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山下太郎『お山の幼稚園で育つ』――役に立つことより、面白いことをやってみよう

記事:世界思想社

いきものの池で何か発見!
いきものの池で何か発見!

楽しむ――楽しむことを学べ

 意外に思われるかもしれませんが、実は幼稚園と大学には共通点があります。どちらも「正解」のない世界での「遊び」が意味をもつという点です。また、数字による評価が意味をもたない点でも共通します。答えのある世界でどれだけ高い評価が得られても、そのことは大学での学問をどれだけ楽しめるかの指標にはなりません。同様に、幼稚園児が教科の先取りをして、答えがある世界に早々に馴染んでしまうことは、園生活そのものを楽しむうえではマイナスです。

 好奇心は遊び心から生まれます。幼児期にどれだけ五感を使って遊びこめるか。その経験の有無が、その後の人生を――人間としてのポテンシャルの大小を――決定づけると言っても過言ではありません。そのことは、大学で十二年間教えた経験から言える実感です。

 「遊び」は工夫と挑戦とチームワークの原体験になり、「好き」と「得意」の感覚の基準を作り上げます。泥団子しかり、虫取りしかり、鬼ごっこしかり、自分一人で、あるいは気の合う友達とともに作り上げる手作りの遊びはお金もかからず、飽きることがありません。子どもたちは大人が想像する以上に手間暇かけて「楽しさ」を追求し、子ども本来のポテンシャルに磨きをかけ、チャレンジ精神を養っていきます。

(中略)

雪、大好き!
雪、大好き!

 大人が目的意識をもちすぎることは、子どもたちの豊かな成長には逆効果です。大人はしばしば「有益性」を基準に判断するので、面白いものに気づかないばかりか、無意識のうちにその追求に水を差す側にまわります。

(中略)

 「哲学」は英語のフィロソフィー(philosophy)の訳ですが、語源をたどれば、「知を愛すること」という意味の古典ギリシア語です。「これはなんだろう?」、「なぜこうなるんだろう?」と、幼児があたりまえのようにもっている好奇心も、いうなれば「知を愛すること」であり、子どもたちは小さな哲学者なのです。目的や有益性を追求するあまり、「早期教育」を進めるならば、ますます「哲学」離れが進んでいくことになるのではと心配です。

 「好奇心」がどれほど大切なものかについて、物理学者アインシュタインは次のように述べています。

 あなたのしていることの理由を考えるために立ち止まってはならない。なぜ自分が疑問を抱いているかを考えるために立ち止まってはいけない。大事なことは疑問をもつことを止めないことだ。好奇心はそれ自体で存在意義がある。人は永遠や人生や、驚くべき現実の構造の神秘について熟考すれば、必ず畏怖の念にとらわれる。毎日この神秘のたとえわずかでも理解しようと努めれば、それで十分である。聖なる好奇心(a holy curiosity)を失うな。成功した人間(a man of success)でなく、価値ある人間(a man of value)になろうと努めよ。

 人類は月にロケットを飛ばすことにより、月にウサギが住んでいないことを証明しました。それでも、私たちは依然として、夜空に静かに浮かぶ月を見て、心を打たれます。しかし、能率を尊ぶ「成功した人間」は月を見ないかもしれません。月を見る時間は無駄なものだと言って。それに対し、聖なる好奇心をもつ人は、価値ある人間(=価値のわかる人間)として、自然や人生の不思議さ、複雑さにも目を向けるでしょう。そうした姿勢こそ、「人間性」と呼べるものではないでしょうか。

 目の前のものが役に立つのか。本当に役に立つものとは何なのか。それはいつになったらわかるのか。答えの出ない問いです。それならば、「役に立つことより、面白いことをやってみよう」と思えばいいのではないでしょうか。面白いものなら目の前にいくつもある。面白いことをするチャンスはいっぱい広がっている。

 「楽しむことを学べ」とは、ローマの哲人セネカの言葉です。ここで言う「楽しみ」とは、その場かぎりの享楽でもなければ、外から与えられる娯楽でもありません。一日のすべての時間を楽しむこと、人生を楽しむことを学べと言っているのです。子どもたちが夢中になって遊んでいる姿をじっと観察していると、セネカのこの言葉が聞こえてきます。

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