2070年、フェイスブックは「死者の国」になる――『死者たちのオンライン・データ』
記事:白揚社
記事:白揚社
本書は2024年5月にシカゴ大学出版局から刊行された、The Afterlife of Data: WhatHappens to Your Information When You Die and Why You Should Care(データの死後―あなたが死んだとき、あなたの情報に何が起きるのか、そしてなぜそれを気にかけるべきなのか)の邦訳である。あらゆるものがデジタル化されつつあるいま、私たちは日々、大量のデジタルデータを生み出している。それは私たちの死後どうなるのか、そしてそのことは、社会全体にとってどのような意味を持つのかを説いた一冊である。エコノミスト誌とネイチャー誌は本書を「2024年ベストブック」に選出。情報哲学の世界的権威ルチアーノ・フロリディも、「デジタル上に何らかの足跡を残す私たち誰もが、自分ごととして読まずにはいられない一冊」と絶賛している。
著者のカール・オーマンはスウェーデンの政治学者で、2020年にオックスフォード大学で博士号を取得し、現在はウプサラ大学政治学科で教鞭を執っている。オックスフォード大学では前述のルチアーノ・フロリディに師事し、故人のデータを収益化する「デジタル死後生産業(デジタル・アフターライフ・インダストリー)」の倫理的課題を研究。また本文中でも触れられているが、「フェイスブックでは今世紀中に死者のアカウント数が生者のそれを上回る」との推計を発表し、世界的注目を集めた。
本書には興味深い事例やエピソードが数多く登場するが、中でも印象的なもののひとつが、第2章で語られる「ゴーストカー」のエピソードだろう。
これはある男性が語った思い出だ。4歳のとき、彼の父親がビデオゲーム機のXboxを買ってくれた。2人で夢中になってレースゲームで遊んでいたが、父親は彼が6歳のときに亡くなってしまう。10年後、久しぶりに起動したその古いゲーム機の中に、彼は「ゴースト」を見つける。レースゲームには、過去の最速ラップの走行を「ゴーストカー」として再現する機能があったのだ。コースの上を「亡き父」がいまも走り続けていたのである。彼は何度も挑み、ついに父のゴーストを追い抜く――しかしゴール直前で車を止める。勝ってしまえば、記録が上書きされ、父の走りが消えてしまうからだ。
この小さな物語は、本書が扱う問題のすべてを凝縮している。デジタル時代の死者は「退場」しない。写真、メッセージ、投稿、検索履歴、そしてゲームの走行データに至るまで、私たちが残す膨大なデータは、本人の死後もそこに在り続ける。SNSを開けば亡き友人のアカウントが今も存在し、ある日「誕生日を祝いましょう」と通知が届く。そんな経験は、もはや誰にとっても他人事ではない。しかも今後30年で、世界では約20億人が亡くなる。その多くは、人生をデジタルデータとして記録した史上初の世代だ。残される私たちは、人類史上はじめて「一世代まるごとのデジタル・リメインズ(デジタル遺留物)」を相続することになる。
本書においてデジタル・リメインズとは、故人が残したデジタルデータの総体(SNSの投稿や写真、メッセージ、検索・行動履歴など)を指す。邦訳では「デジタル遺留物」という言葉を当てたが、他にも「デジタル遺品」や「デジタル遺産」、「デジタル遺体」などを候補として検討した。しかし本書で解説されるように、一般的にデジタル・リメインズは、故人が残した「物品」のように扱われがちだが、著者はそこに「遺体」(故人の人格を構成するもの)としての性格を見出している。したがって「遺品」あるいは「遺体」という言葉を使ってしまうと、この語が担う二重性と、著者の議論の力点が失われてしまう。そこで「遺留物」という日本語に落ち着いた次第だ。
本書の主張に話を戻そう。著者はこの「一世代分のデジタル遺留物」が遺るという状況を、人類史のスケールで捉え直す。約1万年前に定住を始めた人々は、先祖の頭蓋骨に装飾を施し、住居に飾って暮らしていた。死者を身近に留めるこの営みこそが共同体の記憶を支え、文明の土台になったと著者は言う。死者を病院と火葬場の向こうに遠ざけた近代のほうが、歴史的にはむしろ例外なのだ。デジタル革命は死者を再び生者の生活空間に呼び戻した。スマートフォンの中に死者が住まう時代、著者はそれを「ポスト・モータルの条件」と呼ぶ。
