水都 東京をめぐる旅へ 地形と歴史で読み解く下町・山の手・郊外
記事:筑摩書房
記事:筑摩書房
私の『東京の空間人類学』が1985年に筑摩書房より刊行されてから、35年もの長い年月が経過した。その間に、東京の風景はさらに著しく変化した。だが、嬉しいことに、都市を見る人々の眼差しにも実に大きな変化が見られた。古地図を手に、凸凹地形を足裏で感じながらまち歩きを楽しむことは、ごく当たり前になった。東京が江戸を受け継ぐ「水の都市」だったということも、今では人々の共通認識となり、水辺の再生を求める動きも確実に大きくなっている。
同時にまた、東京研究に関する様々な領域での興味深い成果が、この間に膨大に積み上げられてきた。私自身も、そこから刺激を受けながら、より視野を広げ、地中海圏やイタリアの都市のみならず、世界各地の都市の調査を経験するなかから、幾つもの有力なヒントを得て、新たな東京研究を展開すべく諸々のテーマに挑戦してきた。
こうした研究の成果を様々な機会に発表してきたが、本書はその総集編ともいえるものである。特に、「水の都市」としての東京のユニークな特徴をより大きなスケールで描き直すことを最大の課題に掲げ、従来とは異なる東京の水都像を示すことを目的として、この本は構想されている。
『東京の空間人類学』を今なお原点としながらも、振り返ると、私自身の関心や研究の方法はその後、随分大きく、そして深く展開してきたと思う。したがって、この本が扱う範囲は、『東京の空間人類学』と比べて、時間/歴史と空間/地域の広がりがずっと大きくなっている。テーマも多様で複雑な広がりをもつ。
そこでまずは、本書の全体の構成を俯瞰する意味で、それぞれの章で扱う内容を簡潔に紹介しておきたい。
前半の第1〜4章は、『東京の空間人類学』の大きな柱、「「水の都」のコスモロジー」の章で示したような低地に広がる都心・下町を主な舞台とする。河川、掘割が巡り海に開くというオーソドックスな「水の都市」論をさらに拡大、深化させることを目指し、場所とテーマの組み合わせを工夫して構成されている。
第1章では、東京の母なる川と言われ、今なお「水都東京」の最大のシンボルである隅田川をテーマとし、江戸以前の古代、中世に遡りながら、この愛される川に託された深い意味、役割を検証する。パリのセーヌ川及びロンドンのテムズ川と比較することで、東京の隅田川だからこそ見出せる、川と人々の間の独特の親密な関係、水のもつ多岐に渡る機能について、より大きな視座から描き出すことを試みる。
第2章では、「水の都」江戸を受け継いだ東京の都心において、文明開化、モダン東京が水辺から開花したことを論ずる。特に、江戸東京のメインカナルである日本橋川を取り上げ、この水の象徴軸にヴェネツィアを重ねて考える想像性豊かな動きがあったことを論じつつ、昭和初期のこの川沿いに、近代の水都東京を飾るにふさわしい水から直接立ち上がる建築群が実現したことの意味を考察する。
第3章の舞台は、隅田川の東に広がる川向うの水の地域である。大きく見れば近代は、「水の都市」から「陸の都市」への変化を生み、東京のなかで、東から西へと文化の中心が移動する時代が続いた。だが近年、水辺の復活、東京スカイツリーの登場などとともに、東の復権の動きが顕著に見られる。こうした東京における東西問題の諸相を論じながら、近年の江東、特に清澄白河のまわりで生まれている水都再生への創造的な動きを探り、その意味を考えてみたい。
第4章は、1980年代のウォーターフロント・ブームで脚光を浴びながら、その後の東京の華やかな開発から取り残され、忘れ去れた東京ベイエリアに再び光を当てる。古い海岸線沿いに潜む旧漁師町に歴史の記憶を探る一方、幕末の御台場、そして月島や芝浦などの近代初期の埋立て地に始まり、戦後の埋立てでつくられた島々が今や、特徴あるアーキペラゴ(群島)の姿を生み、東京に世界的に見てもユニークな新たな水都を創り出す可能性が広がっていることを論ずる。
後半の第5〜9章は、従来の「水の都市」東京の発想を大きく乗り越えるための新たな試みからなる。いわゆる東京の東側の低地である都心・下町のみを「水の都市」とする見方に縛られず、山の手・武蔵野・多摩へも思考の対象を広げ、東京と水の密接な関係を多角的に見ていく。新たな「水都東京」論へのチャレンジといえる。
まず、第5章では、凸凹地形を活かしてつくられた都心の江戸城=皇居と内濠、外濠を「水の都市」の視点から読み直す。神田川の御茶ノ水付近の渓谷も含め、世界的にも珍しい三次元の水の都市が東京に成立していることの特殊性とその意味を論ずる。特に、長らく忘れられ、エアーポケットのように都心に眠っていた外濠の様々な価値を描き出すと同時に、かつて存在した玉川上水の水が外濠に注ぎ、日本橋川へと繫がる水循環の仕組みを現代に蘇らせる夢ある構想についても紹介する。
第6章では、『東京の空間人類学』で注目した豊かな地形の変化をもつ「山の手」を再び考察の対象とし、そこに〈水〉をキーワードとして加え、凸凹の台地に複雑に織りなされるこの立体空間の成立の秘密を解く。多彩な河川、水辺の神社や名所、谷間の花街、聖なる池など、山の手に受け継がれる水のトポス(場所)について検証し、新しい水都東京論にとって重要な役割を担うことを述べる。
第7章が扱うのは、私自身の原風景をかたちづくる杉並区のかつて成宗と呼ばれた地域の周辺である。あまり特徴がないように思える武蔵野の近郊住宅地だが、江戸を下敷きとする東京の都心以上に面白い空間のコンテストが潜んでいる。そこでは、〈湧水〉〈聖域〉〈遺跡〉〈古道〉がキーワードとなり、川の存在も大きく浮かび上がる。かつての江戸の近郊農村で、今のごく普通のこうした郊外住宅地のなかにも、新たな切り口によって、その〈水〉を媒介にした地域構造の面白い特質が浮かび上がることを示してみたい。
第8章では、武蔵野のより広い範囲に目を向ける。特に、湧水の存在とその意味を掘り下げたい。武蔵野台地の扇状地の端に分布する湧水池とそれを水源とする中河川の代表として、井の頭池と神田川を取り上げ、その水が育んだ池と流域における歴史の重なりを描き出す。同時に、武蔵野台地の尾根筋に通された玉川上水の果たした多様な役割を検証し、近年、新たに浮上した水循環都市という評価の視点も東京の水都論にとって重要な考え方となることを示す。
最後の第9章では、多摩地域に足を伸ばし、やはり地形と水と歴史の視点から地域の構造を読みとく。まずは、「水の郷」と呼ばれてきた日野を対象に、台地、丘陵地、沖積平野からなる地形と湧水群、川から取水する用水路網をキーワードとして、地域形成のダイナミズムや景観の構造を考察する。続いて、国分寺崖線の湧水群が生み出す「お鷹の道」、さらに国立の谷保周辺の崖線に受け継がれた貴重な水の空間の構造とその意味を論ずる。
こうして本書の後半では、山の手、武蔵野、さらに多摩にまで対象を広げ、東京ならではの「水の都市」、「水の地域」としてのユニークな特徴を存分に論じていきたい。
それでは、水都東京を巡るバーチュアルな旅に出発しよう。
【webちくまより転載】