1. じんぶん堂TOP
  2. 哲学・思想
  3. 轟孝夫『ハイデガーの超‐政治』 ハイデガー後期思想のアクチュアルな意義を解き明かす

轟孝夫『ハイデガーの超‐政治』 ハイデガー後期思想のアクチュアルな意義を解き明かす

『ハイデガーの超-政治』(明石書店)

ハイデガー研究の反時代性

 ハイデガーの「黒ノート」と呼ばれる覚書集が2014年に刊行された際、その一部の覚書に反ユダヤ主義的な言明が見出されるということがセンセーショナルな仕方で取り上げられた。この問題をめぐる学会やシンポジウムが世界各地で開かれ、日本でも「黒ノート」の編者であるハイデガー研究者がドイツから招かれワークショップが開催された。私もそこで発表を行い、物議を醸した「黒ノート」の言明の意味についておよそ次のように論じた。

 ハイデガーは西洋形而上学の起源のひとつを「ユダヤ‐キリスト教」のうちに見て取り、その限りで西洋形而上学が「ユダヤ的なもの」だと捉えていた。こうした認識を前提として、彼は「黒ノート」の件の覚書では、ナチスが西洋形而上学によって無自覚に規定されていることを、ナチスはユダヤ人との戦いを標榜しながらも、それ自身が「ユダヤ的なもの」であるという仕方で揶揄しているのである。つまり反ユダヤ主義的だと非難された言明は、むしろナチス批判として解釈されるものである。

 こうした私の議論に対して、ドイツ人の「黒ノート」編者は開口一番、「ドイツでは政治家が反ユダヤ主義的な発言をすると政治生命を失うのですよ」といった趣旨のことを述べた。欧米において、またもちろん日本でも、政治家など公的な立場にある人物が反ユダヤ主義的な信条を公言すれば大きな問題となることぐらいは私もわきまえている。それゆえ「黒ノート」編者にそうした事情について無知であるかのように扱われたのは不愉快だった。

 しかし他方で、彼の発言はハイデガーの問題の覚書が何を意味しているかをテクストに即して解釈しようとする姿勢自体が、すでに政治的に不適切な行為と見なされることを示唆してもいた。この件について許されるのは、ただハイデガーを政治的、道義的に非難することだけだというわけだ。

 「黒ノート」の内容をもっとも熟知しているはずの研究者がこうした態度だから、ドイツにおいてハイデガーがどのような扱いを受けているかは推して知るべしだろう。その後、私は在外研究の機会を与えられ、2019年4月よりドイツに滞在している。

 その期間中、私は性懲りもなく、しかしそれなりの覚悟をもって、上とほぼ同じ内容の発表をある研究会で行った。はたして、ハイデガーの「反ユダヤ主義的」覚書は哲学的解釈の対象ではなく、まずもって政治的に批判すべき対象であるという反応が真っ先に返ってきた。「黒ノート」編者の上述のような態度は、ドイツ知識人の「総意」であることを痛感させられた出来事だった。

 ハイデガーがナチスに加担したことはこれまでも周知の事実だった。それゆえハイデガーの偉大な哲学的業績には敬意を表しつつも、その政治加担に対しては批判的態度を取るというのが従前のハイデガー研究の暗黙のルールだった。こうした姿勢が、ハイデガー研究者が好んで口にする「ハイデガーとともに、ハイデガーに抗して」というモットーに表現されている。

 しかし、このように一方でハイデガーの哲学的声望を利用しつつ、他方で健全な批判的精神の持ち主であることをアピールするという虫のよい姿勢は、「黒ノート」というハイデガーの哲学的な覚書集の中に反ユダヤ主義的だと見なされる発言が見つかったため、今や完全に不可能になってしまった。

 つまり問題の覚書によって、彼の哲学そのものが反ユダヤ主義、すなわちナチズムに汚染されていることはもはや疑いえないこととなり、以後とりわけ欧米では、ハイデガーの哲学から明確に距離を取ることが「政治的に正しい」態度と見なされるようになったのである。

ナチズムとの「差異」

 しかし「黒ノート」の問題の覚書が執筆された1930年代後半から1940年代初頭にかけての彼の著作を見ると、そこでの議論の基調はナチズムへの追随どころか、むしろそれに対する徹底的な批判によって規定されている。

 1930年代後半以降、ハイデガーはあらゆる存在者を「前に‐立て」、支配することを目指して止まない「主体性」に対する批判的考察を展開するようになる(彼はこうした主体性を近代技術の本質と見なしていたので、主体性に対する批判はすでにこの時期から技術批判という意味をもっていた)。

 これはニーチェやエルンスト・ユンガーの思想との対決という形を取りつつも、根本においては、彼がこの主体性の先鋭化された形態と見なしていたナチズムへの批判であった。

 とはいうものの、ハイデガーは1933年にナチスが政権を奪取したときに、ナチス支持者としてフライブルク大学の学長に就任している以上、彼の思想のうちにナチズムと親和的な要素が存在することは、やはり否定できないのではないだろうか。

ナチ党員徽章を付けたハイデガー(1933年頃)

