗するために

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