『これからの天皇制――令和からその先へ』 私たちの行く末をどう考えるか
記事:春秋社
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本書『これからの天皇制――令和からその先へ』のテーマは「天皇制」、とくに近代以降の天皇制をめぐって、六人の論客が先鋭的な議論を展開する、なんともスリリングな一冊だ。
本書は、こんなふうに始まる。
ところで、日本史のなかで天皇親政の時期はごく短く、例外的であった。なかでも、西洋の君主制を真似た近代の天皇制は、異例でさえあった。実際のところ、カイゼル髭と軍刀で身を飾り、皇軍を統帥した明治天皇と、体育館のなかで膝を折って被災者と語り、日本国民の象徴の体現につとめた平成の天皇が、同じ位の天皇であるとはとうてい思えない。
たしかに誰しも、本当にそうだな、と思うことだろう。これはいったいどういうことなのだろうか。
その前に、ここで六名の論者を紹介しよう。原武史、菅孝行、磯前順一、島薗進、大澤真幸、片山杜秀という錚々たる顔ぶれ。だから議論は博覧強記、古代から戦後の現代まで、多様多彩、複雑多岐にわたって止まるところを知らない。じつに面白い。
しかも、天皇制という重いテーマで、一つの考えでなく、複数のさまざまな考えのエッセンスが語られるのが、ありがたい。われわれが自分自身で考えるうえで、大いに助けになるというものだ。もちろんその論の中身は、じつに切実で、深い示唆に富む。だから老若男女を問わず、多くの人々にぜひ手にとってほしいと思うのだ。
たとえば、現代のわれわれになじみ深いところで、「平成流」というのがある。平成の天皇と皇后の振る舞い方を、それ以前の天皇(皇后)の振る舞い方と比較して示す言葉だ。
膝を折って目線を低く、国民(たとえば被災者など)と共に語り合う、というスタイルだ。戦前の天皇に典型的な、壇上や馬上から見下ろす、国民(臣民)からすれば見上げる、そういうスタイルではない。ちなみに、昭和天皇はついに膝を折ることはなかったという。
そういったことに、どれほどの意味合いが込められているか、そこを見なければならないということだ。
詳細は本書に譲るが、昭和天皇から引き継いだ、平成の天皇と皇后の苦闘がそこにはある。と同時に、そうやって、もちろんそれだけではないだろうが、戦後民主主義のもとでの天皇制を形作ってきたというのだ。
だが、いま令和の時代になって、それが転換期にあるという。どんなふうにか。
ここで本書に戻ろう。本書の全体を、あえてコメントとともに紹介すれば、次のようになるだろう。そこに、転換期の現状が鋭く示されている。
第一講「「平成流」とは何だったのか」(原武史)。先にも挙げたが、平成の天皇と皇后の振る舞いの詳細を語り、その現在的意味が明かされる。
第二講「天皇制の「これから」――その呪縛からの自由へ」(菅孝行)。戦後の筋金入り、バリバリの天皇制批判論である。他と一線を画す。
第三講「出雲神話論――神話化する現代」(磯前順一)。一転して、出雲の国を語りつつ天皇制のありかの近現代を考察。〈危うさ〉を指摘する。
第四講「国家神道と神聖天皇崇敬」(島薗進)。否定された「国家神道」は戦後も生きている、と明確に「神聖天皇制」を批判。自らに向けられた再批判をふくめ考察。
第五講「天皇制から読み取る日本人の精神のかたち」(大澤真幸)。ロングレンジで古代中世から近現代まで、独特の視点から天皇制を考察。意表をつく「提案」も。
第六講「「象徴天皇」と「人間天皇」の矛盾――戦後天皇制をめぐって」(片山杜秀)。戦後の天皇制を「象徴」と「人間」のバランスに見い出し、令和以降の「天皇」と「将軍」の相克を予見する。
ざっとした紹介を試みたが、本書の面白さ、興味深さの一端は伝わっただろうか。ぜひみずから直接手にとって、読み進めてみていただきたい。
まちがいなく、いま「天皇制」を考えることは、これからの日本のゆくえに深く関わっていることだろう。われわれの明日が、いま一人ひとりに問われている。