「人種主義」なナチ映画の起源 『ヒトラーと映画 総統の秘められた情熱』
記事:白水社
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『ユダヤ人ジュース』の監督ファイト・ハーランは戦後、この映画との関わりを否定しようと全力を尽くした。ゲッベルスはもともと、ペーター・パウル・ブラウアーに監督を任せていたが、一九三九年末に心変わりして、ハーランを起用した。もとの脚本がハーランではなく、ルートヴィヒ・メッツガーとエーバーハルト・ヴォルフガング・メラーの作品だということも事実である。そして、ハーランは圧力をかけられていたのかもしれない。ハーランはのちに、ヒトラーは『ユダヤ人ジュース』制作を厳命し、ゲッベルスは承諾しなければダハウに送ると脅したと主張しているが、これを証明するものはない。ゲッベルスの日記には、ハーランは協力的だと書かれている。たとえば、ゲッベルスはもとの脚本に納得していなかったが、ハーランには「たくさんの思いつき」があり、「脚本を手直し」しようとしている、ハーランによる改変は「大仰だ」と記している。すでに存在していた脚本の反ユダヤ主義を緩和したという戦後の主張に反して、彼はそれを強化している。メッツガーとメラーによるもとの脚本とハーラン版を比較すれば明らかである。ハーランの脚本のト書きでは、ジュースは単に「ユダヤ人」と呼ばれており、彼から個性を剝ぎ取り、「類型」として提示しようというハーランの意図は明白である。ハーランは、もとの脚本に書かれたユダヤ人の性質をサディズム、乱交、サディスティックな乱交で強化し、ハーラン版では、ジュースが「アーリア人」ドロテーアを強姦する場面がかなり長くなり、それと彼女の婚約者の苦悩が結びつけられた。『ユダヤ人ジュース』の最終版には、ユダヤ人少女レベッカが淫らな様子でバルコニーに身を乗り出している場面が含まれている。ハーランが付け加えたものである。ハーランの脚本と映画の最終版では、ユダヤ資金を活用してヴュルテンベルクに内乱を起こそうというジュースの目論見も強調され、こうして、連合国の戦争遂行努力の背後にいるユダヤ人というナチの戦時プロパガンダに、歴史による援護射撃がなされた。メッツガーとメラーが書いたもとの脚本では、ドイツ西部のユダヤ人は「アジア的」、「東洋的」な存在とされ、それによって、彼らが移住する必要性が唱えられた。ハーランはこの特徴づけを強化した。ハーランの脚本は、ヨーロッパのユダヤ人を本質的に東洋的、異質、道徳的観念がないと描写して、今やユダヤ人の移住よりむしろ、占領下のポーランドで実行されている移送とゲットー化というナチの政策を正当化している。戦争が始まった今となっては、ナチは、ドイツ、オーストリア、チェコだけでなく、ポーランドのユダヤ人にも「対処」しなくてはならなかった。
アルフレート・ローゼンベルクが一九三九年九月二九日に記録した会談で、ヒトラーは彼に、ポーランド人──「ほんの僅かなドイツ的要素が奥深く隠れている」──とユダヤ系ポーランド人の印象を語った。「それ以上に身の毛のよだつものは想像できないだろう」。ヒトラーは一二月、ゲッベルスとローゼンベルクに不満を述べた。ナチ映画に「ユダヤ的ボリシェヴィズム」というテーマは扱えなかったと。ハーランはこの会談に参加しなかったが、彼の自伝で明らかになったように、ゲッベルスは彼に、反ユダヤ主義に関するヒトラーの見解を常に伝えていた。『ユダヤ人ジュース』のユダヤ人が、潜入、扇動、欲深という共産主義者の特性と見なされているものを共有しているのは、確かに印象的である。ハーランは、フランクフルトやシュトゥットガルトのユダヤ人を東欧の正統ユダヤ教徒と似せるために、できることは何でもし、ゲットーの場面も取り入れた。