集中力を高めたいすべての人へ 心理学の巨頭がおくる「フロー状態」のすすめ
記事:世界思想社
記事:世界思想社
フロー現象は約40年前に「発見」された。それは、1968年に私のクラスの一つで学生たちが「大人の遊び」をテーマにインタビューを行い、レポートを書いた時のことである。当時、心理学者たちはもっぱら子どもの遊びだけを研究しており、成人が面白さや楽しみを得るためだけに没頭する多くの活動をおおむね無視していた。しかし、私自身の生活の中でもよく感じていたことは、遊びの性格をもつ何かをしている時にこそ、最も楽しく、わくわくし、さらには有意義ですらある体験が起こるということだった。それは、自発的に行い、その行為自体のほかに成果はなく、それが生み出す感覚のゆえに行う何かだった。
(中略)
学生たちがレポートを提出した時、フットボールからジャズ、チェスからディスコダンスまで、それぞれ異なった形式の遊びについて書かれていたにもかかわらず、それぞれの内容があまりにも似ていたので驚いた。そこで、われわれは数週間かけて、これらの類似性が何を意味するかについて議論した。結論はこうだった。どの事例においても、取り上げられた人々は、たくさんのエネルギーや時間を投入する活動をしている時には、しなければならないことが明確で、目標が具体的ではっきりしていると感じていたのである。音楽家は自分がどんな調べを演奏したいかがわかっており、チェスをする人は盤上で最高の手を見つけなければならないことを知っている。また、ロッククライマーは動くたびに、20センチから40センチ上に手足を運ばなければならないことを知っている。
目標が明確であるばかりでなく、彼らは瞬間ごとに自分が正しい動きをしたかどうかがわかる。つまり、こうした活動は、その人の動きに迅速なフィードバックを与えるのである。音楽家は自分が出した音が、自分が望んでいた音であるかどうかを聞くことができる。チェスをする人は自分が動かした手が、その対局において優位をもたらすかどうかすぐにわかる。さらに、ロッククライマーは、数百メートル下の谷底に落下することなく、今なお岩の上に立っていることから、自分の動きが正しかったかどうかがわかる。
つまるところ、人が行動の機会――チャレンジ――があると感じるこれらの活動は、人の行動の能力――スキル――におおよそ釣り合っていたのである。
これらの条件が存在する時、つまり目標が明確で、迅速なフィードバックがあり、そしてスキル〔技能〕とチャレンジ〔挑戦〕のバランスが取れたぎりぎりのところで活動している時、われわれの意識は変わり始める。そこでは、集中が焦点を結び、散漫さは消滅し、時の経過と自我の感覚を失う。その代わり、われわれは行動をコントロールできているという感覚を得、世界に全面的に一体化していると感じる。われわれは、この体験の特別な状態を「フロー」と呼ぶことにした。なぜなら、多くの人々がこの状態を、よどみなく自然に流れる水に例えて描写するからである。体験者は「それはフロー〔流れ〕の中にいるようなのです」と述べている。
毎日の生活の中で、われわれが通常置かれている状況は、自分のスキルに対してチャレンジがあまりにも高すぎるか低すぎるかであり、目標は不明確で、フィードバックは遅いか存在さえしないというものである。そのため、われわれはフロー状態になる代わりに、目標がスキルより高い時にはストレスや不安を感じ、また、チャレンジがスキルに対してあまりにも低すぎる時には退屈を感じる。多くの人々にとって平均的な一日は、交互にやってくるストレスと退屈の連続である。ストレスも退屈も気持ちのよいものではない。そうした瞬間ごとに、われわれは、自分の生活が自分のコントロールから外れてしまい、意味もなく忘却のかなたに消えていくと感じる。しかし、これがわれわれの大半が送っている生活であり、過ごしている時間の大半である。
本書 Finding Flow: The Psychology of Engagement with Everyday Life〔『フロー体験入門─楽しみと創造の心理学』〕は、従うべき一連のステップを示した「ハウツー」本ではない。だれもあなたの生活にフローをもたらす方法を教えることはできない。フロー体験は、あなた自身が自力で発見しなければならないものであるし、また、この宇宙の中でのあなた独自の時間・空間におけるあなた独自の体験の結果なのである。しかし、そうだとしたら、本書を読む時のポイントはなんだろうか。
本書は幸福の処方集ではない。しかし、フロー状態を体験する人々がどのようにしてそうなるかについての最高の知識を提供する。それは、芸術やスポーツやゲームをする中でだけではなく、学校で、職場で、そして家族関係といった日々の生活の中での活動でも同様に、世界と完全に一体化する体験をするにはどのようにすればよいかということについて、体系的に記述している。読者がこの知識を各自の生活に適用するためには、いくらか考えなければならない。しかし、適用の仕方をよく考えれば、それを一般的な処方ではなく、自分自身のためだけのものとすることができるという利点がある。
(中略)
本書は「自己啓発」をうたうほかの多くの本とは異なっている。本書には、どうすれば自分を変えられるかということよりも、自分の生活を変えるために何ができるかについて書かれている。私の発見によれば、ほとんどの人にとって、自分自身がどのようにあるべきか、何をすべきかについて考えることから得るものはない。熟慮は難しい技術であり、訓練されていない人々は、すぐに落ち込んだり、絶望してしまうことさえある。他方、フローはいわば外側から内面へと人生を変革する。まず、自分のスキルを活用する機会を見つけ、次に、集中して行為している間は我を忘れなければならなくなるようなチャレンジに取り組む。逆説的なことに、こうした出来事が終われば、以前よりも強く自己が意識されるようになる。無為の原理は同様に自己の育成に当てはまる――自分の人生をよりよいと感じるのは、自分自身を変えようとすることによってではなく、実際に変化を行動に表すことによってである。そうすることで自己は苦もなく自然に変化していくのである。
日本では、フローへの関心がきわめて高い。今村〔浩明〕教授の最初の研究以後、数名の研究者がフローを研究している。佐藤郁哉氏は、バイクで走り回る暴走族のフローについて研究し本を書いた。浅川希洋志氏は、日本の学生たちのフローを研究し、彼らと他国の学生たちを比較している。ソニーの副社長は、井深氏が何もないところからソニーを設立した創業時、彼と一緒に働いていた人々の間でフローが恒常的な心的状態であったと述べている。そして、野中郁次郎教授は私に、フロー概念と同種の日本哲学の流れを示してくれた。明らかに、日本文化は遥かな昔からフローの起こし方を理解していた。武道から茶道まで、建築から俳句まで、フローを可能にする活動の型は数多く、独特である。
しかし、私はさらに先に進むことができるだろう。フローのより科学的な側面に興味を抱いている読者は、自分自身でそれらを発見されるとよい。新しい電子技術はこれを容易にしてくれる。グーグル・スカラーのような検索エンジンやウィキペディアにフローという単語を入力すれば、すぐさま大方の読者の好奇心を満足させてくれることだろう。そして、本書が生活をさらにわくわくさせ、面白く、有意義なものにする出発点となることに、多くの読者が気づいてくださることを望んでいる。
2010年3月 カリフォルニア州クレアモントにて
ミハイ・チクセントミハイ