2018年春より小中学校で順次実施! 道徳教育に意味はない 『みんなの道徳解体新書』より
記事:筑摩書房

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1974(昭和49)年。ときの総理大臣が、道徳教育を強化すべきだと盛んに主張しはじめました。近頃の青少年は、知力・学力は向上したがこころが貧しくなった。だからさまざまな問題や犯罪を起こすのだ。学校での道徳教育を徹底すれば、そういうことはなくなるはずだ!
2年後、この人はアメリカの企業から巨額のワイロを受け取っていた罪で逮捕されました。彼のお仲間は国会に証人喚問されたとき、ワイロについては記憶にない、の一点張りでおとぼけを貫きました。「記憶にございません」は流行語となり、全国の小学生がオトナに叱られたときに「記憶にございません」とおちゃらけて、もっと叱られました。
1980年代後半、文部省(現・文科省)は「心の教育」の重視を掲げて道徳教育改革を推進していました。改革を先頭に立って指揮していた文部省の官僚は、1989年、企業から巨額のワイロを受け取っていた罪で逮捕されました。
しかも彼は当初、受け取ったのは自分でなく妻だったとウソをついてました。法律に違反する方法でお金もうけをしたうえに、自分の罪をごまかすために奥さんのせいにしようと企んだのです。
注目していただきたいのは、このお二人とも戦前生まれという事実です。
戦前の日本の学校では「修身」という科目名で正式な道徳教育がありましたが、敗戦を機に、日本を占領していたアメリカの指示で廃止されました。アメリカ人が道徳的な行為を否定してたわけではありません。戦前の修身が、戦争を美化してこどもたちに勧めるような内容を含んでいたことが問題視されたのです。そして修身は、正式科目ではない「道徳」と名を変え、社会科などの授業の一部として、細々と続けることになりました。
しかし戦後、少年や若者がなにか事件を起こすたびに、戦前の正式な修身教育の復活を望む声が高まります。戦前の日本のこどもや若者は、学校で修身教育を受けていたおかげで清廉潔白だったと誤解している日本人がけっこういたし、いまだにそう信じてる人たちがいます。
戦前の道徳・修身教育がそんなに優れたものだったのなら、なぜ、総理と官僚は、ワイロをもらうという法的にも道徳的にもしてはいけないことをしでかしたのでしょう。二人とも戦前生まれのかたなので、こどもの頃に正式な修身教育をしっかりと受けていたはずです。
戦前の修身でも、「正直になりましょう」「悪いすすめには従わないようにしましょう」「規則や法律を守りましょう」「ウソをついて他人のせいにするのは卑怯(ひきょう)です」と教えていたのに、二人はその教えを守れませんでした。
人混みを歩いていて、ついうっかり他人の足を踏んでしまうことはあります。相手の態度や言葉に激怒したために、我を失って相手を叩いてしまうことも、たまには起こります。
しかし、ワイロを「ついうっかり」もらうことはありえません。道で転んだら、ついうっかりワイロがポケットに入ってしまった……なんてことは通常の物理法則が支配する世界では起こりえません。
「私は何日も街をさまよいました。ついに所持金もゼロになり、ろくに食事をしてなかったので空腹のあまり意識がもうろうとした状態で、ついうっかり、ワイロをもらってしまいました……あれは出来心だったんです!」
「えー、ワイロをもらうのって、いけないことなんですかぁ? 修身の時間に教わらなかったですぅー。知らなかったー、ごめーん」
どれも、ありえません。
総理や官僚になるくらいにあたまがいい人ならば、ワイロをもらうのが悪いことだと100パーセント知ってます。100パー悪いと自覚した上でやりとりするのだから、もらったことが事実なら、いいわけはできません。
小学校の修身の授業で「ワイロを贈ったりもらったりしてはいけません」と教えなくても、規則を守れ、ウソをつくな、ズルをするなといった他の教えを応用すれば、おのずといけないことだとわかるはず。
それなのに、なぜ悪いことだとわかってて政治家や官僚はワイロを受け取るのか? 答えは単純。ワイロを受け取っても発覚しない確率のほうがはるかに高いからです。
金銭に関わる犯罪はすべて経済的な損得の判断によって実行されます。罰を受けるリスクと得られる利益を天秤にかけ、リスクを利益が上回ると判断した場合、犯罪が実行されます。
そこに道徳的価値判断が入り込む余地はありません。振り込め詐欺の犯人たちは、他人をだますことが不道徳だと知らないのでしょうか。いいえ、彼らは全員知ってます。不道徳な行為でも儲かると判断すれば彼らはやるのです。
ワイロは振り込め詐欺よりも格段に安全な犯罪です。なぜなら、詐欺には必ず加害者と被害者が存在するので、被害者がダマされた! と気づけば警察が動きます。ところがワイロは送る側ももらう側も加害者です。じゃあ被害者は? それはワイロを贈らなかったために仕事などをもらえず損をした人。だけどその人はワイロの授受があったかどうか知りません。だから自分が他人のワイロによって損をした被害者であることに気づかないことが多いのです。罪が発覚しにくいのです。
政治家や役人は、そういう事情を熟知しています。うまくやればバレることはめったになく、ほぼ安全に儲かるとわかってるから、ワイロという習慣は太古から今日まで続いてきたし、永久になくなることはないでしょう。
ワイロを受け取りました、と自首する人なんて、聞いたことないでしょ? これも「悪いことをしたら正直に謝りなさい」と教える道徳に反してます。
よのなかの犯罪や悪行を減らすために学校で道徳を教えるのが、ほぼ無意味だとおわかりになりましたでしょうか。