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『女性ホームレスとして生きる』――路上にとどまる彼女たちの「意志」とは何か?

記事:世界思想社

筆者が泊まったテント
筆者が泊まったテント

 「あんたがいつその話を切り出すかと思って、待ってたんだ。」

 深夜の駅の雑踏のなかにしゃがみ込んで、彼女は私に説教した。女性ホームレスのことで修士論文を書いている、だから話を聞かせてほしい、とようやくお願いしたときのことだった。「話があるだろうなと思ったから、ここまで送ってきたんだ。それならそうと、はじめのうちに言うのが筋だろ。あんた、そんな様子では、先生になりたいったってなれないよ。取材ならなぜメモを取らん?」私は自分の煮え切らなさを、ただ詫びるしかなかった。

 その女性は六〇代で、二年間野宿生活をしたあと、生活保護を受給してアパートで暮らしていた。私はこの二日前、訪問した女性野宿者のテントではじめて彼女に会った。彼女はかつて暮らした公園で、友人の女性野宿者と繕いものをしながらおしゃべりしていた。しばらくしてカメラを持った学生が顔見知りらしい友人の方の女性を訪ねてきたが、そこへ彼女は割って入って「取材はだめだよ」とぴしゃりと言った。調査をしているとは言い出せずにいた私は、その様子にうろたえ、ただ世間話に徹するしかなかった。そんな私に彼女は、「時間があったら訪ねてください」と言って、自宅の住所を手渡してくれた。それは、調査のことを言い出せずにいた私の罪悪感をますます重いものにした。

 そのあと、会話のなかで話題に出たノビルを彼女と二人で摘みに行くことになった。そこは大都会にありながら自然あふれる公園で、イタドリやノビルなど、食べられる植物が自生していた。公園で暮らすことの、思いがけない豊かな一面を見た気がした。野草摘みの楽しい時間は、うまくいかない調査に対する私の重苦しいあせりを、一瞬忘れさせてくれた。翌日、公園で開かれた女性野宿者の集まりで、元料理人だったという彼女は、二人で摘んだノビルを料理してふるまってくれた。そしてその翌日、私は住所を頼りに彼女の家を訪れ、その帰り道にようやく調査の話を切り出したのだった。

 ホームレスの女性の話を聞きたい、そう思いはじめてから、一年あまりが経過していた。しかし野宿者の大半は男性で、女性野宿者の割合はわずか三%、出会うことがそもそも難しかった。それまで三年間釜ヶ崎に炊き出しボランティアに通っていた私は、ときどき女性の野宿者を見かけてはいたが、彼女たちがどのような生活をしているのかは、うかがい知ることはできなかった。そこで私は、女性野宿者に出会えそうな夜まわりなどの野宿者支援活動に参加しはじめた。そのなかで幾人かの女性たちに出会ったが、事情があるのだろう、人とのかかわりを警戒するかのような様子に、話を聞かせてほしいと頼むことはとてもできなかった。支援活動に参加したのは、困っている女性の力になりたいと考えてもいたからだが、研究という目的がある限り、しょせんは彼女たちを自分の調査の道具にしようとしているにすぎない。そんな後ろめたさは拭いきれなかった。そんななかで顔見知りになったり、連絡先を交換するようになった元野宿者の女性も何人かいたが、研究のために話を聞かせてほしいとお願いする勇気はやはり出なかった。世間話は重ねるものの、肝心なことはなにもわからず、私は女性野宿者の実態になかなか近づけないでいた。

 ホームレスに関する調査や研究を読んでも、女性のことはわからなかった。そもそも女性ホームレスの存在にすら触れられておらず、当時私が知りたかったこと――どのようにして女性がホームレスになるのか、圧倒的多数の男性のなかでどのように生活をしているのか、どんなジェンダー・アイデンティティを持っている女性たちなのかなど――には、ほとんど言及がなかった。それ以上に、当時の調査研究には、そもそも女性の声が聞かれる枠組みさえないように感じられた。大規模な野宿者調査で使われていた調査票は、女性の経験がとらえられるようなものではなく、ホームレス研究や運動の言説も、男性を前提にしたもののように思われた。研究や運動のなかでは、ホームレスは怠け者という世間一般のまなざしに対して、ホームレスも働いているということが強調されてきたが、そこで前提とされているのは一枚岩の「労働する男性ホームレス」という表象で、ここにはそれ以外の働いていない人や女性が入っていない。女性野宿者の存在を理解し、位置づける枠組みは、研究のどこにもないような気がした。

