香港・アングラ経済に生きるタンザニア人たちの人間模様 小川さやか『チョンキンマンションのボスは知っている』
記事:春秋社
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一攫千金を夢見る香港のタンザニア人をフィールドワークした『チョンキンマンションのボスは知っている――アングラ経済の人類学』が、大きな話題を呼んでいる。たくさんの人が手にとってくれたこと、そして、タンザニア人の商習慣をテーマにした本が、遠い文化圏の物語ではなく、日本社会を見つめるヒントとして読まれていることが、とりわけ嬉しい。
今だから告白するが、初めて小川さやかさんに香港のタンザニア人の話を聞いた時、100パーセント理解できたかというと、ちょっと心もとない。なにせ自分の体験に参照例が見あたらなかった。
彼らは、思いつきのように異国の地にやってきて、中古車や中古家電、天然石の仲介、交易人のアテンド、ときには裏稼業にいそしんでいる。その時点で勇気ある「起業家」だが、浮き沈みはジェットコースターなみで、月に2万4000ドルも稼ぐ敏腕ビジネスマンが別の月に100ドルしか稼げないこともざらというのだから、豪胆さは想像をこえる。しかも銀行や保険会社のような既存の制度に期待をかけない。仲間のことも信用しない。そのうえ、騙されても、「あいつは今大変なんだ、誰だって窮地に追い込まれたらああなるさ」と懐深く受けとめ、助けるべき人とそうでない人を線引きすることなく手をさしのべる。
これはどういうことだろう? 借りはきっちり返すのが人の道という規範から悲しいくらい自由になれない私は、その助け合いというのはつまり「ペイフォワード」のようなものですか?と小川さんに聞いた。
ペイフォワードとは、AがBに何かをほどこす→BはCに良いことをする、というように、親切の輪を時間差でつなげていく考え方だ。善行がつづく期待があるから成り立つ仕組みである。
だが、彼らは誰のことも信用しない。いい人になりたい欲もさらさらない。そういう人たちの間でペイフォワードを組織的に持続させるのは至難の業だろう。
小川さんによれば、彼らの人助けは「ついで」の産物だという。だから、「あのときあんなに親切にしたじゃないか!」と憤ったりしなくてすむし、助けられた側の負い目も少なくなる。彼らが同胞を助けるのは、純粋に相手を喜ばせたいからで、それが思いがけなくビジネスにつながることもあるからだ。ボールをたくさん投げればどれかは当たるだろう、という気楽さで他者とつながり、予測不可能な未来を楽しんでいる。
彼らの目に、ルールに従順で積み重ねを美徳とする日本人はどう映るのか。真面目さは、いきすぎると窮屈になる。思いどおりにならないと憤慨するし、見返りがないと根にもってしまうだろう。本書に登場するチョンキンマンションのボスであるカラマは、小川さんにこう語っている。
日本人は真面目に働かないことに怒る。仕事の時間に少しでも遅れてきたり、怠けたり、ズルをしたりすると、日本人の信頼を失うってさ。アジア人のなかで一番ほがらかだけれども、心のなかでは怒っていて、ある日突然、我慢の限界が来てパニックを起こす。彼らは、働いて真面目であることが金儲けよりも人生の楽しみよりも大事であるかのように語る。だから、俺たちが、子どもが六人もいて奥さんも六人いるとか、一日一時間しか働かないのだというと、そんなのおかしいと怒りだす。アフリカ人は貧しいのだから、一生懸命に働かないといけないと。アフリカ人がアジアで楽しんでいたり、大金を持っていたり、平穏に暮らしていると、胡散臭いことをしていると疑われる。だから俺はサヤカに俺たちがどうやって暮らしているのかを教えたんだ。俺たちは真面目に働くために香港に来たのではなく、新しい人生を探しに来たんだって。(本書P236〜237頁)
的確すぎて、思わずうなだれる。コロナ危機で、人生の楽しみとは何か? という問いに切実さがつのる今、ますます耳が痛いではないか。
だが、日本にも新しい働き方、新しいつながりが芽生えている。本書の刊行記念対談イベント(下北沢B&B)で、起業家の卵たちを間近で見てきた家入一真さんは、こう語っていた。
「SNSでアイディアをもらすと誰かにもっていかれちゃうと考える子がいる。でも、発信したことで、『それなら私はこれができる』『これをやりたい』っていう人があらわれて、物事が回りだすことがあるんですよね」
これはカラマがいうところの、「誰かは助けてくれる」という発想に近いかもしれない。人生を楽しみ、まだ見ぬ出会いに賭けて未来にとびこんでいく人たちが、これからどんどん世に出てくるだろう。新しいことに挑戦する彼らが『チョンキンマンションのボスは知っている』を読んだら勇気百倍だろうな、と家入さんの言葉をきいて私は思った。
子どものころ、宿題で『小僧の神様』の読書感想文を書いたことを、いま唐突におもいだした。お金が足りなくて寿司屋で恥をかいた小僧に、後日、貴族院議員が情けをかける。議員のお金で小僧はお腹いっぱい食べることができたが、二人ともそれ以来あれこれ考えてしまうという物語だ。贈与にはやっかいな感情がつきまとうことを、私たちは自分の財布をもつようになるずっと前から教えられてきた気がする。カラマがこの小説を読んだら、「ご苦労様、ジャパニーズ!」と言って笑うだろうか。
負い目にとらわれない知恵や、閉塞した社会に風穴をあけるヒントが『チョンキンマンションのボスは知っている』にはつまっている。だから、大人だけでなく、次世代をになう若者にも届いてほしい。学校の課題図書としてこの本がエントリーする日を、私は本気で夢見ている。