「『真っすぐに治る』ということはあり得ない」 心理臨床の実践をめぐる対談集『治療的面接の工夫と手順』
記事:創元社
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増井 僕は、治療における人間学的な方法の中でいちばん大事にしている必須条件として、「素直さ」ということがあるんです。何でも素直に、聞くなり確認するなりするということが、非常に大きな治療の態度や技法のベースになるんです。さっきのずれの話ではないけれど、そのずれを率直に患者さんに聞くというか……。
池見 そうなんですよ。カール・ロジャースの(治療者の態度をめぐる)有名な三条件というのがあって、その最初で、いちばん大事なものは「治療者のジェニュインネス(genuineness)」だとされています。それが日本語では「純粋性」と訳されていて、この「純粋性」って何なのか、多くの人はわけがわからないみたいなんですよ。ジェニュインネスの「ジェニュイン(genuine)」は「本物」という意味で、「本物の私である」ということになります。だから、僕が訳し直すとしたら、「誠実さ」とか「素直さ」とかになるわけです。
増井 やっぱり、僕は純粋性というより「素直さ」とか「実の私らしさ」というほうが治療者の有り様としてわかりやすいし、僕の方法にぴったりきますね。例えば腹がたつときに、その数秒前に何か寂しくなったり、やるせなくなったりなるじゃないですか。そのときに、腹をたてるよりも「やるせなくて寂しい」と言うほうが、非常にコミュニカブル(communicable)なんです。<中略>
池見 そうですね。これは(心理療法)面接では活きていきますね。治療者や面接者、セラピストの素直なところから言葉が出てくるときの威力……。
増井 だから、「ちょっと待って、これはこういうこと?」というのが大事だよね。聞き流すよりも聞き返すほうが、よっぽど大事だと思います。
池見 そうそう、僕もよくクライエントさんの話を止めるんですよ。「ちょっと待って。今のところ、何か知らないけれども僕の中で、聞いていて悲しい感じになったんだけど」とか、そんなことを言ったりしますね。そうすると、かなりそれは力があるんですよ。
増井 治療者が率直にならないと患者も率直になりにくいし、まず健康な人から心の風通しをよくすることは治療者の大事な仕事だと思います。それを融通無碍にできるようになることが、やっぱり面接に慣れるということで、相手を信用できているということかな。クライエントを一人の人間として信用できる場合は、相手に聞くということがものすごく容易にできますよ。つまり、正解は相手がもっていると考えるとね。
例えば、どうしたらいいかわからない場合は、初心者の人は「どうしたらいいかわからないから、ちょっと考えさせてください」と言うほうが、黙ってわかっているような顔をするよりもよっぽど治療的です。言葉より態度というか、やはり先生の言う誠実さ、素直さが治療関係にはとても大事な要件となると思います。スーパーバイズで何回もそれは言ってきたし、実際にやらせてみて、決して悪い結果ではなかった。
増井 患者さんの中の「良くなる」ということのイメージを修正するだけで、実際に良くなることは多いね。<中略>
だいたい概論的に言うと、病気が重い人ほどとんでもないイメージをもっています。妄想で苦しんでいる人に、「あなたはどう良くなりたいのか?」と聞くと、「まったく悩みのない晴天のような日々がずーっと続く状態になりたい」と答えました。そのイメージはもう、良くなることを妨害している。そういうふうなイメージは、極力受け入れないようにしています。まずは実現可能な「良くなる」ということの共有を、僕は毎度毎度しています。
池見 わりと多くの場合、良くなるということが幻想的なんですね。でも、人生はそんなに良いものではないじゃないですか(笑)。
増井 そうですよ。「曇りときどき晴れ。場合によっては雨」、それが自然なんです。
池見 そう、それが人生ですよね。雨もあり、台風もくる。だから、「晴天ばかりになる」というのが「良くなる」というイメージだったら、それはちょっと幻想的ですよね。<中略>
毎日快調ということは、絶対にないですよね。それはアタマがつくっているというか、「我」がつくり上げている……。
増井 そう、それそれ。
池見 ある種の普遍性みたいなね。でも、絶対にそれは普遍的ではないし、良い日も悪い日もあって、なんで悪くなったかと言ったら、それは絶対にアタマで考えてもわからないですよ。
僕はいつも学生に言うんですが、朝、トイレに行くでしょう。「今日はきれいな便が出たから、明日もこれで」というわけには絶対にいかないって。それは、いくらアタマでそう思いたくて昨日とまったく同じものを食べても、明日の朝、トイレに行ったら形が違うものが出るからって。「なんで?」と、いくらアタマで考えても絶対にわからないから。毎日、身体は違うんだからって。だから、毎日同じであろうとするのは不可能で、気持ちも同じなんですよ。
増井 それは、治療者のほうにも言えます。「常に患者さんが良くならないといけない」という考え方をもっている人はおかしいんです。とくに、患者さんの外的/内的環境が劣悪だった場合は、現状維持か、現状よりちょっとドロップをしているところで止まり、「良くならない」と嘆き悲しむ治療者もいますが、僕から見れば、それでもう充分な治療的達成なんです。
だからそのときに、「常に良くならないといけない」というふうな、強迫的で人工的で理論的な、直線的な治り方は考えないほうがいいよね。やっぱり自然は曲がりくねって、良くもあったり、悪くもあったりね。
池見 ねえ、それは人間だから、絶対にいつも調子良いというわけではないし。良い日も悪い日もあって。
増井 「いつも向上しないといけない」という法律もないしね。僕が嫌いな言葉やコマーシャルは、「昨日より今日、今日より明日がもっと成長するように」という類のものです。昨日より今日のほうが調子が悪いときなんか、ひんぱんにあるよね。
池見 うん、そうですね。だから、どこからかやってきた健康なり元気なりというイメージに囚われて執着している人が、その執着によって苦しみがつくられていることがあるんですよ。
増井 実に多いよ。治療者のほうにも多いけれども、それは、スーパーバイズしていたら、初期の間は、「この人の状態が悪いのは私のせい」とか考えてしまう。だけどそれはただの万能感で、そんな考え方をしていたら、自分の気持ちが落ち着かないのは当たり前。良いときもあれば悪いときもあるし、冷静に見られたらいいわけです。それは自然なことで、とくに治療者のためだけでは決してないしね。