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スズキが恋に落ちたお相手は……ラヴ・ロマンス風文化人類学入門

記事:世界思想社

『恋する文化人類学者――結婚を通して異文化を理解する』(世界思想社)
『恋する文化人類学者――結婚を通して異文化を理解する』(世界思想社)

 文化人類学者の卵としてアフリカのコート・ジヴォワールという国に渡った私は、かの地で恋に落ちた。相手は有名な歌手・ダンサーである。その恋は足かけ7年を経て、やがて結婚というかたちで実を結ぶこととなる。当時売れっ子であったアイドル歌手と日本人との結婚。しかも彼の名は「スズキ」。アフリカの人々にとって、いやおそらくほとんどの外国人にとって、「スズキ」はバイク・自動車メーカーの名として知られている。彼らはこれが名字であるなどと考えてみたこともないだろう。

 有名歌手と有「名」日本人との結婚。しかも挙式はコート・ジヴォワールの大都市アビジャンにおいて完全に伝統的な方式に則って8日間にわたっておこなわれ、芸能スクープとして当時の新聞を賑わせた。

 私は文化人類学者である。文化人類学者は特定の研究テーマを立て、現地において長期間生活しながら調査をおこない(これをフィールドワークという)、異文化への理解を深めようと努力する。

ストリート・ボーイと暮らす

 当時大学院生であった私も、アビジャンという街でフィールドワークの真っ最中であった。テーマはストリート・ボーイと音楽。

 ストリート・ボーイたちの出没するところならば、たとえそこが危険きわまりないゲットーの奥であろうと躊躇なく駆けつけ、彼らの好きなレゲエやラップのミュージシャンと個人的な交流をつづけながら、アビジャンのストリート文化と音楽との関係を調査していった。その成果は2000年に『ストリートの歌――現代アフリカの若者文化』(世界思想社)としてまとめることができた。そのなかで、調査する私と調査されるストリート・ボーイたちとの交流の模様を盛りこみながら、アビジャンのストリート文化の諸相と音楽とのつながりを描いていった。

 ところで、同じ時期に私はもうひとつの交流を経験していた。相手は私の未来の妻とその家族。「恋」という感情が私と彼女とを結びつけ、必然的に彼女の家族との交流がはじまった。ストリート・ボーイという、お世辞にも「普通」とはいえない人々の調査をしていた私であるが、驚いたことに彼女の家族もまた別の意味で「普通」ではなかった。彼らは〈グリオ〉だったのである。

お相手はグリオの娘

 〈グリオ〉はときに「語り部」、ときに「楽師」、ときに「吟遊詩人」などと訳されるが、そのどれもがグリオの属性の一部を表現しているにすぎない。おおくのアフリカ社会は伝統的に文字をもたなかったが、文字がないがゆえにコミュニケーションの手段として豊かな声の文化を、奥深い音の文化を発達させてきた。彼らはその言葉に、歌声に、楽器の音色に、われわれ日本人には想像もつかないほどの多彩なニュアンスを込め、それらを自由自在に操りながら日々の生活を送っている。

 豊かな声の文化、音の文化はアフリカに遍在しているのであるが、地域によっては特定の人々に声や音を扱う仕事を任せてしまおうとすることがある。そこにおいて声と音を操る達人として活躍するのがグリオである。

歌うグリオ(撮影:鈴木裕之)
歌うグリオ(撮影:鈴木裕之)

 グリオは特定の家系に限られ、そこから優秀な語り部や音楽家が次々と輩出する。彼らは言葉の達人として、ときに王侯貴族の助言者やスポークス・マンとなり、ときに争いごとの仲裁にはいり、音の達人として、ときに結婚式で音楽を演奏し、ときにダンス・パーティーを盛りあげる。

 今日彼らはその音楽的才能を武器にポピュラー音楽の分野へも積極的に進出し、モリ・カンテ、カンテ・マンフィラ、カセ・マディ・ジャバテなど日本においてもCDが手にはいるような国際的スターを輩出するにいたっている。

 私をアフリカへと誘ったのは音楽であった。小学校の頃は当時流行っていた歌謡曲やフォーク・ソングを聴いていた私であるが、中学生になるとロックに目覚め、とりわけローリング・ストーンズの虜となった。ストーンズ熱は大学までつづき、やがて彼らの音楽のルーツがアメリカ黒人音楽であることを知る。ブルース、ソウル、レゲエ……いつしかターンテーブルに載るレコードのジャケット写真も黒人ばかりになり、やがてすべての黒人の故郷であるアフリカへと興味が移っていった。

結婚を通して異文化を理解する

 そしてついにアフリカの地に赴き、そこで偶然にも恋に落ちた相手がアフリカの音楽的伝統を体現するグリオの娘だったのだ。話ができすぎているようであるが、これはなんの脚色もない真実である。

 本書の目的はアフリカの音楽やグリオについて概観することではない。目的は私の個人的な話を聞いてもらいながら、文化人類学への扉を開いてもらうことにある。本書において私は自分と妻との馴れ初めから結婚にいたるまでの体験を、文化人類学の視点を通して語るつもりである。まるで火の粉が降りかかるように次から次へと目の前に立ち現れる「異文化」を受けとめてきた私の体験には、当事者ならではの実感がともなっているはずだ。読者はその臨場感に巻きこまれながら、ヴァーチャルなかたちで文化人類学の視点を獲得することができるであろう。

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