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古本の達人が語る「引き寄せの法則」 山口昌男『古本的思考』

記事:晶文社

『古本的思考』(晶文社)
『古本的思考』(晶文社)

仮設的なものの魅力

山口 今、僕が一番狂っているのが勝野金政(きんまさ)っていう人物で、今日はそのことをちょっと話したいんだよね。これもね、こっちが呼んだのかもしれないし、向こうから呼んだのかもしれない。そういうかたちで八年ほど前に古書展で出会った一冊の本から始まるんですよ。その頃、僕はなんとなく戦前の反共文書を集めていたんだけど……。

──何で戦前の反共文書に興味を持たれたわけですか。

山口 そういうのは、何で彼女のことを好きになったんですかって言うのと同じくらいつまらない質問だよ(笑)。

 まあ、日本人のロシア信仰、ソヴィエト信仰っていうのは何だろうみたいな興味もあったしね。で、その一冊というのが勝野金政という人の書いた『赤露脱出記』(日本評論社、昭和九年十一月)。たまたま即売会か何かで目にして、まず装幀があの頃流行った未来派ふうでね。それに惹かれたこともあった。つまり、そういう本って、この周りには何か面白い人物が潜んでいそうだっていう感じがするよね。

 昭和九年に出ている本なんだけど、内容も驚くほどいい。ソルジェニツィンの『収容所群島』より三十年ほど昔にすでにそうした世界、つまり日本人のラーゲリ体験を書いているわけだからね。しかも文章がとてもいいんだ。ルポルタージュ文学としてみても出色のものなんだよね。それを日本の近代文学の研究者は誰も書き留めていない。

──雑本ということで見過ごされていたんでしょうか。

山口 例えば、雑本のなかにはね、仮設的で、それがすぐ消えるように見えながら、実は安定したものを崩す武器になるようなものが含まれている、そういうものがあるでしょ。それをどちらが見つけるか、客と古本屋の抗争っていうのは、そういうところにあるはずなんでね(笑)。

 ひとつのきっかけとしてね、たまたまこの前、群馬県立近代美術館で、井上房一郎の展覧会(『パトロンと芸術家―井上房一郎の世界―』平成十年九月十九日〜十一月三日)があって、そこで講演してきたところなんだけど。

──井上房一郎というのは?

山口 彼は、大正の終わり頃にフランス留学してね、そこから帰ってきた後、ブルーノ・タウトを助けて「ミラテス」って店を銀座に出すんだけど、工芸運動のなかにバウハウス的な感覚を入れてきた人物でもあるんだよね。そういえばね、井上がフランスに行く前に、山本鼎(かなえ)の演説会が高崎であるんだけど、それを井上が助けていて、そのとき、もう一人助けた小学校の先生がいて、それが森銑三(せんぞう)だった。

──いきなり古書の大御所が出てきますね。

山口 『古書月報』(このインタビューは東京都古書籍商業協同組合の会報誌である『古書月報』誌上で行われた)だからね(笑)。でも、こういうネットワークに森銑三の名前が出てくること自体、これまであまり語られてないよね。

一冊の本からの時間旅行

山口 つまり、最初に話しておくとね、たまたま古書展で見つけた一冊の古本から、時間の旅をしたということなのね。

 大正十一(一九二二)年頃、山本鼎からフランス行きを勧められた井上は、語学の勉強のためにアテネ・フランセに通うことになり、そこで同じクラスにいたのが勝野金政だった。井上は大正十二年にパリに渡り、その翌年には勝野も渡仏する。二人がいた頃のパリはちょうどアナキズムの高揚期だった。そうした空気を吸いながら、勝野はアナキストの群れに加わり、やがてフランス共産党に入党する。

 フランス共産党はアナキストが大半を占めていたけれども、彼らは後に右からも左からも批判されて追っ払われることになる。勝野が入党した頃に、サッコ&ヴァンゼッティ事件が起きてフランスでも大抗議デモが起きてね、勝野も井上もこのデモに参加して警察に捕まってしまった。井上は一晩で釈放されるんだけど、勝野はアナキスト・グループに加わっていたということで国外追放になった。

 フランスを追放された勝野は、ワイマールのドイツを経てロシアに入る。そこで片山潜の秘書になった。片山はその当時、もうお飾りにすぎなくてね、何の政治的発言もなくただ自己保身に汲々としているような状態だった。そこに寄寓するうちに、日本からロシアに入ってきた学生を勝野が世話をするんだけれども、それを理由に勝野はKGBに捕まってしまった。これは、ほとんど言い掛りのようなもので、世話した日本人のほうは先に日本に帰って、しかし勝野はこれから六年間のラーゲリ体験を余儀なくされる。

――当時の日本人は、ラーゲリという言葉自体をまだ知らないんじゃないですか。

山口 そのことがとても重要なところでね。ラーゲリに豚のようにぶち込まれて、三分の二が死んでしまう。『赤露脱出記』にはそうした体験が書かれているわけですね。しかし、例えば、反共ということも含めて、そうした新しいモデルを理解できるフレームを作っていなかった。勝野は自分の経験のなかから反スターリニズムを一番最初に正当に提起したけれども、その問題の背を捉まえる人間がいなかった。

 勝野のロシア脱出には二つ説があるんだけれども、いずれにしろ帰国した勝野は東京に送られて水上警察署で特高に引き渡された。当然厳しい取り調べが彼にありそうだけれども、ほどなく助けだされる。なぜかというと、当時の内務省警保局長である唐沢俊樹が信州出身で井上コネクションで大学を卒業した人物だった。

