湧き水あるところに豆腐屋あり? 地理で読み解く東京の自然と文化
記事:朝倉書店
記事:朝倉書店
湧水(ゆうすい:湧き水とも言います)とは,地下水が地上で自然に湧き出しているものを指します。湧水は都市化の影響などからも近年減少傾向にあり,これを保全・再生しようとする取り組みが各地で行われています。都内の湧水は神社や公園にある場合が多いのですが,特に水質の良い湧水・地下水は食品製造にも利用されることがあります。ここでは,東京の湧水と,湧水・地下水を用いた食品製造について,豆腐屋を例に紹介します。
東京は地形的な特徴からも湧水が多く存在する地域で,現在でも都内に600以上あります。図は東京の武蔵野台地における湧水の分布を示したものです(文献1)。武蔵野台地には,火山灰が堆積した層である関東ローム層の下に,地下水を含む地層(帯水層)が分布しています。武蔵野台地は複数の段丘から構成されているため,それら段丘の境界線(崖線:がいせん)の崖下や,河川によって浸食された谷(開析谷:かいせきこく)から地下水が湧いています。このような湧水は,井戸によって人工的に汲み上げられる地下水とともに古くから生活用水や農業用水として利用されてきました。
都内にはたくさんの湧水が見られますが,中でも多くの湧水が見られる地域の1つに,国分寺崖線があります。国分寺崖線は2つの段丘(武蔵野面と立川面)の境界に沿って約30km連なる崖で,平行する野川沿いと合わせて多くの湧水を見ることができます。また,武蔵野台地の東部は河川の浸食によって多くの谷が形成され,細かな台地が分布しています。そのため東京都心部においても一部の地域では湧水を見ることができます。
水質の良い湧水・地下水が入手できる地域には,その水を利用したい食品製造業などが集まるようになります。現在では保健所の規制などにより湧水・地下水が食品製造に利用されることは少なくなってしまいましたが,酒造業や氷屋,魚屋など良い水を必要とする産業は,水道水の代わりに湧水・地下水を利用することもかつては珍しくありませんでした。
豆腐屋もその1つです。そもそも豆腐づくりには,大豆と水,そして凝固剤であるにがりが欠かせません。豆腐製造に地下水を用いた場合には品質管理が難しく,味の決め手はむしろ大豆やにがりにあるともいわれています(文献2)。しかし,豆腐の水分含有量は80%以上といわれており,豆腐づくりにおいて水が重要であることがわかります。地下水の水温は1年を通して変化が少なく,水道水と比較しても,地下水にはミネラル分が多く含まれています。そのため水にこだわったかつての豆腐職人は,湧水や地下水を利用しておいしい豆腐を製造していたのです。
現在,「湧水豆腐」とよばれるような,湧水を使ってつくられた豆腐は全国的に数少なく,大変貴重なものとなっています。かつて東京にもそのような豆腐は存在したかもしれませんが,現在はありません。しかし,現在でも井戸で汲み上げた地下水を利用して豆腐製造を行っているお店が台東区根岸にあります。江戸時代から300年以上続く「笹乃雪」という老舗の豆腐料理店です。このお店は武蔵野台地東端の崖下近くに立地しており,地下80mから揚水した地下水を豆腐製造に使用しています。このお店を愛していたという正岡子規も,「水無月や 根岸涼しき 笹の雪」など多くの俳句を残しています。豆腐の製法も当時のままということですから,昔ながらの味を一度体験してみてはいかがでしょうか。
前述の老舗豆腐店以外にも,麻布十番や赤坂,溜池といった地域では,良い水が得やすく,豆腐屋をはじめ,魚屋や割烹などが多く分布していたといわれています。しかし現在では,湧水・地下水が食品製造に使用される場面がほとんどなくなったことから,豆腐屋をはじめとした食品製造業が良い水を求めて集まる傾向は,時代が進むにつれて失われてしまいました。
以上,東京の湧水と豆腐屋における湧水・地下水の利用について解説しました。全国的に減少傾向にある湧水ですが,東京では人々の憩いの場を提供している湧水も数多く見られます。皆さんに親しみをもって水と接してもらうことが湧水の保全につながるかもしれません。
【石川和樹(いしかわ・かずき) 東京都立大学大学院都市環境科学研究科博士後期課程】
参考文献
(1)東京都環境局(2013):「湧水マップ─東京の湧水─」,東京都環境局
(2)早川 光(1992):『新・東京の自然水』,農山漁村文化協会
そのほか「東京の地下」「富士山と東京」「船と隅田川」など東京の地理を深掘りできる『東京地理入門』。同書の完全英語版『Geography of Tokyo』も出版されているので、海外の人に東京を英語で紹介・案内したい方はぜひセットでご一読ください。