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沖縄のエイサーが全国で踊られているのはなぜか 芸能研究に死力を尽くした学者の遺作

記事:世界思想社

『エイサー物語』のジャケットに用いた写真。撮影:塚田健一
『エイサー物語』のジャケットに用いた写真。撮影:塚田健一

 もともと沖縄の盆踊りであったエイサーが、いまや日本全土に伝わっている。小学校の運動会で、子どもたちのエイサーを見た人も多いだろう。芸能が伝わる過程では、何が起こっているのだろう。『エイサー物語』は、エイサーを歌い、踊り、伝えた人々の物語であり、同時に、芸能が伝播する過程を跡付けた研究書でもある。著者の塚田健一先生は、音楽学と人類学の境界領域で活躍されてきた方で、この本でも、自身で採譜した楽譜の分析とフィールドワークが併用され、両分野の手法が存分に生かされている。

完璧な原稿から刊行まで

 その原稿を読み終えた時の緊張感は忘れられない。お尋ねすべきところがまったく見つからないのだ。しかも、本文はもとより、文献リスト、写真、楽譜、索引項目までがすべてそろっていた。調査にも執筆にも年数をかけ、徹底的に練り上げて脱稿されたことがうかがえた。塚田先生は「(修正の)要望はいくらでも賜りますよ」と仰るのだが、第一人者が推敲を重ねた完成稿に、そのような余地がないことは明らかであった。

 かくして編集者の仕事は、なるべく忠実に原稿を本の形に移し替えることに絞られた。だから楽だったとは思わない。完成度が高いほど、ミスは許されないからだ。著者の気迫がじわじわとわが身に伝わってくる気がした。

 2018年12月、原稿を印刷所に渡して初校のできあがりを待っている時、著者から一通のメールが届いた。

 「現在ホスピス(緩和ケア病棟)に入る準備をしているところです」。

 実は、著者が不治の病を得られ、本書の刊行が「時間との争い」であることは、うかがっていた。11月、原稿を直接手渡したいとのことで、わざわざ京都まで来社される予定だったが、その約束はキャンセルされ、すべてが収められたDVDが郵送されてきた。十数年前の発病から、治療しながらも通常の生活を送ってこられたものの、ここにきて再発したとのことだった。

 年が明けた2019年1月、私は東京に先生の御宅を訪ねた。校正刷りを前にした打ち合せである。いくつかの候補のなかから書名と副題は『エイサー物語――移動する人、伝播する芸能』に決まった。装丁に使うための写真を選んだ。真冬の東京で、沖縄の青い海の写真に次々と見入っていると、不思議な感じがしてくる。

八重山諸島の新城島で行われた節祭の写真と思われる。撮影:塚田健一
八重山諸島の新城島で行われた節祭の写真と思われる。撮影:塚田健一

 先生が急いでおられるのはわかっていたが、私は、「必要な手順はひとつも省かず刊行します」と申し上げた。「それまでがんばってください」とは言えなかった。いよいよ最終段階を迎え、確認のため何度もメールを送った。毎回、即座に返信が送られてくることに息をのんだ。

塚田健一著『エイサー物語』の書影。撮影:世界思想社
塚田健一著『エイサー物語』の書影。撮影:世界思想社

 3月初めに『エイサー物語』をお届けすることができた。「あらゆる点でこの本の作り全体がたいへんに気に入りました」と言っていただき、この時ほどホッとしたことはない。

執筆への限りない意欲

 刊行後、書評依頼を行った。すぐ「日本経済新聞」の記者から電話があり、取材、寄稿が決まった。「西日本新聞」に載った書評は姜信子さんによるもので、著者は、評者が「芸能研究がそのままその土地の地政学的な現実を映し出すものであることをはっきりと看破しています」と喜ばれた。「沖縄タイムス」では遠藤美奈さんがレビューされ、「エイサー愛好家も堪能できる物語」という評には、著者も我が意を得たりと思われたことだろう。

 6月には、次のようなメールが届いた。

 「もうそろそろ「エイサー」の次に出そうとしていた著書の執筆にとりかかろうと思っているところです。もちろん、これは完成する前に「絶筆」となることは覚悟の上です」。

 人生のすべてを研究に捧げられることに、敬意をもって深く頭を垂れるよりなかった。次のテーマをうかがうことをしなかったのは、何かが怖かったのだろうか。

 8月に「病床に寝込むこともなく、毎日通常の生活を過ごしております」と聞いたときは安堵した。10月末にも「これからも引き続き宜しくお願い申し上げます」というメールをいただき、このままの時間が続くのでは……と、私はどこかで思ったのかもしれない。

 2019年11月7日、デスクの電話が鳴った。それが先生のご家族からであるとわかった時、私は何が起こったかをすべて理解したのである。

ジャケットに使う候補だった写真。場所など不明。撮影:塚田健一
ジャケットに使う候補だった写真。場所など不明。撮影:塚田健一

エイサーのエネルギー、研究者の情熱

 最後に、本書の「はじめに」において著者が引いている、エイサーに打ち込む若者の言葉を再引用したい。

今でも覚えている。双葉エイサーに出会ったあの時の感動を。
全身が震え、涙が止まらなかった。
あの頃はまだ一〇名弱の小さな青年会だったが、舞台の上でひときわ輝き、
ものすごいエネルギーを発し、それが客席にまで伝わってきた。

 著者はそのエネルギーを受け止めて、長らく研究を重ね、本の中に込められた。それが遺著となったのである。

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