感染症や温暖化の予測に潜むバイアスの罠――数理モデルの問題点とは?
記事:白揚社
記事:白揚社
日常生活ではあまり耳にすることのなかった「数理モデル」という言葉が、2020年、突如として多くの人の関心の的になったことは記憶に新しい。新型コロナウイルス感染症の大流行を受け、数理モデルが感染拡大の予測ツールとして政策決定の参考にされたため、間接的に国民の生活に大きな影響を与えることになったのである。
感染防止の名のもとに各種の制限を課された人びとの不満は、一部、モデルとその作成者にも向けられた。ネット空間では傍から見ていて怖くなるようなひどい言葉も飛び交っていたが、それらは少なからず、モデルの予測が意味するところを誤解していることによる不幸な行き違いの結果のようにも見えた。
一方で、いまや数理モデルは感染症対策に限らずに、さまざまな政策決定の現場に確実に入り込んでいる。一般の人の目にはあまり触れないだけで、経済動向や気候変動から人口減少や交通渋滞まで、さまざまな問題への対処を考えるための欠かせないツールになっているという。昨今話題の生成AIにしても、その基本にあるのは数理モデルだ。
現代社会を生きる私たちにとって、数理モデルをあらましだけでも理解しておくことは、今後必須のスキルになるのではないか。
そもそもモデルとはなんなのか。モデルには何ができて、何ができないのか。本書に興味を持って手に取ってくださった人からすれば、そんなことは先刻ご承知かもしれない。
しかし現在のように数理モデルが自然科学の分野のみならず、社会学や人文学においても広く普及していると、それぞれの専門分野でモデルを作ったり使ったりすることが普通になりすぎて、当の研究者が意外と基本的な前提を見落としていることもあるのかもしれない。数理モデルにじかに関わっている専門家にとっても、各種の政策を通じて間接的に数理モデルに影響を受ける多くの一般の人にとっても、本書は重要な視点を提供してくれるだろう。
書名だけ見ると、本書は数理モデルに対する批判的な本だと思われるかもしれない(邦訳版のタイトルはごらんのとおりで、原書のタイトルは「モデルランドからの脱出──数理モデルがいかにして私たちを迷わせるか、それに対して私たちは何ができるか」だ)。ある意味ではそのとおりだが、著者のエリカ・トンプソン博士は数学と物理学の専門家で、自身も数理モデルに深く関わっている人であり、外部から数理モデルに対して批判をしているわけではない。モデルを作り、使っている当事者として、著者はモデルの盲点になりそうなことや専門家の陥りやすい罠を指摘しているが、最終的に本書が訴えているのは、数学的なモデルを社会のよりよい未来のために適切に活用できる道を考えようということだ。
イギリスの統計学者ジョージ・ボックスは、「すべてのモデルは間違っている」という名言を残したことで知られている。しかし、この言葉には続きがある。「すべてのモデルは間違っているが、そのうちいくつかは役に立つ」。どういうことかは、本書を読んでいただければおわかりと思う。
本書では、数理モデルが成り立っている世界を「モデルランド」と呼び、これを現実世界(リアルワールド)と対比させている。モデルは現実世界でのデータを解釈するための枠組みであり、現実世界でのさまざまな目的に応じてデータ間の関係性を見いだすのに役に立つ。数学的に整然としたモデルの仕組みと、モデルから出力される厳然たる数字は、美しく、論理的で、客観的であるように見える。
しかし、人間がそのモデルを作っている以上、そのモデルには作った人間の個人的な価値観や先入観など、なんらかの主観が必然的に含まれている。また、モデルは現実のある部分だけを切り取って単純化したものだから、切り取られなかった現実の部分も、単純化の過程で削ぎ落とされた現実の部分も、モデルにはまったく反映されていない。したがってモデルの出力は、複雑な現実をそのまま客観的に写し取ったものではありえない。
現実世界から得られたデータをモデルランドに持ち込んでモデルで処理するまではよいとして、そのあとにモデルから得られた答えをふたたび現実世界に結びつけ、現実世界での未来予測や意思決定に役立てる──これが「モデルランドからの脱出」であり、このプロセスが重要にして困難なことなのだと著者は言う。
このようなモデルの役割と限界について、そしてモデルの限界の先を担うべき人間の役割について、本書の前半で多角的に考察されたあと、後半の第7章から第9章では、経済・金融モデル、気象モデル、疫学モデルを例にして、金融危機や気候変動や感染症パンデミックといった現実の問題にこれまでモデルがどう関わってきたか、今後モデルをどう役立てられるかが、より具体的に検討される。そして本書のまとめとなる第10章で、あらためてモデルの意義が確認され、そのうえでモデルランドから脱出する方法が提言される。
結局のところ、モデルを作るのも使うのも人間なのだ。ならばモデルに実際に関わる立場にあろうとなかろうと、誰もが対等なひとりの人間として、ともに共通理解を深めることをめざしていきたいものだと思う。