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「思考を刷新し、物差し的に「使える」本」 松本卓也『斜め論——空間の病理学』編集者インタビュー(後編)

記事:筑摩書房

律儀な弁証法

——現代思想の流れでいうと、どういう位置づけの本になるのでしょうか。

 ぼくに専門的な解説はできませんが、「斜め」という概念を、松本さんはよくよく検討しています。

「斜め」という用語そのものは、いろんなひとが言っていて、たとえばドゥルーズ+ガタリの『千のプラトー』にも「斜め」というキーワードが出てくるといいます。でも、『千のプラトー』の斜めについての箇所を読んでも、「知覚しえぬ斜線」がなんなのか、正直よくわからない。

「Aでもない、Bでもない……」というふうに否定形でしか記述できないものを「否定神学」と呼びますが、それだと、その具体的な姿はなかなか浮かんでこない。

 まちがいなくもっと適切な例があると思いますが、たとえば「四角くない」「茹でない」「お米は入れない」……というふうに重ねていっても、「たこ焼き」にはたどりつけないわけです。

「斜め」的なものは、ある種「〇〇ではない何か」のようなかたちで理想化されて、たくさんの本で書かれてきたと思います。でも松本さんは、それがどういう姿かを具体的に書いています。「たこが入っている」「専用の鉄板で焼く」「ソースをかける」というふうに、「たこ焼き」そのものを指し示すように書いている。そこが、この本の最大のポイントだと思います。

 言い方をかえれば、律儀な弁証法をやっている本なんです。思いきり単純化していえば、弁証法は、正→反→合という段階を経て、矛盾を解消していく方法です。たこが食べたい→粉ものが食べたい→たこ焼きを食べよう、みたいな。それに比べて否定神学だと、反→反→反……がつづくわけです。永遠にたこ焼きにはたどりつけない。

 松本さんは、そうではなくて、垂直ではなく、かといって単なる水平でもなく、水平のなかにどうやって「ちょっとした垂直」を確保するかという弁証法をとっています。

 しかも、そこには問い直しが必要だとも書かれていて、せっかくの斜めが垂直や水平に舞い戻ってないか、つねに点検する必要を説いています。終わりがないという意味でも、弁証法的です。

理論を提示する本

 松本さんの過去のテキストの読み方は、昨今の人文書のトレンドに照らすとすごく新鮮で、勉強になります。恥ずかしい話、6章のハイデガー論は、念校を読んでいるときにようやく意味がわかってきて、テンション上がりました。

 過去のテキストを取り出して、その文脈を検討したうえで、現代的な読み方に落とし込む。松本さんのそれは、単純に過去のテキストを古いと切り捨てるわけではなくて、新しい読み方へとひらいていくような、弁証法的な読み方なんです。

 松本さんは、高校生のころから『批評空間』(浅田彰、柄谷行人が編集委員をつとめた思想誌)や『現代思想』を読んでこられた方ですから、そうした人文的な書き方を意識されていると思います。

『批評空間』では、人文・思想が精神病理学や建築といった、いろんなジャンルと結びついていました。浅田彰さんが象徴的だと思いますが、『逃走論』で提唱された「スキゾ」と「パラノ」は精神医学の用語です。

 その文脈でいえば、『斜め論』は現代思想と精神病理学が合わさったような本で、最近では珍しいタイプの人文書だと思います。

 シンプルに、何かの問いにこたえるとか、そういう本ではないです。理論を提示している。だから、そこがいまの読者にどう受けとめられるのか、ドキドキしています。

装丁のイメージ

——装丁はどんなイメージで作られたんでしょうか。

 松本さんからは「基本おまかせします」ということだったので、デザイナーの川添英昭さんと相談しながら進めていきました。イメージとしては昭和の人文書というか、古典的な雰囲気を出したいね、と。文字が斜めになった案もありましたが、それは没にしています。

 装画を使うことは、最初から決めていました。斜めのイメージを、ちょっと抽象度を上げたかたちで見せたいと思っていたんです。あんまり具体的過ぎず、見るひとに中身を示唆するような。それと同時に、書店の店頭で「あの赤と青の……」というふうに、うろ覚えでもイメージが伝えられるような強さもほしかった。

