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生誕250年を迎え、ふたたび見直されるベートーヴェン像(上)  歴史上の偉人を「再構築」する

ベートーヴェンイヤーを翌年に控えた2019年春、ボンのベートーヴェン像前で行われたインスタレーションの様子。従来のベートーヴェンのイメージをくつがえす「笑うベートーヴェン」たちが広場にひしめいている。元画像 © Rainer Henkel / CC BY-SA 4.0 (via Wikimedia Commons)

現代は「偉人」の再構築ブーム?

 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)。

 その名前は、どんな現代の文化人やスポーツ選手よりもよく知られている。彼は、西洋音楽史に名を残した音楽家のひとりであり、政治家や科学者などと並ぶ「世界の偉人」のひとりだ。鉛筆と楽譜を手に天をにらみつける有名な肖像画は音楽室の壁でひときわ目立っていたし、「不屈の精神でもって難聴を乗り越えて名曲を書き上げた」という人生には、児童向け伝記シリーズの常連になるのもうなずけるインパクトがある。これほどまでに知名度が高く、顔を認知され、かつ人生を一言で集約しうる人物は、古今東西を見回してもそう多くはいないだろう。

 世のなかによく知られていればいるほど、そのイメージが確固たるものであればあるほど、「知られざる顔」を見たくなる。現代の芸能人やスポーツ選手と同じように、歴史上の偉人もまたそうした欲望にさらされている。旧来の偉人のイメージにおさまっているだけでは評価されないのは研究の世界においても、大河ドラマや歴史マンガ・ゲームなどの創作の世界においても同じことだ。彼/彼女の本業とは関係がない(とみなされる)「日常生活や人間関係をめぐるエピソード」をクローズアップし、そのエピソードからうかがえる性格的な欠点を「偉人の正体」として暴露する──こうした手っ取り早い偶像破壊の手法は、現代人にとってもはやおなじみである。

 「偉人ベートーヴェン」も例外ではない。これまでのパブリックイメージを解体して「再構築」する試みは、20世紀後半以降にさかんに行われている。エディッタ&リヒャルト・シュテルバ夫妻の『ベートーヴェンとその甥』(音楽之友社/原著:1954年)や、メイナード・ソロモンの『ベートーヴェン伝』(岩波書店/原著:1977年)は、精神分析的な観点からベートーヴェンの人生に迫り、特に父ヨハンとの親子関係や、そこから生じた性愛のひずみ、そして甥カールの養育をめぐる悲劇を分析している。

 このような研究が提示したのは、「生み出す音楽は優れているが、人間としては大きな問題を抱えている」というベートーヴェン像だった。こうした人間的な欠点にフォーカスしたベートーヴェン像は、モーツァルトにおける映画『アマデウス』(ミロス・フォアマン監督)のような世界的ヒット作こそ生まれなかったが、近年の伝記的な創作作品においてすでにひとつの類型的イメージになりつつある。2015年初演の舞台『No.9 – 不滅の旋律–』(白井晃演出)では、傍若無人な行為をくりかえすベートーヴェンに振り回されて疲弊したヒロインが、新作の楽譜を手に、愕然としながらこんなセリフを口走る。

 「なんでこんな曲書くんですか。最低な人なのに、音楽だけは……。」

ベートーヴェンといえばこの肖像画。シュティーラー画、1820年(ベートーヴェン49歳)。逆巻く銀髪や鋭い三白眼の描写は明らかに誇張されており、生前からすでに偉人化・神格化がはじまっていたことがうかがえる。

作曲家の本分は「作曲」だけじゃない!

 『ベートーヴェン像再構築』──そんなタイトルの本を書店でふと見かけたとき、まず想像するのは、こうした人間性の問題にフォーカスした「再構築」だろう。3分冊、全1000ページを越す、見た目の威力も相当な大著である。音楽の専門家、もしくは熱心なベートーヴェン・ファンでなければ、このずっしりとした本を手に取るには勇気がいるかもしれないが、なんとなくの方向性を頭に思い浮かべるのはたやすい。

 しかし読み始めると、そのような想像は大きく裏切られる。むしろ著者である大崎滋生は「作曲行為以外のあらゆる生き様が"エピソード"(番外編)として処理される」(第1巻、p.18)──つまり「(偉大なる)"音楽"のカウンターとして(俗物的な)"エピソード"を持ち出す」というこれまでの「再構築」の手法に疑問を呈している。

 では大崎のめざす「再構築」とは何か。それは端的にいうと、エピソードを音楽の側に引き戻そうという試みである。作曲家の本業を「作曲」(つまり紙の上にペンを走らせる行為)の瞬間にのみ見いだすのは正しいのか。実際には、ベートーヴェンの音楽家としての仕事はずっと広い範囲を指すのではないか。これが大崎の見解だ。

 「出版社との間に交わされた書簡を全部読むと、彼は音符と同じだけ文字を書き、自分の「精神的制作物」を社会に送り出すために、作曲するのと同じだけ時間とエネルギーを費やしていたことが解る。書簡は彼の人となりを伝える"エピソード"なのではない」(第1巻、p.18)

 現代に置き換えて考えても、クリエイターと呼ばれる職種の人びとの仕事の何割かは、クライアントとの交渉であり、納品物の地味な点検作業であり、マーケティングであり、人脈を広げるためのつきあいである。狭義の創作の時間は、おそらく部外者が思うほど多くない。

 ベートーヴェンは晩年に用いていた筆談用ノート(会話帳)に、「芸術は長く、人生は短い」という有名な格言を引いて「(むしろ)人生は長く、芸術は短いのだ」と書きつけている。さまざまな深遠な解釈が寄せられてきた言葉だが、これはともするとクリエイターの時間配分をめぐる非常にリアルなボヤきだったのではないか、という邪推をしたくなってくる。

 はたして、大崎はベートーヴェンの音楽活動の範囲を具体的にどのように定義づけたのか。彼は特に「作品の完成とはいつを指すのか」という問題に焦点をあてている。これは音楽に限らず、すべての創作に共通する問いだろう。次の記事で詳しく触れていきたい。

大崎滋生『ベートーヴェン像再構築』(春秋社、2018年) 3分冊で総計1300頁の超力作!

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