「最終戦争」の脅威に迫る! 『ハルマゲドン 人類と核(上・下)』
記事:白水社
記事:白水社
“ヒロシマ”以降、人々は学んだ。この次、世界大戦が起きれば、間違いなく数千万単位で人間が殺される恐れがあると。一方、各国政府はこう思った。これに対抗しようと、どんな防衛措置を講じようと、あまりに高くつき、実際の世界においては現実的でないと。とはいえ、国民から責任放棄と非難されつつ、何にもせずに問題を放置する余裕など、どの国の政府にもなかったのだが。
ただ、前(さき)の大戦でアメリカ本土だけは、ただの一度も爆撃を受けなかった。しかも彼らは金持ちだった。潤沢な資金と起業家精神を誇り、熱意と想像力さえあれば、どんな困難も克服可能だという伝統にドップリつかっていたため、アメリカ人は当初、民間防衛というこの“ビジネス”にも大車輪で取り組んだ。政府の秘密計画が定期的にリークされ、あらゆる物事が公の場で議論され、目利きのビジネスマンたちは、放射性降下物を防げる富裕層向けの小じゃれた小型シェルターなんかで一儲けまでした。
一方、ソ連とイギリスの状況は違った。たしかに両国は、あの野蛮な戦争における空襲を何とか生き延びることができた。なので、うんざりしながらも、過去の成功例をモデルに、ともあれ民間防衛の再建に取りかかった。大規模な疎開計画、シェルターの建設、さまざまな防空対策などなど。まるで前例を踏襲すれば、ともあれ次回も何とかしのげるかのように。だがしかし、民間防衛への取り組みは、戦争で疲弊した経済の再建要求と、予算面で競わなければならなかった。しかもイギリスもソ連邦も現在、その原資たるべきリソースを、薬にするほども持ち合わせていなかったのである。
核攻撃から自国を守らんとするならば、理論上は、四つの方法が考えられよう。まず、飛んでくる爆撃機やミサイルを撃墜する。次いで最重要の産業基盤と、体力面、精神面で弱い国民たちを、国土の比較的安全な場所に疎開させる。第三に、爆風や火災、放射能や死の灰から身を守ってくれるシェルターを、居残り組に提供する。そして最後に、有事のさい、中央政府と地方政府を守り、それら政府と国民との意思疎通を最大限維持する方策を何とか考える──の四点である。こうした備えさえあれば、たとえ国土が攻撃を受けても、当局は何とか秩序を維持し、その後の日常生活を、ある程度取りもどすことが可能なはずである。
だが、この種の施策は、どれもこれも国民には不人気だった。やたら高くつくうえに、結果がいまひとつ期待できなかったから。仮に何とか生き延びられても、いざ外の世界に出てみれば、食べ物も雨露をしのぐ場所も、容易に見つからないケースだってあろう。一見妥当な対策も、熱核爆弾(水爆)によって、すべて灰燼に帰してしまうかもしれない。
一九五〇年代の末までに、イギリスは考えを改める。そもそもこんな人口稠密な小さな島国に、意味のある国防政策などあろうはずがないと。政府はそれでも、民間防衛がどうたらこうたらとリップ・サービスを続けていたが、この方面に大した予算を付けなくなった。これに対し、広大な国土を持った米ソ両国はしばらくの間、まあ、何とかなるだろうと淡い期待を持っていた。
そうした状況下にあっても、ごく一部だが、重大な戦略的議論にまで踏み込むアメリカ人は存在した。核抑止への国民的支持をつなぎ止めるためには、信頼できる民間防衛システムが不可欠だと彼らは言う。例えば、アイゼンハワー政権で「心理戦委員会」の議長をつとめた、ネルソン・ロックフェラーはこう論じている。「抵抗への意志」は、ソ連との対峙において中心をなすものであり、結局、「人的資源を温存し、抵抗への意志を維持できた側が、大きな優位を得る」のであると。こうした論法から、当然の帰結として導き出されるのは、ソ連が民間防衛の強化にあれほど熱心に取り組むのは、背後に侵略的意図をかかえている証拠であるという見立てだった。この種の議論はその後も、冷戦が終わる最後の数年まで、浮かんでは消え、浮かんでは消えした。
だが、そうした見立てが深刻な紛争へとつながることはなかった。米ソ双方は、冷戦終結のその日まで新奇なスキームを次々と考案したけれど、そうした案のどれひとつとて、現実味を帯びることはなかったからである。
【『ハルマゲドン 人類と核』下巻「第12章 火山の上で暮らす」から抜粋】