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「デザイン」に潜むプロパガンダを見抜くために 松田行正『独裁者のデザイン』より

記事:平凡社

『独裁者のデザイン』カバー(写真提供/マツダオフィス)
『独裁者のデザイン』カバー(写真提供/マツダオフィス)

謀るデザイン

 人間の本質は変わらないが、悪意の伝播速度は、科学の発達で圧倒的に速くなった。だから余計に悪意を見抜く眼力は必要になる。

 今の世界は広告・宣伝で蔽われている。広告に踊らされていらないものを買ってしまった経験は誰にも少なからずあるだろう。インターネットの発達で、いらないものを買ってしまう確率は増えた。実物を見ずに買うから仕方がない。

 といっても、便利なことも多いので、勉強代だと思うしかない。しかし、勉強代で済まないこともある。それが「プロパガンダ」と称される、宣伝を使った戦略の一種、戦法に乗せられることである。本書で取り上げる「デザイン」は、その本質を隠して心地よいものにするためのイメージづくりに使われている。

 ちなみに、「プロパガンダ」ということばは、一七世紀に、ローマ・カトリック教会が布教のための宣伝という意味ではじめて使った。「布教」と考えれば腑(ふ)に落ちる。そのもとになったラテン語を見ると「繁殖させる、種をまく」。「布教」とか「種をまく」ということばを並べると、その一方的な感じに違和感を抱くが、政治・布教活動ばかりでなく、あらゆる広告、宣伝、広報活動ももちろんプロパガンダに含まれる。

 本書では、アドルフ・ヒトラーを中心に、ベニート・ムッソリーニ、ヨシフ・スターリン、毛沢東に代表される独裁者たちが、プロパガンダを駆使してどのように大衆を踊らせ、抑圧していったかをデザインの観点から見直そうとしている。

 「デザイン」ということば自体には、カラー(志向)がないので、よい意味も悪い意味もない。通常なら、「設計する」「図案化する」「計画する・企画する」などニュートラルな意味として捉える。

 だが、デザインを活用する側の姿勢によって、「謀る」という意味も発生する。本書で述べるような「独裁者が好むデザイン」はまさに「謀る」デザインの筆頭だ。

 「デザイン」とは、一方で、人の心を奮わせ元気にし、他方で、魂胆を隠してきれいごとに見せつつ、人を傷つけることもできる。運用の仕方によって希望にも刃にもなるという、両義的なもの。独裁者たちは、意識的か無意識にか、この両義性のある「デザイン」の力を巧妙に使い分けてきた。

小口からにらみをきかせるスターリン。独裁者の「目ヂカラ」も本書の大きなテーマとなっている(写真提供/マツダオフィス)
小口からにらみをきかせるスターリン。独裁者の「目ヂカラ」も本書の大きなテーマとなっている(写真提供/マツダオフィス)

独裁者の生活

  独裁的な権力を手に入れ、独裁者であり続けるためには、凡人からみたら、かなりストレスフルな生活を送らなければならないように感じる。

 まず、独裁者になるためには、もともと機をみるに敏な頭の回転のよさを持ち合わせ、運と状況に恵まれていることが大前提。人並みはずれた権力欲があり、戦略家で、暴力も厭(いと)わず、冷酷であることも大事。独裁者のなかには禁欲的な生活をしているものもいるので、所有欲は独裁者の必須事項ではないかもしれない。

 たとえば、ヤクザやマフィアの欲望はだいたい「金と女」でとてもわかりやすい。独裁者は「金と女」以上に、「人の運命を自由に弄(もてあそ)ぶことのできる神のごとき権力を手に入れる」ことに欲望の最大の比重を置いているように思える。

 しかも、共にやってきたいわば盟友を粛清することも厭わない。ヒトラーの同志、エルンスト・レーム暗殺であり、毛沢東は戦友の多くを死に追いやった。ムッソリーニは、レーム暗殺の報にショックを受けたという(ロマノ・ヴルピッタ『ムッソリーニ』)。ムッソリーニは、ほかの独裁者に比べたら人間的な部分が多く、独裁者には向いていなかったのかもしれない。ともかく、独裁者にとって、自分に忠実なる兵士も単なる駒のひとつ。彼らの命は羽毛よりも軽い。

 独裁者は、いつ寝首をかかれるかわからないので誰も信用しない。四六時中周囲に気をくばっていなければならない。なんともハードな人生だ。スターリンは一応病死だが、医者が治療を拒んだ、という説もある。何かあったら粛清されてしまうかもしれないので、関係したくなかったのだ。人徳のなさがあらわれている。

 したがって、フランシスコ・フランコや毛沢東、フィデル・カストロ、イディ・アミンのように長生きした独裁者もいれば、ムッソリーニやヒトラー、ニコラエ・チャウシェスク、サダム・フセイン、カダフィ大佐のように悲惨な最期を遂げた独裁者も多い。

 しかし、それでも独裁者志願者が多いのは、一度味わったらやみつきになる麻薬のような権力の魅力があるからなのだろう。

著者が時間をかけて収集したプロパンダのビジュアルが豊富に掲載されているのが本書の特徴(写真提供/マツダオフィス)
著者が時間をかけて収集したプロパンダのビジュアルが豊富に掲載されているのが本書の特徴(写真提供/マツダオフィス)

独裁体制の維持

 彼らの独裁体制を維持するための統治システムはなんといっても「不安と恐怖」である。いわば国家規模のDV(ドメスティック・ヴァイオレンス)といえる。力による支配だ。そして、民衆の不満のはけ口を逸らし、責任を転嫁するために敵をつくる。ムッソリーニの共産主義者、ヒトラーのユダヤ人と共産主義者、スターリンの西側諸国、毛沢東の自分の権力を邪魔するものなど。そして敵によってつぶされる、という不吉な予言をしていたずらに不安を煽る。そのためには、「不正を糾す」という名目の戦争も厭わない。

