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旅行ガイドブックから浮かび上がる、明治初期~太平洋戦争期の日本のすがた『近代日本の旅行案内書図録』

記事:創元社

大正14年発行の瀬戸内海の旅行地図。海上航路が実線で示され、鉄道線や陸地・島嶼部の名所が記されている。大小の島々、特徴的な沿岸部や山並みがイメージを喚起する。
大正14年発行の瀬戸内海の旅行地図。海上航路が実線で示され、鉄道線や陸地・島嶼部の名所が記されている。大小の島々、特徴的な沿岸部や山並みがイメージを喚起する。

旅行案内書の系譜をたどる

 明治以来、日本ではじつに多種多様の旅行案内書が出版されました。江戸時代にも道中記や図絵の類が多数出版されましたが、明治初期に西洋の印刷技術が導入されたことも相まって、雨後の筍のごとく、大量の旅行案内書が出版されました。

 これらの旅行案内書には、名所・旧跡の情報は言うまでもなく、旅程や交通手段、旅客運賃、地図や写真も含まれており、当時の世相を知る貴重な手がかりです。掲載されている/されていない情報に着目することで、人々が旅行に何を求めていたのか、旅行によって国土にどのようなイメージを抱き、何に価値を見出したのかを垣間見ることができます。

 それゆえ、個別の旅行案内書に関する研究は少なくなく、相当の知見が蓄積されているのですが、近代の旅行案内書に限ってもその出版点数は厖大であるため、総論としての系譜はこれまで描かれたことはありませんでした。

明治34年発行の『鉄道線路日本道中記』訂正四版。副題には「写真絵入 名所旧蹟独案内」とある。「写真絵」とは写真そのものではなく、写真を元に描いた絵、ないしは写真のように描いた絵という意味。
明治34年発行の『鉄道線路日本道中記』訂正四版。副題には「写真絵入 名所旧蹟独案内」とある。「写真絵」とは写真そのものではなく、写真を元に描いた絵、ないしは写真のように描いた絵という意味。

 本書ではその系譜を把握するべく、その第一段階として明治初期から昭和前期までの約70年間に出版された旅行案内書をできるだけ拾い上げ、図録形式で整理して変遷をたどることを主眼としています。

 紙幅の都合上、大半は表紙と中身の一部を紹介するにとどまっていますが、個々のタイトルや趣向を凝らした造本、緻密な地図や味わいのある挿絵は、ただページをめくっているだけでも見ごたえ十分で、近代へのタイムトリップを味わうことができるでしょう。

近世の出版文化を継承した〈旅行案内書〉

 明治以降に日本で出版された旅行案内書は、同時代のヨーロッパの旅行案内書を範としつつも、独自の発展を遂げました。すでに述べたように、日本には道中記や図会の伝統があり、同時代のヨーロッパの旅行案内書にはない特徴をそなえていました。

 当時ヨーロッパでは、ドイツのベデカー社やイギリスのマレー社などによって、鉄道案内や名所・旧跡の紹介、地図を含む旅行案内書が出版されていました。これらは同時代にあっては充実した内容であったといえますが、いかんせん文字情報の比率が高く、読み込むにはそれなりに努力が必要でした。

 これに対し、同時代に出版された日本の旅行案内書には、多数の図版が含まれていました。街道沿いの名所や旅人たちを描いた挿絵、一覧性を重視し、大胆なデフォルメが施された鳥瞰図など、図表現が積極的に取り入れられ、誰にもわかりやすい、旅情を誘う案内書がたくさん生み出されました。その底流には、近世に江戸・京都・大坂で培われた出版文化があったと言っていいでしょう。

最下段の絵は、大正13年発行の『鉄道旅行案内』の見返しに描かれたもの(吉田初三郎作)。近世の行楽の様子が描かれているのが興味深い。
最下段の絵は、大正13年発行の『鉄道旅行案内』の見返しに描かれたもの(吉田初三郎作)。近世の行楽の様子が描かれているのが興味深い。

当時の製作者たちに脱帽

 造本もまた工夫が凝らされていて目を見張ります。編集をしていてまず驚いたのは、いまではなかなかお目にかかれない、函入り・布クロス装の上製本の旅行案内書がごろごろ出てくることです。製本はすべて手作業で、いまから見ると、とんでもないコストと手間がかかったはずです。

