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小心者が居酒屋でひとり酒を楽しむための作法 東海林さだおさんが考える

記事:大和書房

『ひとり酒の時間 イイネ!』(だいわ文庫)
『ひとり酒の時間 イイネ!』(だいわ文庫)

 一人で酒を飲むのはむずかしい。

 つくづくむずかしい。

 ときたま、外で、一人で酒を飲まなければならないときがある。

 相手もいないし、夕食はとらなければならないし、ついでに酒も飲みたいし、というようなときだ。

 そういうときは、大体、居酒屋みたいなところに入る。

 なるべく大きな店に入る。

 収容人員三十名以上、というのが一つの目安である。

 居酒屋では、一人客は少数派である。

 したがって、一人客は目立つ。

 収容人員が多ければ多いほど、まわりの騒ぎにまぎれて目立たなくなる。

 周りが酔ってワイワイ騒いでいる中で、独り黙々と酒を飲み、つまみを食べる。わきかえるよう喧噪の中で、そこのところだけ、ポッカリと、陰気と沈黙と停滞の空間ができている。

 一人客が店内でできることは、酒を飲むことと、つまみを食べることだけである。

 黙々とビンからコップにビールを注ぎ、これをグイと飲み、つまみを食べる。

 これが終わるとまたコップにビールを注ぎ、グイと飲み、またつまみを食べる。

 これが終わるとまたコップにビールを注ぎ、グイと飲み、またつまみを食べる。

 いくら書いてもきりがないが、しかし、これ以外のことを何かしようと思っても何もできないのだ。

 そこでまた、黙々とビンに手を出し、コップにビールを注ぎ、これをグイと飲む。つまみを食べる……。

 “黙々と”と書いたが、黙々以外の行動はできない状態にあるのだ。

 “何事かつぶやきつつ”ビンに手を出したら、その周辺から、一人、二人、と人が去っていくことになるだろう。

 一人客の印象は、周りの人の目から見れば、どうしたって「しんねり」であり「むっつり」である。特に「むっつり」のほうの印象が強い。

 これとても、「むっつり」している以外にどうすることもできないのだ。

 ウヒャヒャなどと、一人で笑っていたりすれば、さらに数人がその周辺から去っていくことになる。

 「しんねり」と「むっつり」のほかに、一人客には「孤立」とか「不首尾」とか「不運」とか「落莫」とか、そういった印象もつきまとう。

 一人で飲んでいる人は、どうしてもそう見える。

 何か楽しいことを考えながら飲んでいるのかもしれないのに、「反省」とか「悔恨」とか「無念」のさなかにあるように見えてしまう。

 いい印象は一つもない。

 周りから、そういう目で見られていることがわかっているから、一人客はどうしても一層いじける。

 ビールをコップに注ぎ、これを飲み、つまみの焼き魚などをつついているとき、すなわち、何らかの行動を起こしているときは、周囲に与える印象はそれほどわるくない。

(彼はいま、あのように忙しいのだ)と周りの人も納得してくれる。

 問題は、これら一連の動きがとまったときである。

 ただ単に、飲食をちょっと休憩しているだけなのだが、これを「黙考」ととられてしまう。

 「黙考」のポーズは「反省」「悔恨」の雰囲気があり、それが「不運」「落莫」の気配をただよわせてしまうのである。

 これを防ぐためには、一人客は、絶えまなく飲み、絶えまなく食べなければならない。

 だから、誰でもそうだと思うが、一人で飲むときはどうしてもピッチが速くなる。

 ふだんの倍ぐらいのピッチになる。

 なにしろ、ちょっとでも休むと、それが「黙考」ととられ、「反省」「悔恨」につながり、「不運」「落莫」に結びつくと思うから、休むことができない。

 大盛りの枝豆をいっときも休むことなく食べ続け、ふと気がつくとアゴが痛くなっていた、なんてことさえある。

 一人客は、休むことを許されない。

 常に行動していなければならない。

 そういう意味では、つまみになるべく手数のかかるものがいい。

 枝豆、焼き魚、イカ姿焼きなどは、一人客にはうってつけと言える。

 焼き魚、煮魚のたぐいは、切り身より丸一匹のもののほうがよい。骨から身をはずしたり、小骨をとったり、アゴのあたりをほじくったりして時間をかせぐことができる。「シュウマイ三個」などというのはできることなら避けたい。

 あっというまになくなってしまう。

 「甘エビ三尾」も避けたい。

 これはもっとあっけない。

 「しらすおろし」も量が少ないから避けたい。

 「なめこおろし」も避けたい。

 “店内の文字”も、「黙考」ととられないための手段として有効に働く。

 何かを読むという行為は、明らかに「黙考」ではない。

 まずメニューを読む。すみからすみまで読む。

 メニューのおしまいのところの、「チェーン店一覧」のところまで読む。

 (そうか、第十四支店まであるのか)と、第十四支店の電話番号まで読む。

 メニュー精読が終了すると、次は店内の貼り紙を一つ一つ、はじから点検していく。

 「冷えてます 生!」

 (そうか、「冷えてます 生!」か。そうか、そうか。なかなかいいじゃないか。まず「冷えてます」と、こうくるわけだな。そしておいていきなり「生」と、こうもってきたわけだ。うん。この順序がいいわけだ。「生が冷えてます」。これじゃいけないんだよね。うん)

 と、「冷えてます 生!」だけで三分はもつ。さらにもう一枚。

 「整理、整とん」と、ある。

 これは従業員向けの貼り紙である。

 (うん。これは従業員向けの貼り紙だな。うん。店長かなんかが自分で書いて貼ったんだな。うん。しかし、そのわりにこの店は整理整とんがゆきとどいてないじゃないか。まてよ、そうか。それだからこそ、こうして「整理 整とん」とわざわざ書いて貼ったわけだ。そうなんだ。うん、わかったぞ)

 と、ときどき大きくうなずいたりして、「整理、整とん」だけで四分はもつ。

 店内の文字という文字、ことごとく読み終える。

 灯りのついた「避難口」という文字までじっくりと読み終える。

 あとはもう、何もすることがない。

 二人づれで来て、話し相手のいる人がつくづくうらやましい。

 どんなに相性のわるい人でもいいから、そばにいてほしいと思う。

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