 その支配を支えるシステムのひとつが、公開処刑。フセイン体制のイラクも、IS(イスラム国)も、北朝鮮も頻繁に行っていた。民衆に不安を抱かせ、恐怖を植えつけるのに最適だから。

 そのために、犠牲者を俊敏に逮捕できて、苛酷(かこく)なことも冷静に行える、いわば汚れ仕事をすべて引き受けてくれる秘密警察の存在は欠かせない。完全に油断している深夜・早朝にドアを叩かれることほど恐怖で震え上がることはない。これは、ナチスの秘密警察ゲシュタポや、「スターリン・ノック」と恐れられたNKVD(エヌカーヴェーデー=内務人民委員部、のちのKGB)の得意ワザだ。

 いっぽう独裁者は、恐れられるばかりではなく、「バラ色の未来」を口にして、民衆に崇拝されることも望む。独裁者の世界観は、恐怖で民衆を縛りつつも称賛もされたい、と、なかなかひと筋縄ではいかない。そのために、捏造(ねつぞう)してでも自分の神話化・神格化を図ろうとする。もちろん子どもたちの洗脳も忘れない。

 こうした独裁者の承認欲求は、「民主的」を装う。ヒトラーは、ドイツの周辺地域に侵攻したとき、その地域の住民に、侵攻の是非を問う選挙(国民投票)を必ず行った。といっても、「イエス」を強要する茶番にすぎなかったのだが、それでも民衆から同意されることにこだわった。

 独裁者のイメージをつくった先駆者、ムッソリーニは、選挙のとき、投票を終えてでてきた最初の男に、「ほかの党に投票しただろう」とファシスト党員にぶん殴らせたそうだ。

 その男がどの党に投票したかは問題ではなく、列に並んでこれから投票しようとしている有権者にたいしての警告のためだ(National Geographic CSTVDictators Rulebook 独裁者のルール』)。

 もうひとつあった。反知性主義だ。独裁者はエリート層(あるいはメディア)を警戒する。たとえば、ポル・ポト率いるクメール・ルージュは、エリート層が独裁体制に反旗を翻す勢力をつくる恐れがあるからと、エリート抹殺を徹底的に行った。民衆には人気とりを、エリート層には抑圧・粛清を行使する。

ヒトラーをはじめ多くの独裁者が「ジェスチャー」が聴衆を引きつける効果を重視していた。パフォーマンス政治に走る現代の政治家にも通じる(写真提供/マツダオフィス)
ヒトラーをはじめ多くの独裁者が「ジェスチャー」が聴衆を引きつける効果を重視していた。パフォーマンス政治に走る現代の政治家にも通じる(写真提供/マツダオフィス)

プロパガンダ・デザイン 

 独裁者は、「援助・夢」という「アメ」と、「弾圧」という「ムチ」を使い分ける。その「アメとムチ」作戦や、「すばらしい支配者、すばらしい国家」というイメージを、民衆に効率よく浸透させるために、プロパガンダ(宣伝)がある。

 プロパガンダのデザインは、シンボルマークにはじまり、ポスター・雑誌などの印刷物、映画などの映像、敬礼や行進の仕方・制服などのスタイルにと、広範囲に展開される。そして、それを広めるために、同じことば、同じ画像・映像を何度も過剰に繰り返す。ワン・フレーズ、ワン・ヴィジュアルだ。

 ナチスの場合、ハーケンクロイツ(カギ十字)の入った旗・垂れ幕を国を蔽うかと思えるほどあちこちに垂らし、プロパガンダ・ポスターは大量に連貼りし、いやでも目につくように仕組んだ。

 それらのポスターには、民衆をバカにしているのか、と思えるほど単純なことば、「ヒトラー」という名前の連呼は、現代でも選挙では定番なのでまだよいとして、「ひとつの民族、ひとつの国家、ひとりの総統」、「仕事とパン」、「Ja(ドイツ語のイエス)」などが繰り返された。

  ムッソリーニは、スローガン、たとえば「ムッソリーニは常に正しい」など、かなり陳腐なテキストをビルの壁に看板のように取りつけたり、刻んだ。「Si(イタリア語のイエス)」の連打はムッソリーニの十八番だ。

 このようなことへの嫌悪も繰り返されればあきらめに変わる。民衆の洗脳作戦のひとつである。

独裁者のルール

 ナショナル・ジオグラフィックのドキュメンタリーに「独裁者のルール」としたシリーズがあった。そこではそのルールを11挙げている。

❶暴力の使用(The Use of Violence)
❷アメとムチ(The Carrot and Stick)
❸敵をつくる(Create an Enemy)
❹秘密警察を活用する(Control the Secret Police)
❺個人崇拝(Cult of Personality)
❻教化(Indoctrination / Learning from the Masters)
❼プロパガンダの重視(Propaganda)
❽エリートを取り締まる(Controlling the Elites)
❾不安をつくりだす(Creating a Culture of Fear)
❿恐怖の創出(Creating Terror)
⓫合意を得る(Gaining Consent)

  この11項目はかなり正鵠(せいこく)を射ている。今の世界を見渡すと、残念ながら、こうした「独裁者のルール」に則(のっと)っているような指導者の顔が何人も思い浮かぶ。

 ※『独裁者のデザイン ヒットラー、ムッソリーニ、スターリン、毛沢東の手法』「はじめに」より転載

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