 ハイデガーは1933年のナチス政権発足時には、ナチズムのうちに西洋のニヒリズムに対する対抗運動という側面を見て取っており、その限りで確かにナチズムに共感を抱いていた。彼は自身の「存在の問い」の立場から、ニヒリズムを「存在忘却」に由来するものと見なしていた。

 こうした認識に基づいて、彼はドイツ人がふたたび「存在に晒し出され」、存在によって基礎づけられた民族共同体を創設すべきだと考えていた。彼はナチスがこのような方向に向けて民族を結集することを期待していたのである。

 ハイデガーは「黒ノート」の学長就任直後に書かれた覚書で、「存在の問い」を「超政治」と呼んでいるが、これは自身のナチスへの関与が、まさに今述べたような「存在の問い」の政治性に基づくことに注意を促すものだった。

 しかし他方でこうしたハイデガーの立場は、ナチスが掲げていた人種主義的な民族観とは相容れないものでもあった。それゆえ彼は、民族の将来の指導者を育成する大学において、とりわけ学生たちを正しい民族理解へと導くことにより、ナチズム運動に含まれる(と彼が考えていた)積極的な可能性を引き出すことをおのれの課題としたのだった(こうした所信が学長就任演説「ドイツ大学の自己主張」で表明されている)。

 つまり当初からハイデガーの哲学的立場とナチスの世界観のあいだには明確な差異が存在していたが、この時点では、まさにこの差異こそが彼のナチスに対する積極的な関与を動機づけていたのである。

 ハイデガーは1934年4月に就任後、わずか一年足らずで学長を辞任した。これは彼が自分の哲学によってナチスを導くことが不可能であることを認めたことを意味する。したがってその後は、彼はそれまでとまったく同じ立場に基づいて、ナチズムがニヒリズムを克服するどころか、むしろ促進する存在でしかないというその退行性を厳しく批判するようになる。つまり彼の超政治はこれ以降、ナチズムとの対決として遂行されるのである。

 こうしたナチズムとの対決は、すでに述べたように、根本的には主体性(技術)に対する批判を意味するものだった。ハイデガーはこの主体性をナチス国家のみならず、近代国家一般の本質と考えていた。

 この見方に従って、彼は第二次世界大戦後、主体性の支配はナチスの崩壊とともに克服されたわけではなく、むしろそのまま存続している点に注意を促している。つまりナチズムへの批判は、今度は、ナチスに対する勝利を祝う戦後体制に対する批判にそのまま転化していくのである。

 昨今、原子力利用に対する先駆的な批判として注目されているハイデガーの戦後の技術論も、根本的にはこうした戦後体制に対する「超政治的」批判という文脈に位置づけられる。それは単に原子力技術に対する批判的な視座を提供するだけにとどまるものではない。むしろ原子力技術もそのひとつの表れでしかない、近代国家の主体性にはらまれた本質的な暴力性を俎上に載せているのである。

「ハイデガー・ナチズム論」を超えて

 先ほども述べたように、ハイデガーの思想とナチズムのイデオロギーの差異こそがハイデガーをナチス加担へと動機づけていた。またその差異が、ナチス離反後はそのままナチズムへの批判の根拠となっていた。これに対して、既存の「ハイデガー・ナチズム論」は両者が同一であることを前提としているため、そこでは彼のナチスへの積極的関与とそこからの離反をともに根拠づけているものがまったく見落とされている。

 このことを見て取れないということは、ハイデガーが「黒ノート」で超政治と呼んでいる彼独自の政治的立場、すなわち彼の「存在の問い」にはらまれた固有の政治性も捉えられないことを意味する。

 そもそも1990年代以降、ハイデガー全集の一環として次々と刊行された覚書集や講義録その他の資料は、ハイデガー自身によるナチス加担の動機の説明や、ナチスと決裂するに至った事情、またその後のナチズムとの哲学的対決を明確に示したテクストを数多く含んでいる。

 ところが既存の「ハイデガー・ナチズム論」は、ハイデガーがナチであることを自明の前提としているため、まさにそれらの覚書に示された彼の哲学とナチズムの緊張関係を完全に捉え損ねている。こうして現在に至るまで陸続と刊行され続けている「ハイデガー・ナチズム論」は、ハイデガーのテクストの中からナチズム的な要素を探し出すゲームに飽きることなく興じ続け、ここ30年間に飛躍的に充実した当該問題に関する資料はことごとく素通りしてしまう。

 まさにこうした「ハイデガー・ナチズム論」の限界を乗り越えるべく、本書で私は「黒ノート」も含めた新資料を広範に参照し、その政治的な含意に注目しつつ、1930年代以降1960年代までのハイデガーの思索の歩みをたどることを試みた。

 本書をお読みいただければ、ハイデガーの後期思想について一般に流布されたイメージ――独自の言語世界に閉ざされた秘教的で非政治的な思索――がいかに実態にそぐわないものであるかおわかりいただけるだろう。

 後期の「存在の思索」は、同時代の政治的現象の本質とその歴史的起源についての根本的な考察を展開することにより、われわれが生きる現代社会の本質をもっとも根底から照らし出すものとなっている。その意味では、『存在と時間』に代表される前期の思索にはないアクチュアリティをもつとさえ言いうるのである。

メスキルヒのハイデガー生家(著者撮影)