ゴシック・リヴァイヴァルという「革命」はなぜ起きた? 『イギリス近代の中世主義』
記事:白水社
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『イギリス近代の中世主義』はイングランドの文化史のなかで、これまで注意が払われてこなかった運動の展開を、おもに文学に現われた動きを見ていくことで、たどろうとするものである。しかしながら、まず手始めに二つの火災とその対比から始めることにしたい。
1666年のロンドン大火災で焼失した数多くの建物のなかには、ゴシック様式のセント・ポール主教座聖堂【カテドラル】が含まれていた。この大聖堂は最終的に、クリストファー・レンによって古典古代に由来する近代様式で再建されることになった。ところが、国会議事堂の大部分が火災で焼失した翌年の1835年に、庶民院の特別委員会はウェストミンスター宮殿〔国会議事堂の正式名称〕を「国民様式」で再建するべしと決定し、そしてそれは「ゴシックあるいはエリザベス時代様式」と規定したのだった(図1、図2)。
新しい科学の時代に生きる有力なロンドン市民にとって、604年に最初に建てられた古いセント・ポールが、それまでとはがらりと変わったすっきりと数学的つり合いが取れた様式で復活するのは、自然のことのように思われただろう。それに対して議会のほうは、自身が改革されたばかりなのに〔被選挙権が拡大された〕、議事堂は中世の様式で建て直されるべきであると1835年に決定した。クリストファー・レン、アイザック・ニュートン、ジョン・ロックの同時代人が、首都の大聖堂がゴシックに見えるのはまずいと考えたのは不思議ではないし、ロンドン市が大聖堂と小教区教会をゴシック以外の様式で再建したのも当然だった。しかし、現代の歴史家は、2000年に出版された論集『国会議事堂──歴史、美術、建築』の序論で、1835年に議会がきわめて重要な非宗教的施設のために「ゴシックあるいはエリザベス時代様式」を「国民様式」として指定したのは驚きであり、納得がいかないとさえ記している。実際に建てられたウェストミンスター宮殿は、内部は遠目に見たほど中世的ではなく、新しいセント・ポールのほうも、レンが意図したほど古典様式にはならなかった。昔の大聖堂にあったゴシック様式の長大な身廊を残さざるを得なかったからだ。しかし、6~7世代をはさんでなされたこの2つの対照的な決定は、イングランド人の中世に対する態度が一変したことを示すものとみてよいだろう。
なぜ、そしてどのように、この態度の革命的変化が起こったのだろうか、それが本書の主題である。ただし焦点は建築ではない。確かに、イングランドの多くの町ではゴシック・リヴァイヴァルの建築物が際立っている。そのせいで、より大きな中世復興が存在したこと、建築のゴシック・リヴァイヴァルは見た目に最も明らかなものであるにせよ、それはひとつの現われでしかなかったという事実が、よくわからなくなっているのかもしれない。
イングランド国教会を体現するセント・ポール大聖堂に古典主義建築様式が選ばれ、イギリスという国家の象徴である「改革された」議会のためにゴシック様式が選択されたことは、イングランドの文化、政治そして宗教生活の傾向に、大きな変化が起こったことを示している。ただこの変化は建築物に最初に現われたわけではなかった。実際、芸術史家のケネス・クラーク〔1903─83年〕は、再評価の古典となった『ゴシック・リヴァイヴァル』で、イングランドの建築におけるゴシック・リヴァイヴァル──「おそらく造形芸術で唯一純粋にイングランドのムーヴメントと言えるもの」──の起源が、文学にあることは明白だという考えを表明している。「イングランドでは文学への愛とその理解のほうが、視覚芸術の鑑賞をはるかに凌駕し、実際圧倒している。新しい趣味の流行は文学の方面で最初に感じられることになるのだ」。このような理解は1928年の段階では正しかったものの、現在ではそこまで当てはまらなくなっている。
クラークの『ゴシック・リヴァイヴァル』は、チャールズ・イーストレイク〔1836─1906年〕の『ゴシック・リヴァイヴァルの歴史』以来、56年ぶりに出版された研究書であった。イーストレイクの著書が刊行された1872年は、イングランドのゴシック・リヴァイヴァルが一世代にわたって最高潮に達していた時期だった。しかしイーストレイクから一世代後になると、ネオ・ゴシック様式の建築趣味は、モダニズムと、宗教信仰を公に表明すること(ゴシック・リヴァイヴァル建築は、微弱な場合はあれ、キリスト教の志向性を帯びているものだ)が減ったことで、弱体化していた。それがイングランドで再び息を吹き返すのは1920年代のことだったように思われる。関心を集めることもなかったゴシック・リヴァイヴァルの建築が人々の好奇心の的となり、一部ではあるが熱狂の対象にもなった。ジョン・ベッチマン〔詩人、1906-84年〕がそのスポークスマンとなり、のちにはマスコットになった。しかしより大きな中世復興、建築におけるリヴァイヴァルを生み出すことになる文化一般に見られた広範な運動のほうは、これまで日の目を見ずにきた。本書でそれが改善されることを期待している。中世復興──中世的なものの再発見、熱愛、受容──は、イングランドに暮らしていた人々と、その時代にイングランドを本国と見なしていた人々が、彼らの共通の歴史をどのように想像し、自分たち自身のアイデンティティを構想するようになったのか、その大きな変化を表わすものとなった。この変化の重大さは、これまで十分には認識されてこなかったのである。
【マイケル・アレクサンダー『イギリス近代の中世主義』(白水社)「はしがき」より】
序論
第1章 ゴート人の到来
一七六〇年代における中世
第2章 騎士道、ロマンス、復興
チョーサーからスコットへ──『最後の吟遊詩人の歌』と『アイヴァンホー』
第3章 宗教の薄明
『最後の吟遊詩人の歌』、『クリスタベル』、「聖アグネス祭の前夜」
第4章 「貧窮者のための住居」
『対比』のピュージン
第5章 一八四〇年代のバック・トゥ・ザ・フューチャー
カーライル、ラスキン、『シビル』、ニューマン
第6章 「『アーサー王の死』がお気に入りの本だった」
マロリーからテニスンへ
第7章 歴史、中世復興とラファエル前派
ウェストミンスター宮殿、『アイヴァンホー』、ヴィジョンとリヴィジョン
第8章 歴史と伝説
詩と絵画の主題
第9章 労働者と共通善
マドックス・ブラウン、モーリス、モリス、ホプキンズ
第10章 百合と雑草
ホプキンズ、ホイッスラー、バーン=ジョーンズ、ビアズリー
第11章 「私は見た……白馬を」
チェスタトン、イェイツ、フォード、パウンド
第12章 モダニズム文学における中世主義
エリオット、パウンド、ジョーンズ
第13章 二十世紀のキリスト教世界
ウォー、オーデン、インクリングズ、ヒル
エピローグ 「馬に乗って峡谷を行く」
訳者あとがき
図版一覧
参考文献
原註
索引
【目次より】