ハーランは、気乗りのしない様子のフェルディナント・マリアンにユダヤ人ジュースの役を完璧に演じさせようと、スクリーン・テストの際、カフタンと前髪でゲットーのユダヤ人の扮装をするよう説きつけた。映画の制作主任オットー・レーマンによれば、ハーランは、ユダヤ人の慣習を知ろうと、『永遠のユダヤ人』に使われる予定のウーチ・ゲットーの映像を見た。マリアンが主役を演じる一方、ヴェルナー・クラウスはそのほかのユダヤ人役を引き受けたいと言い張った。クラウスは、俳優が一本の映画で複数の役を演じるのを好まないことで知られていたゲッベルスが拒絶するだろう、と予想していたのかもしれない。クラウスは、非ナチ化裁判の中で、二義的なユダヤ人複数の役を演じたのは、ひときわ「ユダヤ的」な容貌の俳優間の争いを防ぐためだったと主張した。クラウスの意図が何であれ、彼は複数の役を引き受けたことで、すべてのユダヤ人は同一の人種類型を表わしており、彼らの強烈な画一性は、クラウスが演じた複数の役のモデルになっている、いわゆる狡猾なヨーロッパ・ユダヤ人に具現化されているというナチの思想を補強する役割を果たした。
ハーランは一九四〇年一月、東方ユダヤ人を「研究」し、スクリーン上の彼らの印象を鮮明にしようと、セット担当コニー・カーステンセンおよび助手アルフレート・ブラウンとともに、ナチ占領下ポーランドのルブリンへ赴いた。カーステンセンによれば、群衆場面に出演させるため、ユダヤ人一五〇人をベルリンに運ぶ列車の手配もしようとしたが、蔓延するチフスへの恐怖から、その計画は頓挫した。ハーランは自伝で、この旅行を善良なユダヤ人に会うための愉快な外出であるかのように、また、彼らが神経を高ぶらせているのは、居住地を離れて映画に出演するからであるかのように見せかけ、「彼らはベルリンに行けば楽になるだろうと信じていた」と述べるだけで、彼らが出立に際して絶望した理由を考えてもいない。ルブリンは一九三九年末から四〇年はじめにかけて、ユダヤ人を駆り集めて追放する、いわゆるニスコ計画の拠点だった。ハーランは、ナチによるルブリン地区への大規模なユダヤ人追放について、何事かを察知していたに違いない。ユダヤ人は、併合されたポーランド地域からだけでなく、ウィーン、オストラヴァ、カトヴィツェからも移送されていた。彼はユダヤ人が置かれた生活環境を目撃したに違いない。彼は、ルブリンだけでなく、ウーチを含むいくつかのゲットーを訪れた。ハーランは、プーリームの祭りを祝うユダヤ舞踊を見たあとで、「この人種より黒人の方が遥かに我々と共通点が多い」と述べている。ハーランは、ユダヤ人迫害が高まっている時点で『ユダヤ人ジュース』制作に取り組んでいると自覚しており、自分の映画は反ユダヤ主義を助長し、迫害を推進させるだろうと思いながら、映画の制作を継続し、ユダヤ人の印象をできる限り「異質」なものにしようとし続けた。ハーランは、ルブリンへの不毛な旅ののち、プラハでシナゴーグの場面を撮った。彼は、映画のためにプラハのユダヤ人が宗教儀式を自発的に演じるよう要求したが、シナゴーグの場面では、東欧ユダヤ人の宗教行事が使われた。シナゴーグの場面のためにユダヤ人を「供給」したのは、親衛隊ユダヤ人出国中央本部である。中央本部はのちに、『ユダヤ人ジュース』初日の無料切符が貰えなかったと文句を言っている。いずれにせよ、シナゴーグの場面では、泣き叫び、歌うユダヤ人が、明らかに混乱した不穏な様子でセット中を動き回るのが見られ、ハーランによる撮影が、ユダヤ人にはドイツ人との「共通点がない」という印象を強めている。
