変動する香港を知るための通史 植民地時代から現在までをたどった『香港の歴史』
記事:明石書店
記事:明石書店
はじめに、私事から始めることをお許し願いたい。
若いころにモンゴル語学徒として、当時目指す者の少ない留学生試験をうけ、運よく社会主義体制のモンゴル人民共和国に渡った。何一つ明確に習得できたものはなかったが、モンゴル全土でも近くにいる日本人は同じ学生寮の2、3人で、ともかく周りはモンゴルの人々ばかりで、例えば熱を出してうなっても、身体の状態をモンゴルの人にモンゴル語で伝えなければ、医者にもかかれなかった。ということで、何とかモンゴル語だけは習得できたのではないかと思った。
2年の留学期間を終え、両親と先輩が成田空港まで迎えに来てくれ、京成電車に乗って帰宅したが、車中の人たちの話すことばが、日本語のはずなのに、どうしてもモンゴル語に聞こえてしまい、モンゴルに戻ったのかと思ったものだった。
モンゴルではいわゆる「外人」であったわけであったが、日本に戻っても「外人」となったのかもしれない。今はその意識もだいぶ薄れたが、普段は「日本人」とは思わないが、元「外人」であったことは確かである。
日本に戻って、明石書店におせわになり、数年して現在のように、外国に関するテーマの本を主に担当することになった。元「外人」としては、適任なのだろうが、外国と言っても色々な国・地域が存在するし、それぞれ特色があるため、毎度勉強しなければ、とても仕事にならない。
ということで、老いてますます向学心に燃えている。
教養や人文科学がないがしろにされる風潮が醸し出されて数年経つが、そもそも教養に乏しい身としては、日々の仕事のなかで、「勉強がたりないな、勉強しなければいけないな」と思っているところに、水を差すような傾向である。向学心に燃えているのに。
そんななか、同じセクションの人間が集まって話をしているうちに、自然に「外国研究の名著といわれるにもかかわらず、まだ日本に翻訳・紹介されていない書籍を、刊行しよう」という企画が立ち上がることになった。まず「外人」は、その対象となる国や地域の歴史を学ぼうとしたのである。
今回紹介する『香港の歴史―東洋と西洋の間に立つ人々』はその一冊である。
ところで、私自身は、元「外人」といったものの、実際にはモンゴルに住んだだけで、あとは、中国とベトナムを旅行しただけである。香港は行ったこともなく、かろうじて以前に『香港を知るための60章』を担当させていただいたことで、多少のなじみはあったが、体系的なイメージを頭の中に結んではいなかったと思う。
そこで、上で触れた企画ですでに『テュルクの歴史』が刊行され、本書は私にとってこの企画の第2号となる。翻訳をお願いした倉田明子先生と倉田徹先生は『香港を知るための60章』で大変お世話になり、この企画をお願いしたところ、快諾していただいた。その後の事情は「訳者あとがき」に詳しく記されているので、ここでは記さないが、ちょうど編集作業が最終段階に入ったころ、新型コロナウイルスでこちらが在宅勤務体制をとるようになり、編集の進行が緩やかになった。
そのうえ「国家安全法」をめぐる情勢で、訳者の倉田徹先生が多忙を極めてしまった。こちらとしては、会社からは怒られるが、多少刊行が遅れても仕方がないと思っていたところ、先生は「訳者あとがき」に加筆し、香港が歴史の分岐点にある時点での状況を明瞭にしていただいた。
本書は、香港の発生から2007年までのその歴史を簡潔に記述したものであり、今後の香港情勢を予測するものではないが、その成り立ちを辿ることで、見通すことのできる視点も得られると思う。
その一つのよすがとして、サブタイトルを悩みに悩んで「東洋と西洋の間に立つ人々」と訳者は提案した。なぜこのようなタイトルになったのかという経緯は、本書387ページに記されている。皆さん、ぜひ本書を手にされ、読んでください。なお、本書では翻訳者により、年表には原書にはなかった2007年以降2020年6月4日までの事項が追加され、さらには「歴代香港総督・行政長官一覧」が作成されたことは、読者に裨益するだろう。
ここまで書いてきてなぜか、何の脈略もなく、モンゴルの諺が頭に浮かんだ。
Aival buu hii(こわいのならやるな)
Hiivel buu ai(やるならこわがるな)
まとまりのない文章になりましたが、香港は、しなやかで強いのです。