 そのころの私は、調査をすることに対して、完全に自信を喪失していたと思う。女性野宿者の話をうまく聞けないまま、時間ばかりが経っていた。当時私は、山谷のドヤに泊まりながら福祉施設の職員として働き調査を続けていたが、野宿者には嫌われがちな施設で働いているとは言えず、ドヤに泊まっているのも不審に思われると考え、近くに住む姉の家に泊まっていると、公園で出会う野宿者たちには嘘をついていた。しかし駅にしゃがみ込んだ彼女を前にして、もう嘘は通らないと観念した私は、今までついていた嘘を洗いざらい白状した。そして迫ってくる終電の時間を気にしながら、もう一度お願いした。「いい論文を書くので、話を聞かせてください。」彼女は、「それが違うっちゅうんだ。いいのを書くやない。書けないかもわかりませんけど、精一杯やりますから、お願いしますって頼むんだ。それが人にものを頼むっていうことだ」と言った。涙が出た。そんな私に向かって、「明日から泊まりに来なさい。今日はもう帰って、ぐっすり寝て、明日は荷物を全部持って家に来なさい。なにもいらないから、明日はガスボンベを持って来て。ガスもとめられてるしお金も全然ない。ほんとはこんな姿見せたくなかったけど。」その日を境に、私は多くの時間を彼女とともに過ごすようになった。

『女性ホームレスとして生きる』(世界思想社)
『女性ホームレスとして生きる』(世界思想社)

 しかし何度話を聞いても、彼女がなぜ野宿生活をするにいたったのかは、よくわからないままだった。繰り返し同じ思い出が語られ、野宿生活の様子やつらさが語られ、だんだん生活史は明らかになっていく。しかしなぜ彼女が最終的に野宿をすることになったのかは、何度聞いても腑に落ちなかった。そこだけは隠しておきたい過去だったのかもしれない。「お金取られたんだよ。そのとき一〇〇万ぐらい持ってたんだよ。それが一文無しになった。それでそういう生活になったんだよ。駅で、時間聞かれてね。そう、時間聞かれて、頭の中わーっとなって、なにかのしかかってくるようでね。若い男だったよ。それと眼鏡かけた女の人。」

 同様の、肝心のところがわからないという印象は、彼女に対してだけではなく、ほかの多くの女性野宿者にも抱いていた。私は彼女との出会いを契機に、少しずつ女性野宿者たちの話が聞けるようになっていったが、いくら話を聞いても、どこか腑に落ちない部分が残った。ある女性野宿者は、野宿生活をやめたいと言った直後、やはりホームレスのままがいいという、両立しえない矛盾したことを語る。また別の女性野宿者は、野宿生活中に声をかけてきた通行人の男性の誘いに応じて売春したという経験を、「ちょっといたぶってやるか」と思って応じたと、楽しい思い出であるかのように語る。ほかにも、幼少のころの性的虐待の記憶、何度もトラブルになった異性関係など、さまざまなエピソードについてはとりとめなく話をする。しかし知りあって数年が過ぎ、何度話を聞いても、そういった矛盾や断片的なエピソードは切れ切れのままで、それらのあいだのつながりを読み取り、一人の女性の生きてきた軌跡として、合理的に理解することができないのだった。調査をはじめた当初に抱いていた、出会ってはいても女性野宿者の実態には近づけないという印象は、話が聞けるようになっても変わらなかった。女性たちが野宿生活にいたるまでの理解しやすいストーリーを組み立てること、女性ホームレスというひとつの集団として共通点を指摘すること、社会構造の犠牲者なのか主体的に自らの生を生きているのかを判断することは、難しいように思われた。

 むしろ、そのように理解したいと考える私自身に問題があるのではないか、私はしだいにそう考えるようになっていった。彼女たちは、私にとって合理的に理解可能な、今ある研究枠組みに回収される生を生きているわけではない。そのような人間像しか想定できないことの方が、問題にされなければならないのだろう。そしてそうした人間像しか想定できていなかったからこそ、合理的には理解することが難しいと感じる女性野宿者のような存在のあり方が、これまでの研究から排除されてしまったのではないか。そうだとすれば、ここでなにが排除されてしまったのかを問い、別様の人間の理解可能性を考えることが必要なのではないか。そうでなければ、女性野宿者を描こうとする本書のこころみによって、従来のホームレス研究が女性を排除してきたのとまったく同じように、またさらなる排除を生み出すことになってしまう。これこそが、女性ホームレスを対象とする本書が最終的に取り組むべき問いだと考えた。(後略)

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