『ユダヤ人ジュース』の制作は、ナチのユダヤ人迫害史における三つの主要な出来事と密接に関連している。「水晶の夜」、一九三九年一月三〇日のヒトラーの国会演説、そして占領下ポーランドでの反ユダヤ政策の実施であり、それらの中心にヒトラーがいた。一九四〇年の初上映の際、いわゆる東欧風の正統ユダヤ教徒の脅威の描写によって、映画の的確な時事性が保証された。『永遠のユダヤ人』および『ロスチャイルド』と同様に、そして初期のナチ反ユダヤ映画と対照的に、『ユダヤ人ジュース』でユダヤ人がもたらす危険は全面的なものとして描写されている。ジュースは、公爵の屋敷にまんまと潜り込んだあと、危うく国家を破壊するところだった。結末でユダヤ人がシュトゥットガルトから放逐されるのは、ドイツ人の自己保存の行為として示されている。『ユダヤ人ジュース』はこうして、現在進行中のユダヤ人移送を疑似歴史的に支えるのである。ジュースは映画の中で、キリスト教徒と性関係を持ったために処刑される。そうした性関係を持てば投獄すると脅して禁じた、一九三五年のニュルンベルク法の過激な先例である。見方によっては、人種混合という危険への最終的な答えとして、殺人を推奨している限り、映画はホロコーストを先取りしている。宣伝省映画部長フリッツ・ヒップラーによれば、ハーランは、フランケン大管区指導者ユリウス・シュトライヒャー編集の下品な反ユダヤ新聞に言及し、メッツガーとメラーによる『ユダヤ人ジュース』の初稿を「『突撃者(Die Stürmer)』の劇化」だとして退けた。『突撃者』は戦時中、ドイツが抱えるすべての問題の元凶はユダヤ人だと主張し続けていた新聞だが、結局のところ、ハーランの映画は同じことをしたのであり、せいぜい、よく演じられた『突撃者』というに過ぎない。
ハーランは、『ユダヤ人ジュース』関連の責任をゲッベルスに押しつけるため、自分の反ユダヤ履歴を隠そうとしている。たとえば、彼は一九三三年、ナチの主要紙に自分の父の死について反ユダヤ的な記事を載せ、ナチの初期の反ユダヤ映画の一本『ズザンネ、がっかりしないで』(一九三五年)に出演している。ハーランは、自分の映画が、ヒップラーの言い回しを借りれば、「『わが闘争』の劇化」に過ぎないという事実を隠そうとも努めた。ヒトラーは『わが闘争』で次のように書いている。「それぞれの宮廷に『宮廷ユダヤ人』がいる。この野獣どもはそう呼ばれており、連中は誠実な人々を絶望するまで苦しめ、君主たちに永遠の快楽を提供する」。彼は続いて、ユダヤ人はユダヤ人であることに満足せず、無礼にもドイツ人になろうと努力すると苦情を申し立てる。ヒトラーによれば、想像し得る最も恥ずべき欺瞞の一つである。だが、ドイツ人の言語を習得したとしても、彼らはユダヤ人であり続ける。なぜなら、ヒトラーによれば、ドイツ人であることは、言語ではなく人種の問題だからだ。彼は別の箇所で、「黒髪のユダヤ人少年」が、か弱い少女を何時間も待ち伏せ、「自分の血で汚そう」とすると述べている。ヒトラーは、独自の考えをほとんど表明しておらず、ユダヤ人について、ドイツやそのほかの場所で長いこと流布していた手持ちの決まり文句を広めているだけである。だが、これらの思想を大衆化したのは『わが闘争』である。実際に読んだのが、第三帝国時代に印刷されたおよそ一二五〇万部のうちの一冊を購入したドイツ人のごく少数に過ぎなくても、多くの映画鑑賞者には、その思想が映画『ユダヤ人ジュース』に反映されているとわかったに違いない。ここにも、「永遠の快楽」に耽るための金を貴族に提供する宮廷ユダヤ人がいる。ここにも、恣意的な課税で一般市民を苦しめるユダヤ人がいる。ここにも、非ユダヤ人のふりをするユダヤ人がいるが、仮面の後ろのユダヤ性を「感知」できる非ユダヤ系ドイツ人には、ユダヤ人だとわかってしまう。そしてここにも、無防備のアーリア人女性をいやらしい目つきで見る黒髪のユダヤ人がいる。ヒトラーと『ユダヤ人ジュース』を結びつけるものは多い。
【『ヒトラーと映画 総統の秘められた情熱』「第8章 ジェノサイドの準備──ナチ映画『ユダヤ人ジュース』と『永遠のユダヤ人』」より】
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