 実は、古書展で買っていた古本のなかにこの唐沢について触れたものがあった(柘植秀臣著『東亜研究所と私──戦中知識人の証言』勁草書房、昭和五十四年七月)。明治の終わりに東大法学部を出た連中に一種の流行があって、それは法学部を出たからといって大蔵省に入るのではなく、文部省に入るということがあった。今なら、東大法学部出て、文部省に入るっていうのはあまりいないでしょう。

 当時なんでそういう流行があったかというと、日露戦争に勝ってから、青年たちの力が急にたるんでしまい、迫力がなくなってきた時期があった。そうした状況で、政治的に優秀な部分が、内務省に入って地方の郡是、県是、市是といった条令を作ったり、青年運動に取り組んでいく、そんな風潮があった。唐沢もそうした一人だった。

 そうそう。ちょっと話がずれるけど、大正から昭和にかけて、日本青年館運動が盛り上がるでしょ。まず、青年団が拠出して明治神宮を建てようとね。そういう運動で日本国民の力を結集しようとした。その青年団の中心として日本青年館ができた。この日本青年館の会報(『青年』)を古本で集めているんだけど、こういうのが本当に面白くてね。ここには柳田國男も書いていて、これはほとんど知られていない。しかもこの頃喧嘩をしていた折口信夫もこれに書いている。もう、この話に行ったらしばらく戻れなくなるけど、どうする?

──どうするって、勝野でいきましょう、ここは。

山口 じゃあ、勝野に戻って(笑)、つまり唐沢は信州の出身で、あまり裕福ではなかった。そんな唐沢を援助したのが井上房一郎の奥さんの父親・杉原栄三郎だったかな、そういう人物がいた。杉原は父親以来の山林を持つ大金持ちで、こうしたコネクションがあったから、井上は留置所の勝野に手を回せた。

 釈放後の勝野が何をやったかというと、いわばフィクサーの役割を果たすことになる。唐沢は内務省の警保局長だったから、つまりスパイ活動の根城にするようなセクションを含んでいるわけでね、勝野はこうした活動に入っていく。

 例えば、大森銀行ギャング事件も勝野が仕掛けたのではないかと言われているし、二・二六事件でも勝野は背後で動いたらしい。

 その後、参謀本部に対ソ連の第八課ができると、勝野はそこの嘱託になる。ここには林達夫の弟の林三郎がいるんだけれども、一方で勝野は林達夫や岡正雄たちと東方社を作ることに関与する。

──『フロント』の東方社ですか?

山口 そう。対外宣伝誌『フロント』を出す東方社ですね。ここに勝野が関与していたということ、更に信州の井上房一郎コネクションの杉原、井上の奥さんの父親ね、彼が東方社への資金拠出もしているということ、こうしたネットワークが背景に見えてくる。

雑本とパラダイム

山口 こういう話をこの前、『井上房一郎展』のときに群馬の美術館で講演したんですよ。実はここで感動的な幕切れが私を待っていたんですが、というのは、講演が終わると一人の婦人がやってきて、「今日のお話はたいへん嬉しゅうございました」って言うんですね。続けて「私は勝野の娘でございます」と。

──凄い話ですね。おいくつぐらいになられるんですか。

山口 勝野自身が昭和五十九年に八十二歳で亡くなっているんだけど、娘さんは五十代でしょう。で、勝野には『凍土地帯─スターリン粛清下での強制収容所体験記─』(吾妻書房、昭和五十二年十一月)という本があるんだけれども、僕の友人の古本屋には能力がなくてそんなもの見つけられない(笑)って講演でしゃべったものだから、「私のところにございますので差し上げます」と、その本をいただくことができた。その『凍土地帯』がここにあるんですが、このあとがきを読むとね。ちょっと読もうか。コピーだけど。

──さっき娘さんから本を貰ったって(笑)。感動的な話だったのに、何でコピーを持ち歩いてるんですか(笑)。

山口 いや札幌に忘れてきちゃってね(笑)、今日見せようと思ってファックスで取り寄せたわけですよ。ここには今度は島崎藤村との関係が現われてきてね。というのは、勝野の故郷は妻籠で島崎家とは親密な間柄だったというんですね。勝野自身も島崎藤村の姪の「こま子」と子供の頃からの友達だったらしい。彼女は『新生』の節子のモデルですね。

 まあ、話していくときりがないんだけど、古書展で偶然見つけた『赤露脱出記』から始まって、井上房一郎の講演で勝野の娘さんに出会い、この『凍土地帯』を手にする。まさに、一冊の雑本から始まる時間の旅なんですね。

 最初にも言ったけど、古本というのはまさに仮設的なものでしょ。その仮設性のなかから何を読むのか。ここでは自分の気づかない自分を読み、先へ進むための手がかりを摑めるかどうかというのが問題になる。そうなると、新刊本というのは固まりきっているパラダイムからしか出てこないから、パラダイム・チェンジの可能性は古本の持つ仮設性の側に遙かにあるんだって言える。そういう中から新しいパラダイムを作っていくしかない状況でもあるんですよ。

 古本的というのはね、古本を通じて人脈を全部取り戻す、そういう過程を通じて枠組みを作りながらまた古本を探し、探した古本のなかからまた新しい枠組みが出てくる、そういう関係そのものだよね。

(山口昌男『古本的思考――講演敗者学』より抜粋)

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