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アメリカの大統領制を知るための基礎知識 『トマス・ジェファソン 権力の技法(上・下)』

記事:白水社

『トマス・ジェファソン 権力の技法(上・下)』(白水社)
『トマス・ジェファソン 権力の技法(上・下)』(白水社)

戦争を持ち込ませないためのロジック

 アメリカは日本やイギリスとは異なり、大統領制をとる国家である。日本やイギリスの議員内閣制では、行政府のトップは立法府の議員も兼ねるが、アメリカの大統領制では、行政府のトップと立法府の議員はそれぞれ別の選挙で選ばれ、両方を兼務することはない。簡単に言うと、日本やイギリスでは三権分立が不十分である一方、アメリカは三権分立を徹底しているのだ。こういう三権分立の徹底化に寄与した思想が「共和主義」なのである。

ジェファソンに影響を与えた人物たち(『トマス・ジェファソン 権力の技法(上)』より)
ジェファソンに影響を与えた人物たち(『トマス・ジェファソン 権力の技法(上)』より)

 それでは、なぜ共和主義は行政府と立法府、司法府の三権を徹底的に分立させるべきだと主張するのであろうか。それは権力というものが必然的に「腐敗」するからである。その腐敗に備えるためには、三権を分立し、お互い同士を監視させておかなければならないのである。

 ここでさらなる疑問が湧いてくる。なぜ権力が腐敗してはならないのだろうか。これに対する共和主義の回答は腐敗の最悪の帰結が他国との「戦争」であり、そのせいで自国民が疲弊するからというものである。ここに共和主義がアメリカの建国に影響を与えた最大の理由が存在する。要するに、共和主義はアメリカにヨーロッパの戦争を持ち込ませないようにするためのロジックだったということだ。

 建国期のアメリカを取り巻く国際的状況がヨーロッパ諸国間の戦争であったことは『トマス・ジェファソン 権力の技法(上巻)』で詳述されているので、そちらをご確認いただきたいが、一点だけ強調しておきたいのは当時のアメリカの宗主国イギリスが他国と戦争を繰り返し、その戦費を賄うためにアメリカに課税を行ったこと、この課税がアメリカ独立革命の引き金になったことである。植民地アメリカにとって、ヨーロッパの腐敗を最も顕著に体現しているのが宗主国イギリスだったわけである。戦争のせいで金銭に支配される国。それがアメリカの共和主義者の見たイギリスだったのだ。

建国者たち(『トマス・ジェファソン 権力の技法(上)』より)
建国者たち(『トマス・ジェファソン 権力の技法(上)』より)

徳を担保するためのガバナンス

 ところで、なぜ当時の文明の中心地ヨーロッパ諸国は腐敗し戦争を行うようになるのだろうか。この疑問にも共和主義的な回答をしておくと、近代以降の「国民国家」を「効率的に」統治しようとするシステムに問題があるということだ。国家の統治には国内からの腐敗に対処する「政治」、国外からの腐敗に対処する「軍事」の両方が必要であるが、共和主義が提唱する本来的な統治は国家の個々の構成員全員が両方に従事しなければいけないというものである。平時には自分の所有地を耕し生活の糧を得ながら政治に参加する。戦時には民兵として武器をとり自分の土地を防衛する。このアマチュアリズムを徹底することでしか共和国の人民に相応しい「徳」は担保できないのである。そして、徳のあるところに腐敗は存在しない。

 むろん、食料を生産しながら政治にも軍事にも関わるというこの統治システムは非効率的なので、ヨーロッパ諸国はこれを採用しなかった。代わりに採用したのがもっと効率的な統治システム、政治と軍事をそれぞれの専門家に担当させるという分業システム、官僚制と常備軍である。政治は政治のプロである官僚に、軍事は軍事のプロである職業軍人に任せるのである。彼らは自身の専門のみに従事するので食料の生産を行わず、労働の対価として金銭を受け取り、それを介して食料を調達する。このシステムでは、金銭とそれを費消するための場としての商業が必要になるが、共和主義者に言わせれば、このセットこそが人民の「徳」を毀損するのだ。金銭に依存する官僚や職業軍人は徳の欠如ゆえに勝手に暴走し始め、国内的には不平等を、国外的には戦争を引き起こす(後者については、八〇年ほど前に陸軍の暴走から世界大戦に巻き込まれた我々日本人には非常に分かりやすい事態だろう)。

ジェファソンとフランス(『トマス・ジェファソン 権力の技法(上)』より)
ジェファソンとフランス(『トマス・ジェファソン 権力の技法(上)』より)

 自らの所有地を自ら耕すことでしか「徳」は担保できない。この極めて牧歌的、田園主義的なテーゼの最強の守護者がこの伝記の主人公ジェファソンなのである。彼の最も有名な命題の一つを『ヴァージニア覚え書』から引用しておこう。

 Corruption of morals in the mass of cultivators is a phenomenon of which no age or nation has furnished an example. (Jefferson, Thomas. Writings. New York: Library of America, 1984. 290)
  これまでいかなる時代や国家においても、耕作者の大多数が道徳的に堕落した事態は存在しなかった。

 さらに、ある社会の耕作者とそれ以外の職業人の比率は健全分子と不健全分子の比率であり、そこから我々はその社会の堕落の程度を把握できるとまでジェファソンは述べている(Writings 291)。

 独立自営農民だけから成る共和国を建設する。この目標の実現はジェファソンの生涯をかけた一大事業であり、この点において彼の意志がゆらぐことは決してなかった。「一者(国王)」や「少数者(貴族)」ではなく「多数者(大衆)」が自由と平等を最大限享受できる社会制度の構築。ジェファソンの政策の動機は全てここに帰着できる。連邦党と対決したのは連邦党がイギリス国王という「一者」の影響力を復活させようとしたからである。信教の自由を重んじたのはキリスト教の信仰が必ずしも「徳」の担保に繋がるとは限らないからだけではなく、(イギリス国教会の流れを汲む)監督派の聖職者という「少数者」が共和国に寄生する事態を防ぐためでもある。州立のヴァージニア大学を創設したのも連邦党や監督派の息のかかっていない高等教育機関が共和制の維持に必要不可欠だと判断したからである。

【「訳者あとがき──あるいはアメリカの曖昧性」より】

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