Kohei Yamada
“Untitled”, 2025
Oil on canvas
45.9 x 37.9 cm
© Kohei Yamada. Courtesy of Taka Ishii Gallery / Photo: Kenji Takahashi
Kohei Yamada “Untitled”, 2025 Oil on canvas 45.9 x 37.9 cm © Kohei Yamada. Courtesy of Taka Ishii Gallery / Photo: Kenji Takahashi

 どの絵を使うか探している時期は、目に入る斜めのものすべてが意味をもって現れてくるような状態です。川添さんといくつか作品の候補を出し合って、社内でも営業や宣伝のひとに見てもらって、最終的にいまのかたちになりました。

 装画の山田康平さんは、いろんな斜めを描いている方です。最近ギャラリーを立ち上げられて、そのオープニングで山田さんと話したときに、「斜め」の話にすごく関心を持ってくださったんです。それを聞いて、「斜め」というのは、アートとか創作の分野にも接続できそうだと思いました。

 キャンバスというのは、基本長方形です。そこにどう斜めを入れるといいのか、山田さんはそういうことを考えているとおっしゃっていて、「斜め論だ!」と。装画に使わせていただいたのは、必然だったような感覚です。

アートでも、組織論でも

——いろんな人が自分の立場で考えてみても、気づきがありそうですよね。

 自分の仕事とか、ちょっと困っていることに対して、どう斜めの要素を入れるか。そういう感じで考えられると、おもしろいかもしれません。

 だから、読んだあとで「斜め」という感覚が残って、どうやったら斜め的にできるかなと思ってもらえるだけで、とてもうれしいです。

 松本さんの専門がメンタルヘルスなので、斜めの実例が精神病理学の話になっていますが、たとえば組織論とかにも適用できると思います。

——メンターは自分の部署のひとにしないみたいな話もありますよね。

 そうそう。上長の指示だけでもうまくいかないし、チーム内の雑談でも物足りない。そういうときに、同じ部署じゃなくて、ちがう部署の先輩に話を聞いてみるとか。それだけでも斜め的な動きになると思います。

 たとえば会社の組織で言えば、社長とか部長という垂直構造があるなかで、どう水平性(ケア的な関係)を確保するか、とか。とにかく、自分の都合のいいように、読んで応用してもらうのがいいと思います。

『斜め論』は「使いやすい」

「斜め」はとても使いでのある概念なんです。編集という仕事をするなかで、「この本、水平と垂直の具合はどうなってるかな?」というふうに点検することもあります。

 どういうことかというと、ぼく個人は垂直の考え方になじめないところがあって、なるべく権威的なものはやりたくない。ともすれば水平だけになってしまいそうになるんですけど、水平だけでもつまらない。たぶん、そこに「ちょっとした垂直性」をくわえて斜めにならないと、おもしろくない。

——斜めという目線がこの本を通して実感できたことで、ぼんやり思っていたことに名前を付けてもらったというか、楽になった感覚がありました。

 それはうれしいです。ぼくが言っていることが松本さんの考えとちがう可能性はもちろんあるんですが、その誤解も含めて、すごく使い道がある。

 本の読み方としても、それでいいと思うんです。正解があるわけではなくて、斜めを自分なりに考えてもらう。「いまの自分、斜めかな?」みたいな(笑)。

 そういう、物差し的な使い道がある本だと思います。即効性があるかは微妙なんですが、毎晩ストレッチしてるとだんだん体が柔らかくなるみたいに、日常的に「斜め」を意識するだけでも変化はあるかなと。

 そういう意味で、「水平」「垂直」そして「斜め」の概念は、「スキゾとパラノ」あるいは「中動態」のように、読者の思考を刷新するちからを秘めていると思っています。

 (聞き手・筑摩書房営業部)

松本卓也『斜め論——空間の病理学』(筑摩書房)
松本卓也『斜め論——空間の病理学』(筑摩書房)

『斜め論——空間の病理学』(筑摩書房)目次

第一章 水平方向の精神病理学に向けて──ビンスワンガーについて
第二章 臨床の臨界期、政治の臨界期──中井久夫について
第三章 「生き延び」の誕生──上野千鶴子と信田さよ子
第四章 当事者研究の政治
第五章 「自治」する病院──ガタリ、ウリ、そしてラカン
第六章 ハイデガーを水平化する──『存在と時間』における「依存忘却」について
補論1 精神分析とオープンダイアローグ
補論2 依存症臨床の空間──平準化に抗するために

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