医師は「疾患」を診断し、患者は「病い」を経験する 『医療ケアを問いなおす』より
記事:筑摩書房
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私が以前出会った末期腎不全患者の話から始めよう。この方は、高齢の物作りの職人であったが、末期腎不全と診断され、人工透析を受けていた。正式には血液透析(HD)と呼ばれるその療法は、週3回、1回4~5時間程度、病院の透析室に通って透析を受けるものであったが、この方は、透析のために十分な時間がとれなくなり、また手の感覚も鈍ってしまって、仕事であり生きがいでもある物作りが思うようにできず、とても辛いと言って、別の病院から転院されてきたのである。
医学的には、種々の検査データに基づいて「末期腎不全」と診断され、治療もされていたが、この方にとっては、「末期腎不全」というこの疾患は、透析に時間を取られ、手の感覚も鈍って、仕事であり生きがいでもある物作りが思うようにできない、とても辛い病いであった。この辛さは、この方にとって物作りが仕事であり生きがいでもある一番大切なものであったがゆえに、この方が経験していた辛さであり、末期腎不全患者であれば誰もが同じ辛さを経験するわけではない。彼の願いは、ともかくも自分の好きな物作りが最期まで続けられることであった。それ以外には何も望まないとも彼は語っていた。
「末期腎不全」という疾患は、検査による種々の数的データによって客観的に特定され、医学的に診断される。しかし、この方の病いの辛さは、彼が物作りの職人であり、物作りが生きがいでもある一番大事なものであるがゆえの、一般的なものとしては捉えることのできない彼固有の辛さであって、しかもそれは、客観的な数的データとして表現されるようなものではない。したがって、検査データの数値だけを見ていたのでは、彼に特有の病いの辛さは到底理解できない。しかし、この病いの辛さを受けとめたうえでなければ、彼にとって効果的な治療も、彼のためのより良いケアもできないことは、少しでも医療に携わった方であれば、よくご存じのことであろう。
幸い、この方は、自分の好きな物作りを最期までしたい、それ以外には何も望まない、という願いが、転院先の新たな病院の医師や看護師たちに受けとめられ、医学的にも可能だとして、腹膜透析(PD)に療法が変更された。この療法は、自宅で就寝中に透析ができ、通院も月1~2回で済み、日常生活の自由度が増す療法だが、腹部に挿入されるカテーテルの出口部の衛生面の管理や、自宅での透析機器の操作、それに日々の食事における塩分制限などの自己管理が十分に行われないと成り立たない療法であるため、わが国ではまだあまり普及していない。けれども、医療スタッフたちは、彼の病いと願いを受けとめ、自宅での十分な自己管理ができるよう、ご本人のみならずご家族ともよく話し合い、ケアマネージャーや透析機器メーカーの方たちも巻き込んで、自宅での機器操作の技術指導なども行った。こうして多くの方々が支えることで、この方は腹膜透析をしつつ、最期まで自宅近くの工房で好きな物作りをしながら命を全うされた。この事例は、高齢化が進み、地域包括ケアの必要性が叫ばれるなかにあって、患者の病いの経験と願いに向き合い、寄り添った、医療ケアの目指すべき一つの姿ではないかと思われる。
医療人類学や看護学では、私たちが一般に「病気」と呼んでいるものを、しばしば「疾患(disease)」と「病い(illness)」とに区別する。この区別はもともと、アメリカの精神科医で医療人類学者でもあるアーサー・クラインマン(Arthur Kleinman, 1941-)が『病いの語り』で用いて一躍知られるところとなったものだが、同じくアメリカで現象学をベースにした優れた看護理論を展開しているパトリシア・ベナー(Patricia Benner, 1943-)は、ルーベルとの共著『現象学的人間論と看護』において、クラインマンらの区別を受けて、これら二つを次のように定義している。
疾患=細胞・組織・器官レヴェルでの失調の現われ
病い=能力の喪失や機能不全をめぐる人間的経験(human experience)
(『現象学的人間論と看護』ix、10頁〔原著xii, 8頁〕)
「疾患」は、「細胞・組織・器官レヴェルでの失調の現われ」であるから、身体の細胞、組織、器官に関する医学的検査によって数量的データを通じて認識され、そのデータに基づいて医学的に特定されるもの──すなわち診断名が表している身体の病的状態──と捉えておおよそ間違いはないと思われる。
