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学校教育の現場を混乱させている「実学志向」とは

記事:平凡社

「楽しい授業」は本当に必要?(イラスト/深川直美)
「楽しい授業」は本当に必要?(イラスト/深川直美)

実学志向が薄っぺらな大人をつくる

 このところの教育改革は、実用的な知識やスキルの習得を重視する方向にどんどん向かっている。そうでありながら主体的で深い学びを重視するという。

 教育現場に身を置くだれもが気づいていると思うが、子どもや若者を教育する立場にある者は、そのあたりの矛盾を認識し、深い学びへと導く覚悟が必要だろう。

 たとえば、2022年度からの新学習指導要領に基づく国語の授業の改革を促すべく、新たに導入される大学入学共通テストのモデル問題として、生徒会の規約や自治体の広報、駐車場の契約書などが国語の問題文として出題されていることはすでに述べた。

 自治体の広報の読み方や、駐車場の契約書の読み方を学ぶのは実用的で、社会に出てから役に立つということなのだろう。だが、ここで改めて強調したいのは、これが深い学びだろうか、何か勘違いしていないだろうか、ということだ。このような実用文について学ぶだけで読解力が高まるとでもいうのだろうか──。

 小説や詩を鑑賞したり、評論や随筆を読んで作者の言いたいことを読み取ろうとする学習と比べて、広報や契約書などの実用文の意味を理解しようとする学習の方が深い学びになるとはとても思えない。

 たしかに広報や契約書も理解できない人が多いのは困るだろうが、学校教育で、最低限のところまで水準を落とす必要はない。

 実用的な用途を重視しすぎると、これまでの国語の学習のように、作品の登場人物や作者の言いたいことや気持ちを汲み取ろうと想像力を働かせるような学習が欠落するため、相手の言っていることがわからない、相手が何を考えているのかわからないという、コミュニケーションの苦手な人間がますます増えていくだろう。

 さらには、実用文のような薄っぺらい文章しか読まないのでは、小説や詩、評論や随筆に込められている深い思いや考えに触れることができないので、人生での課題を乗り越えるためのヒントとなる言葉や視点を、自分のなかに蓄積することもできない。

 英語の授業では、もうずいぶん前から会話重視ということで実用性を重視する方向へのシフトが行われてきた。さらに、これから大学入試改革とともに実用性をますます重視する方向に進めていくという。

 小説は外国人にとっては難解かもしれないが、英語で書かれた評論や随筆など論理的な文章を日本語に訳す授業では、日本語と英語の読解力が鍛えられ、まさに深い学びになるだろう。だが、英語の会話を聴き取る練習や、英語で会話をする練習が、果たして深い学びと言えるだろうか。

 これまでにも指摘してきたように、そのようなことは、英語圏に生まれれば幼児段階で学んでいることである。日本人は英語コンプレックスが強いから勘違いしがちだが、日本語に置き換えてみるとわかりやすい。日本で生まれた子は、幼稚園児でさえも、すでに日本語を聴き取れるし、ちゃんとした発音で日本語をしゃべれるから、日本語で何不自由なく日常会話を行っている。

 だからといって、読解力があるわけではない。日本語がペラペラの子どもや大人のなかにも、読解力の優れた者もいれば、読解力の乏しい者もいる。会話の練習が読解力につながるわけでないのは、おしゃべりな子が必ずしも国語の勉強ができるわけではないことからもわかるだろう。

 いくら英会話を発音よく流暢にできたとしても、大事なのは話す中身のはずだ。中身を充実させないことには、いくら発音よく流暢に会話ができたとしても、けっして深い学びをしたことにはならない。

 国語や英語ばかりではなく、あらゆる学習において実用性を重視する実学志向が強まっている。

 プレゼンテーションや討論のスキルばかりを身につけても、知識や教養、ものごとを深く考える習慣を身につけさせることができないのであれば、薄っぺらいのに自信満々な人間を生み出すだけになってしまうだろう。

(平凡社新書『教育現場は困ってる 薄っぺらな大人をつくる実学志向』第5章より抜粋)

      ◇     ◇

【本書目次】

第1章 「授業が楽しい」とは、どういうことか

「授業が楽しい」を、安易にとらえる風潮への疑問
「英語の時間が楽しい」という調査結果についての誤解
表層的な「楽しい」「おもしろい」にとらわれすぎる
実用的な授業への転換がもたらしたもの
読解力の乏しさが思考停止をまねく
〝知識受容型から主体的学びへ〟で何が起きているのか
主体性を評価することへの疑問
学びという孤独な内的活動と向き合う
アクティブ・ラーニングの勘違い
まずは知識の吸収が大切
自信を持つのは、もっと後でよい

第2章 「能動的に学ぶ」が誤解されている

「知識伝達 ‐ 知識受容型」教育への批判
「教えない授業」が能動的・主体的な学びなのか
知識は思考を防げない
個人学習の方が学力は高い
講義を聴く学生は受動的に学んでいるか
「能動的・主体的」は、学ぶ側の心の姿勢だけではない
思考力を知識と切り離してどう評価するか
「主体的に学習に取り組む態度」の評価に意味などない
欧米の評価基準は日本の教育に馴染まない
内向の価値に目を向ける
内面の学びを外面的形式でとらえる愚
知識や理解度によって求める楽しさは違う

第3章 学力低下にどう対処すべきか

算数ができない大学生
知識を軽視する教育の危うさ
読解力低下の危機、ふたたび
教科書が読めない中学生
日本語の意味がわからない大学生
実用文中心の国語教育の先には……
読書に没頭する孤独な時間が読解力を養う
薄っぺらい自己主張より思慮深さの方が大切

第4章 楽しいことしかやりたくない!

だれだって、好きなことだけしていたい
キャリアデザイン教育への疑問
キャリア心理学の新たな方向性
発想の柔軟性も必要である
「好きなことが見つからない」……
「好きなこと」は必死に探すもの?
克服する喜びの先に「楽しさ」はある
フロー体験とは何か?
気晴らしではフロー体験は手に入らない
「楽をして学ぶ」と「学ぶことが楽しい」は違う
学力をつけるにも非認知能力が大切

第5章 学校の勉強は役に立つ

役に立たない勉強は「したくない!」
教養を深めるような授業こそ大事
学校の勉強は社会で役に立たないのか
受験勉強は意味がない?
受験勉強の意外な効用とは
実学志向が薄っぺらな大人をつくる

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