右ページ上段の上製本は、明治19年発行の『世界旅行万国名所図絵 下』。表紙中央部に木製の飾りがあしらわれ、金の箔押しと空押しが施されている。背部分にも金箔が惜しげもなく使われている。
右ページ上段の上製本は、明治19年発行の『世界旅行万国名所図絵 下』。表紙中央部に木製の飾りがあしらわれ、金の箔押しと空押しが施されている。背部分にも金箔が惜しげもなく使われている。

 描き下ろしのイラストがあしらわれた洒落た表紙、見返しの美しい風物画もいい出来栄えです。見返し印刷はいまでも行われていますが、本文印刷とは別にコストが発生するため、あまり用いられません。ましてやカラーなどは贅沢の極みですが、この時代の案内書には多色刷りの図版が見返しとして使われています。

昭和8年発行のAn Official Guide to Japanの見返し。左下は歌川広重「東海道五十三次」の日本橋朝之景。右上は歌川広重「銀世界東十二景」の「浅草金龍山[浅草寺]朝の雪」。
昭和8年発行のAn Official Guide to Japanの見返し。左下は歌川広重「東海道五十三次」の日本橋朝之景。右上は歌川広重「銀世界東十二景」の「浅草金龍山[浅草寺]朝の雪」。

 中身も凝っていて、いまでこそ文字組は自在にできますが、当時は活版印刷です。たんにテキストを縦や横に組むのならともかく、細かい割注や表組、図版の形に合わせた文字組は大変です(まあ、ほんの数十年前までそうだったのですが)。しかも図版は多色刷り。折込の地図や路線図なども現在のものと比べても遜色ないほど見やすい。当時の製作者たちの丁寧な仕事ぶりが随所に窺えます。

 本筋ではありませんが、巻末に掲載された広告もまた世相を感じさせるものです。旅館や駅弁、常備薬の広告を見ると、ただの宣伝にすぎないのですが、そのデザインや売り文句を見ると新鮮な驚きがあります。

国内旅行から外国旅行まで

 明治中期以降、鉄道が各地に敷設されるようになると、鉄道管理局や各地の鉄道局が旅客需要喚起のためにこぞって旅行案内書を出したこともあり、まさに百花繚乱の時期を迎えました。

 この頃には沿線案内のみならず、たとえば社寺詣でや郷土玩具を主題とする案内書や、旅程と費用概算に特化した案内書など、多様なニーズに応える本も生み出されました。外地や植民地、外国の旅行案内書もさかんに出版されました。

東北地方の温泉、民俗、郷土玩具を紹介した案内書。昭和2年から16年ごろの発行。表紙からも遊び心が窺える。
東北地方の温泉、民俗、郷土玩具を紹介した案内書。昭和2年から16年ごろの発行。表紙からも遊び心が窺える。

 日本を訪れる外国人向けには、「ツーリスト・ライブラリー」という文化叢書もつくられました。鈴木大拙、野口米次郎、長谷川如是閑など当代一流の専門家が、日本仏教、広重と日本の風景、日本人の国民性など、日本文化を簡潔に紹介するもので、表紙の挿画もすばらしくコレクション性の高いシリーズでした。いまの日本人が読んでも、面白い発見や学ぶ点が多いのではないでしょうか。

ツーリスト・ライブラリーの一部。左ページ「日相撲」「日本の鳥」「アイヌの生活と伝説」。右ページ「日本の紋章」「日本の工芸」「和紙」「日本人の国民性」。
ツーリスト・ライブラリーの一部。左ページ「日相撲」「日本の鳥」「アイヌの生活と伝説」。右ページ「日本の紋章」「日本の工芸」「和紙」「日本人の国民性」。

旅行文化の成熟を知る

 本書には、こうした旅行案内書の表紙(裏表紙)、扉、本文、地図、挿絵、広告などの図版600点超が収録されています(細かく数えるともっとあるはず)。明治初期から太平洋戦争期までに刊行された旅行案内書の系譜を初めて体系化した図録であり、学術性の高い一冊です。

 ただ、もとは観光文化史の研究に資するべく、いわば今後の研究の礎石として編まれたものですが、それにとどまらない、資料性と鑑賞性を兼ね備えた本となりました。ページを繰りながら、近代日本の旅行の様子、旅行文化の成熟過程に思いを馳せていただければ幸いです。

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