本の周辺で遊ぶ 『本のリストの本』に寄せて
記事:創元社
記事:創元社
ある日、関西からひとりの編集者がやって来た。
Nさんというその女性は、私が会った人の中で一番と云っていいほど声が小さい。何度も聞き返して判ったのは、「本の周辺」をテーマに何かできないかと提案していることだった。
彼女が編集した『本の虫の本』(創元社)は、林哲夫さんや荻原魚雷さんら5人による、本の世界に関する332項目のコラム集。本文がもちろん面白かったが、もうひとつの読みどころがページの余白の1行。本文の内容に共鳴するセンテンスを、別の項目から絶妙な呼吸で引用しているのだ。紙の間を縦横無尽に進む紙魚(しみ)のように、行ったり来たりしながら読み進めるのが楽しかった。
こんな素敵な本をつくる編集者と一緒に仕事ができるのは、書き手として嬉しい。しかし彼女の最初の言葉は「本のカレンダーって……できませんかねえ?……」というボヤっとしたものだった。
その日に起きた文学上の出来事や作家の生没、作品の中に登場する例などを拾っていけば、いちおう全日を埋めることはできるだろう。でも、本好きが持っていたいものにできるかは怪しかった。日めくりにしてみてはとか、手帖や日記のカタチならどうだろうなどと、あれこれ話し合ったもののイマイチだ。
そんなとき、Nさんがブリティッシュ・ライブラリー発行のAlex Johnson『A BOOK OF BOOK LISTS』という本を見つけてきた。同書には約60冊の本のリストが掲載されている。
たとえば、「読書リスト」の章にはビン・ラディンの本棚、アート・ガーファンクルが1968年までに読んだすべての本などがあり、「移動する本」にはホテルに置き忘れられた本リスト、ロバート・スコットが探検に持参した本リスト、「望まれない本」にはナチスに焼かれた本、グアンタナモ湾抑留者に禁止された本、「本の冒険」には永遠に書かれなかった本(未完本)、IKEAの店舗装飾本リストが載っている。それぞれのリストは、著者が資料を基にまとめたのではなく、本や雑誌に掲載されたものを見つけてきたようだ。
世の中には、こんなにもたくさんの「本のリスト」が存在するのだ。そういえば、作家の日記に読んだ本のリストが載っていたりするよね。という辺りから、停滞していた発想が転がりだした。
私ひとりでは難しいので、林哲夫さん、書物蔵さん、正木香子さん、鈴木潤さんにも参加してもらうことになった。本好きである点は同じだが、持ち味や方向性がそれぞれ異なる人選になった。
テーマは決まった。書き手も決まった。しかし、いざ、本のリストを選ぼうと思っても、なかなかふさわしいものが見つからない。手持ちの本をめくってみたり、図書館で調べたりしても、ピンとくるリストに出会えない。存在しないのではなく、自分の記憶の引き出しにはあるはずなのに、それがパッと出てこないというもどかしい気分が続いた。
他の著者も同じ思いだったのか、大阪の図書館で顔合わせをした際も、企画をつかみかねているようで、どこかフワフワした感じがあった。
最初は『A BOOK OF BOOK LISTS』にならって、実際に存在する「本のリスト」だけを対象としていたが、「こういうテーマのリストをつくってみたら」という発想で書く人も出てきた。
結果として集まったエッセイは、それぞれの捉えかたで「本のリスト」を紹介するもので、手前味噌ながら、その解釈の揺れがかえって面白さにつながったように感じている。
私の場合も、候補に入れてみたが実際にその本が見つからなかったり、リストに関わるエピソードが出てこなかったりして取り上げなかったものがいくつかある。結局のところ、中学生でハマっていたSF作品のリストとか、大学生のときに書いていた読書ノートとか、自分のささやかな読書体験から導かれる「本のリスト」ばかりになった。
47のリストは凝り性のNさんによって、途中何度となく変化しながら最終的には8つのカテゴリーに配置された。あとで知ったが、『本の虫の本』でも最初のプランから二転三転して、あのカタチになったという。彼女は本づくりの過程を通じて、発想を高めていく編集者だったのだ。出来上がった目次を眺めると、それぞれのリストが共鳴し合っているようだった。
皮肉なもので、原稿を書き終えた頃にやっとチューニングが合ってきたようで、続けざまに「本のリスト」に関する発見があった。
たとえば、大島渚監督の映画『新宿泥棒日記』(1969)。横尾忠則演じる青年が新宿の〈紀伊國屋書店〉で万引きする場面で、盗まれた本として、ジャン・ジュネ『泥棒日記』、ジョージ・オーウェル『カタロニア讃歌』などの書名が確認できるという(苅部直『物語岩波書店百年史3』岩波書店)。また、岡和田晃編『北の想像力』(寿郎社)収録のブックガイドは、〈北海道文学〉という枠を超えてさまざまに「使える」リストだ。
最近では、創刊以来の約3400点を網羅した『岩波新書解説総目録1938-2019』(岩波新書)が刊行される一方で、これまで無料で配布されていた角川文庫の在庫目録が今年から有料化されるというように、「本のリスト」の存在価値が揺らいでいるようだ。
本書の刊行を機に、さまざまな人の目によって埋もれていた「本のリスト」が発掘されるといい。それらをまとめて、もうひとつの『本のリストの本』ができたらと夢想している。読書そのものと同じぐらい、本の周辺で遊ぶのは面白い。