これに対して「病い」のほうは、「能力の喪失や機能不全をめぐる人間的経験」であり、その「疾患」を当の患者がどのような意味合いで経験しているか、という「意味(meaning)」を帯びた「生きられた経験(lived experience)」であるから、身体に関する医学的な検査を通じて数量的データによって捉えられるようなものではない。「病い」は、たとえば大事にしていた計画が危機に瀕したり頓挫してしまったり、あるいは人間関係がかき乱されてしまったりといった仕方で表現するしかないような、疾患によって患者に生じた特定の意味を帯びた経験なのである。
「疾患」と「病い」というこの区別を踏まえると、先の物作りの職人の場合、「末期腎不全」という「疾患」が、「透析のために十分な時間がとれなくなり、また手の感覚も鈍ってしまって、仕事であり生きがいでもある物作りが思うようにできず、とても辛い」「病い」として経験されていたということになるだろう。実は私たちは前項でもすでに、この区別をいくらか先取りして叙述を行っていた。ベナーらは、「病いのもつ意味を理解すること」で看護師は治療を容易にし、患者の回復を早めることができるし、治療の手立てがない場合でも、「患者とその生活にとって病いがいかなる意味をもっているかを理解すること」は、癒しの一形態だと述べているが、先の物作りの職人の場合も、「疾患」のみならず、彼の「病い」の意味をも受けとめた転院先の医療スタッフが、最期まで仕事であり生きがいでもある物作りがしたいという彼の願いに寄り添うように治療と医療ケアを行ったのだと言えるだろう。
疾患と病いとがどのような関係にあるかについて、もう少し考えてみたい。たとえば、同じ癌という「疾患」にかかったとしても、まだ年若く子供も小さく働き盛りの人と、すでに子が成長し自分自身もリタイアしている老人とでは、癌宣告が異なった意味を帯びて経験されるであろうことは、容易に想像される。ということは、同じ癌という「疾患」にかかったとしても、それによる「病い」の経験は、その人が人生のどの段階にいるのか、どのような家庭的・社会的状況に置かれているのか、さらにその人がこれまでどのような経験を経て、今何を大事にしているのか等によって個々に異なりうる。しかも、意味経験としての「病い」が数量的に捉えられないのと同様に、この違いも数量的に捉えることはできないのである。
それだけではない。人は何らかの「疾患」にかかっていながら、それを「病い」として経験していないことがありうる。たとえば、健康診断などで「疾患」が発見されても、日常生活に支障がなく、自分が大事にしていることが問題なくできていれば、人はたいていそれを「病い」として経験しない。したがって病院で診療を受けたりはしないのである。
しかし逆に、「疾患」を治療すれば自動的に「病い」が消滅するというわけでもない。重篤な癌に罹患した場合など、幸い疾患が完全寛解してもその後「病い」経験が長く残り続ける場合がありうることは、しばしば指摘されるところである。したがって、疾患と病いとは、コインの表裏のように、一方に伴って必ず他方も生じるような関係になっているわけではないのである。
また、「病い」が意味経験であるからと言って、それを単なる心理的なものと捉えることもできない。先の物作りの職人は、「手の感覚が鈍って、物作りが思うようにできず、とても辛い」病いの経験をしていた。それは、たんなる心理的経験ではなく、まさに身体と心の両面にわたるトータルな人間的経験、心身の統合である人間によって生きられている経験なのである。
とすれば、患者をトータルにみて、ケアするためには、患者の病い経験を受けとめ、理解することが重要であることになろう。医師の多くは、検査によって得られた身体に関する数量的データをもとに「疾患」を特定して診断を下し、完治を目指して治療を行おうとする。しかし、看護の営みにおいては、「疾患」のみならず、患者の「病い」の経験をも受け止めなければ、十分なケアが成り立たないことは、現場の看護師であれば、日々の営みの中で身をもって感じていることだろう。先に触れたベナーらも、疾患によって生じた身体と心の両面にわたるトータルな意味経験としての、この「病い」経験に照準を定め、あくまで「病い」経験とのかかわりにおいて「疾患」を捉え、患者をケアしていくのが「看護」だ、と述べている。「疾患」に関する医学的知識がなければ、看護ケアにはならない。しかし、「疾患」だけに目を向けていては、患者をケアしたことにはならない。「疾患」を把握するとともに、「病い」の経験にも目を向け、そこに関心を寄せてこそ、看護ケアは看護ケアとして成り立つのである。これはしかし、看護のみならず、患者をトータルにみて行う医療ケア全般に言えることであろう。