では、死者のデータは誰のものか。本書はここでも、考えさせられる実例を次々に挙げる。ベルリンで15歳の娘を亡くした両親が、いじめの有無を確かめようと娘のフェイスブックへのアクセスを求めた裁判で、ドイツの最高裁は2018年、アカウントは日記や手紙と同じ「相続財産」だと判断した。一見まっとうな結論に思えるが、著者は異を唱える。死者のデータは単なる「モノ」ではなく、故人の人格を形づくる「情報の遺体」であり、肉体的な遺体と同じように尊厳をもって扱われるべきではないのか、と。
しかも死者のデータは、遺族だけのものでもない。王や貴族など限られた人物を対象としたものしか残らなかった従来の歴史資料と違い、SNS上には無名の人々の日常が、人類史上初めてのスケールで刻まれている。その集積は人間の活動の巨大なアーカイブであり、未来の歴史家にとってこれほどの宝はない。著者はこれを「死者の百科事典」と呼び、ピラミッドや古文書と同じ、人類が共有すべきデジタル遺産だと位置づける。
一方で、死者のデータはすでにビジネスの草刈り場になりつつある。ロシアのAI開発者は、事故死した親友との8000行に及ぶメッセージ履歴をAIに学習させ、故人と「会話」できるチャットボットを作った。マイクロソフトは、故人のデータから人格まるごとの再現チャットボットを作る技術の特許を取得した。さまざまなSFエンターテインメント作品で描かれてきた「AIで蘇る死者」は、もう絵空事ではない。さらにはイスラム教徒向けに、本人の死後もSNSアカウントから自動で祈りを投稿し続ける「祈禱アプリ」まである。著者はこうした市場を「デジタル・アフターライフ産業」と名づけ、その急成長に警鐘を鳴らす。問題は、そこで死者の姿を決めるのが、故人の遺志でも遺族の想いでもなく、利潤の論理だということだ。
視野はさらに、人類の記憶そのものへと広がる。死者のデータの大半は、一握りの巨大テクノロジー企業のサーバーに集中している。ベトナム戦争の悲惨さを伝える報道写真「ナパーム・ガール(ナパーム弾の少女)」は「児童ポルノ」であると機械的に判定され、フェイスブックから繰り返し削除された。シリア内戦の戦争犯罪を記録したユーチューブ動画は、国際刑事裁判所の証拠にすら使われる一方、その2割以上がすでに削除により失われたと推計されるという。企業が倒産すれば、死者のプロフィールは資産として競売にかけられかねない。EUの一般データ保護規則(GDPR)すら、死者を保護の対象にしていないのだ。著者は「過去を支配する者は未来を支配する」というオーウェルの警句を引きながら、「人類の集合的な過去を、少数企業の経営判断に委ねたままでよいのか」と問う。
カフカは死に際して、親友マックス・ブロートに原稿をすべて焼くよう頼んだ。ブロートはそれに従わず、遺稿を出版した。おかげで世界は『審判』や『城』を手にした。故人の遺志と、遺されたものの価値。そのあいだで引き裂かれたブロートの立場に、いま私たち全員が立たされている、と著者は言う。私たちは史上初の「デジタル遺留物の相続人」であると同時に、未来世代にとっての「祖先」でもある。何を残し、何を消すのかの判断を市場任せにせず、私たち自身が、未来の世代への責任も引き受けながら決めること。それが本書の結論であり、読者への呼びかけである。
ただ残念ながら、事態はより深刻化しているようだ。たとえば2025年11月には、故人アバターアプリ「2wai」への大規模な批判が起きている。これはカラム・ワージーというカナダの俳優が共同創業したサービスで、亡くなった肉親のインタラクティブなAIアバターを作成できるというもの。妊娠中の女性が亡母のアバターと語らい、その「祖母」が孫の成長を見守り続けるという広告動画が1週間で2200万回以上再生され、ディストピア的だ、本書でも取り上げられているSF番組『ブラック・ミラー』のエピソードそのものだ、などといった批判が殺到した。
また本書の第4章は「プラットフォームが倒産すればデータは資産として売却される」という可能性について警告しているが、それは遺伝子解析サービスの大手23andMeで現実になった。同社は2025年3月に連邦破産法第11章を申請し、約1500万人分の遺伝子データ(すでに死亡した人々のものも含む)が売却対象となったのである。遺伝子データは本人だけでなく血縁者の情報も含むため、死者のデータ売却の影響が生者に及ぶという本書の「代理トラッキング」の議論と重なる。
こうした事例は、本書の主張に耳を傾けることの重要性が、より増しつつあることを示している。そしてテクノロジーが後戻りすることのない以上、待っていれば事態が好転するということもあり得ない。本書が日本においても、幅広い議論を呼びかける一冊となることを願っている。